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第20話
話が終わり、イージンは変わった環境にやっと落ち着きを取り戻したらしい。
早速、昨日の続きから演奏を始めたけれど、顕著に現れた変化に苦笑いを浮かべることになった。
毎日かじかんだ指先で弾いていたのだ、いつもと違って当然だろうとは思っていたが、ここまで違うのかと呆気に取られる。
(ヴァイオリンの音色って本当はこんなに優しい音が出るものだったんだな……)
弾きやすさも断然違うし、演奏終わりに耳に残る音もまた澄んでいる。
今まで習ったことがお遊びのように感じてきて、チラリとイージンを見ると無邪気な表情が見え隠れしていた。
まるでロレティカの前でようやく本領発揮が出来たことに喜んでいるようだ。
ロレティカはイージンに思う存分に演奏をさせてあげられなかったことへの罪悪感と、今まで上手くいっていたことに感じていた自信が崩れるのを感じて複雑な気持ちになった。
(けど丁度良かったかもしれない……)
緩く教えてくれる人だったので、人前で恥ずかしくない程度に弾けるようになったけれど、これから王妃に会うと知ってからは己の至らなさを改めて知った。
今のままでは実力不足だと思う。
パーティーで演奏しろなんて言われたら、とてもじゃないが、王妃の前では出来ない。
(レビッタ王妃は元伯爵令嬢でも、王族との婚約を狙っていただけあって、高度な教育を受けてきたみたいだからな。易しいだけじゃ足りない……)
バレック殿下は怠けているから音階が間違っていようと気付かないだろうが、殿下のパーティーには必ずと言っていい程、王妃も共にいて威厳を保とうとする。
多分だが、王妃は実権が欲しいのだろう。
前世ではバレック殿下が国王になった瞬間から皇后として実家の領土を広げ、収入を増やしていた。
そのお金がどこにいっているのか、贅沢をしている人ではあったけれど、それでもあり余るはずの実費がどこへいってるのかは分からなかった。
(いや、噂はあったか……。国外で城を建てるとか、そう言った噂を聞いたことはある気がしたが、レビッタ王妃の考えとは思えないんだよな)
それがただの記念碑ではなく、帝国をつくる上で必要なことだと思っているならあり得ない話ではないが──。
ロレティカは頭を横に振った。
(考えるのは止めよう。こんな話はレイリス殿下が王太子になれば破綻する目論見だからな)
イージンのヴァイオリンが奏でる旋律に、ロレティカはうっとりと聴き入っていた。
決意を新たにしたロレティカは古典音楽の演奏に合わせてゆらりゆらりと肩を揺らしていた。
授業が終わり自室のベッドに座って休んでいると、ドアを叩く音がして、その後に執事長のエダンの声が聞こえた。
「ロレティカ様。今、お時間を頂いてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
本の活字を追っていた視線を上げて、両手で革表紙を閉じた。
入って来たエダンは開口一番に「側につけた召使い二人の話なのですが……」と口ごもる。
紹介状を渡した二人を思い出して、「あぁ!」と声を上げた。何を言いたいのかも大体察してあげられた。
「二人とも僕のことなんか忘れて熱中しているようだったから、フォワント公爵家を紹介しようと思ったんだ」
「……そうですか」
ロレティカは事もなげに言ったが、エダンは複雑そうな表情を浮かべて見つめてきた。
何を言いたいのか分からない振りをして、首を斜めに傾ける。
「二人のことは分かりました。ですが、これからは誰かを他家に渡す前に私を通して下さいませんか? 誰かが辞める際、旦那様にもお伝えする必要があるので……」
「あぁ、ごめんね! 次からはそうするね」
ロレティカは何も分かってないような無邪気さで元気良く答えた。
それを見て仕方ないなと言うように短いため息をつき、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
(俺が追い出した本当の理由には気付いてないようだな)
エダンは頭を上げると立ち去ろうとはせずに、「それと」と会話を続けた。
どうやら別件でまだ話があるらしい。
「今夜の夕食は一緒にするようにと旦那様が仰せになりました。ロレティカ様の分まで用意してお待ちしてますので、時間になりましたら食堂までお越し下さい」
エダンの話に、指先が本の上でわずかに動いた。
これは少し予想外な動きだ。
ダロニエはビューラをとても愛していて、再婚してからはどんなわがままも軽く叶えようとしてしまうほどで。これまで食卓を囲む仲にロレティカを入れさせないようにしていたのに、一体どんな心変わりだろうか。
「……そう、分かった。支度しておくよ」
何を話すつもりなのかは分からないが、まぁ悪いことにはならないだろう。
もしかしたら自分の口からパーティーでのことを言いたいのかもしれない。
(オルガは不機嫌になるだろうな。フォークもナイフも投げつけて来ないといいんだけど……)
部屋から去って行くエダンの姿が扉から見えなくなったあと、ロレティカは本を閉じてからため息をついた。
するとアルが聞いてきた。
「あの、先程までいた執事は辞めてしまわれたのですか?」
「うん。ごめんね、せっかく人手が増えて休めたのに。でも直ぐに代わりを用意するから、余り気にしないで」
「いえ、男性がいてもいなくても私たちは構わないのですが、ロレティカ様はよろしかったのですか? 同じ男性の方が何かと頼み易いこともあるでしょう?」
確かに力仕事や裏仕事は男性にやってもらった方がいいけれど、まだ弱い内から行動を起こすつもりはないのだ。
「エダンにも言ったけど、僕のことを無視して暖炉のそばでサボる奴なんかいらないよ。それならもう少しくらい使いものになる使用人の方がいいかな」
淡々と告げた言葉に三人が驚く。
「無視!?」
「ロレティカ様を差し置いて暖炉で温まるなんて……、そうですね。そんな方いりませんね」
ルルが頬を膨らませて怒り、その隣でルカも「使えない殿方ですね!」と両手を握りしめて腕を振っていた。
それぞれの怒った様子にロレティカはつい、クスッと吹き出してしまう。
「あまり二人のことは気にしないで、すでに仕返しは済んだから。それより、侯爵たちはいつも何時頃に食事をしてるのかな?」
「ロレティカ様がそう言うなら関わりませんわ。侯爵様が集まる時間は大体六時頃でしょうか」
「ならそろそろ行こうか。着替える必要はないだろうし」
「かしこまりました」
頭を下げる三人だったけれど、ルカが直ぐに不安気な表情を浮かべた。
「ロレティカ様が食事をしている時、私たちはどうすればいいのでしょう」
「そうだね……」
普通なら後ろで控えているところだけど、何かあった時に庇われては屋敷での居心地が悪くなるだろう。
「廊下で待ってて良いよ。少し暇になるだろうけど、小さい声でお喋りするくらいなら誰も注意はしないと思うから」
「分かりました」
「でも、お一人で大丈夫ですか?」
「平気だよ。侯爵の視線がある以上、誰も危害は加えられないだろうからね。授業の合間と同じように過ごしてて」
今のロレティカには前世の記憶がある。
緊張して作法を失敗するつもりはないし、怯えるつもりも、攻撃的になるつもりもない。
取り敢えずダロニエの話を聞きにダイニングへ行こうかと、ロレティカはベッドから下りた。
ダイニングルームに着くと、執事たちが会話をしながらランチョンマットを敷きカトラリーを並べていく。
そして中央には花瓶に入った花が飾られて、パンやおかわり用の料理がクローシュを被せられた状態で置かれていた。
その空気は殺伐としていて忙しそうだ。
出入りしていた配膳係がやって来たロレティカに気づくとワゴンから手を離して会釈をして来た。
「ロレティカ様、料理はまだですよ」
「うん。僕のことは気にしないで、遅刻しないようにと思って早く来ただけだから」
「かしこまりました」
中に入ると、カトラリーの用意された席の中から一番手前の席に座る。
主席は当然のことながらダロニエの座る席だとして、向かい合うように椅子が置かれている奥の席がビューラとオルガが座っている席だった。
ロレティカが座ったのはオルガの一席分空けた椅子だ。
(そう言えば今日が初めてか、今世でオルガと出会うのは。きっと相変わらず生意気に育っているんだろうな)
ほくそ笑んだ時、下準備が終わったのだろう、使用人や下っ端料理人の動きが落ち着いてきた。
そして開かれた扉から聞こえて来た声に、姿勢を正した。
物々しい雰囲気でダロニエが現れて、その背後から昨夜も会ったビューラも現れる。
「なんだ、もういたのか」
「はい、侯爵」
「本当に卑しい子ね。そんなに空腹だったのかしら」
扇を広げて口元を隠すビューラに、無邪気な明るい声音で返答をする。
「規則正しい生活を送っているので」
その返答が気に入らなかったらしいビューラがパチンと扇を閉じて醜い顔で睨みつけてきた。
そんな母親の後ろからひょっこりと現れる同い年くらいの男子に、ロレティカはすぐ視線を移した。
ブラウンの髪と瞳のその少年は三歳年下のはずのオルガの姿だった。
とは言え身長差は変わらないようにも見えるオルガが、知らない子供が屋敷にいることに気づくと、すぐに警戒心を露にして眉間や鼻に皺を寄せていた。
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