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第22話

 何も話せなかった。  喉が震えてしまったらどうしようって、誤魔化せる気がしなくて、貼り付けた笑顔さえも浮かべることが出来そうになくて、だから少しでも落ち着くために早く部屋に戻りたかったのだ。  仕えてもらっている身として、不安にさせるような反応をしたくなかった。   (俺もまだまだだな。家族のことになると過去の自分が邪魔をする)  愛されたいなんて思ってない。  家族の輪に入れて欲しいと思っているわけじゃない。  ただロレティカにもこんな家庭が築ける道があったらって思うと、変に未来像がチラついて、手に入れられない願いをもう一度抱いてしまうのが怖かった。 (俺は一人で生きていくんだ)  そのために今はサルクに会いたい。  公爵家の騎士団に入る理由と、手段を模索するために王城へ登城したい。  決して愛情を得るためなんかじゃなく、サルクの幸せを見守るために生きるって、そう女神に誓ったんだ。  自室のドアを開くと真っ直ぐベッドへと倒れ込んだ。  うつ伏せで何も考えないようにしばらくじっとしていると、ロレティカの気持ちを察してくれているのか、アルも、ルカも、カナも話しかけずに湯浴みの支度で部屋を彷徨っていた。 「ロレティカ様、大丈夫ですか?」 「──うん。ごめんね」 「どうして謝るのですか。大丈夫ですよ。私たちが側にいます」 「はい! ロレティカ様が追い出さない限りずーっと側にいます」 「話を聞いてほしくなったらいつでも相談してくださいね」  三人の優しさに重たく沈んでいた感情が、一気に軽くなる。 「ありがとう、みんな」  側にいて慰めてくれる人がいることに、ロレティカはやっと口の端を上げることが出来た。    食事を終えてしばらく休んでいる間に湯浴みの支度が整ったらしく、カナに連れていかれて直ぐに、全身を洗い流されながら湯に浸かった。  あがって温いミルクを飲み干すと、一息ついた頃合いになって、外に控えていた騎士が誰かを止めようとしているのが聞こえた。   「侯爵夫人! 待ってください。ここはロレティカ様の使用人以外立ち入りを禁止されているはずです」 「だからなんだと言うの。仮にも私はアイツの母親よ。部屋に入れないわけないじゃない!」 「ですが……」  暴走しているのはビューラだったらしい。返し方が見つからないのか、騎士の語尾が濁っている。 「退きなさい」 「侯爵夫人……!」  最後は強行突破したらしいビューラが勢い良く扉を開いて部屋に入って来た。  夕食でたくさんワインを飲んでいたのか、酔って顔が真っ赤に染まっていた。   「ふぅん。質素な部屋をしているのね、お似合いじゃない」 「ありがとうございます」  きっとみすぼらしい部屋だと言いたいのだろう。けれどこのくらいの嫌味ぐらいなら聞き流せる。  問題は何をしてくるのか分からないところだ。  とにかくロレティカの部屋にある目に付くものを奪う手癖の悪さがあるのだ。  ロレティカには形見も、愛着のある玩具も特にはないけれど、物がなくなっていくのは困りものだった。   (とは言え、今世も自滅してくれるなら見逃してあげても良いが……)  バレック王子が即位した頃、ビューラは贅沢をすることに拍車がかかり、その内に低位貴族からアクセサリーを奪うなどの事件を起こした。  貴族が他人のアクセサリーを奪うことや借りると言うのは、家が貧しいことや借金があるなどと言うことと同義で、何度も侯爵家に泥を塗ったのだ。  物欲が収まらないビューラに、ダロニエはついに離婚届を出して、実家へと送り返した。  今世も自滅してくれるならありがたいが、まったく同じ人生を歩んでくれる確証はないし、今のロレティカには先日見つけた宝がある。  物欲を刺激しないのが得策だろう。  一度見放された経験からか、ロレティカが贅沢をしているのも、侯爵家の家紋が彫られたものを身に着けているのも気に入らず、全てを壊そうとするビューラの性格を知っているから下手に牽制は出来ないのだ。   (本当にこの女のやりたいことは良く分からない。ロレティカの母に最愛の人を奪われたからって、今は結婚して隣にいられているんだし、わざわざ目の敵に遭いに来るなんてしなくてもいいのに理解出来ないな)  気に入らないのなら、この部屋に足を運ばずに放っておけば良いのにと常々思う。  どうして避けようとせず、わざわざ視界に入れようとするのか……。  きょろきょろと目当ての物がないか部屋を眺めるビューラに、欠伸を漏らして興味のない態度を取ると手に取るように怒っているのが震えた拳から分かった。 「じろじろ部屋を見て、僕の部屋に何か気になるものでもありましたか?」 「こんな部屋にあるわけないでしょう!」  怒鳴るビューラに肩を落とす。  だったら早く部屋から出ていってくれないだろうか。  早く寝たいのに、ビューラがこの部屋にいたら、メイドたちの睡眠時間も削られて気の毒に思えてくる。 「何か探しものですか?」 「あなたね、女主人の私にそんな態度をとって良いと思ってるの?」 「どんな態度ですか? 僕、子供だから大人のマナーとかよく分からないです。他人の部屋に居座ることですか?」  何もせずにうろうろされると、流石に我慢の限界がある。  少し嫌味な言い回しで返すと、ビューラは絶句して言葉が出て来なかったようだった。  子供に礼節を説きたいなら、まず自分が礼儀を弁えるべきだろう。そもそも子供に礼節を説いても理解出来るわけないと思うんだが……。 「僕もう、眠いです……。夫人も部屋に戻ってねんねしてはどうですか?」  まだ起きてはいられるが、欠伸がとまらないのは本当だ。 (今日は読書してる時間はなさそうだな……)  ナイトテーブルの上に置かれた本に視線を向ける。  いつもの楽しみを奪われたことに暴れ出したいほど、体に流れる血が湧いたように熱くなるのを感じた。  めんどくさいなと思うほど、ビューラに対する心の余裕がなくなっていく。  ビューラは子供に向ける言葉を使われたことにバカにされたと思ったのか、拳だけじゃなく肩も身震いをしていて酔いで赤く染まった顔をさらに真っ赤にしていた。    「お前ね……!」  今にも掴みかかってくる長い爪を見てロレティカは低く囁く。   「可哀想」  ピタッと肩を掴もうとする手が直前に止まった。  「自分が愛されているのか、自信がないんですね」  すると、パンッと高い音が響いた。  頬がヒリついて、身体が揺らぐ。   「ふざけないで……! あんたの母親がいけないんじゃない!」  どうしようもない人だと思う。  愛されない理由をこっちに押し付けないで欲しい。  ロレティカの母を選んだのがダロニエであって、きっと母上は一度もダロニエを選んだことなんてないはずだ。    「そうですね。どんなにあなたが頑張ろうと敵わないんです。侯爵は愛よりも、侯爵家の都合を取った人ですから」  ビューラに叩かれた頬が痛かった。  じくじく熱と刺すような痛みを伴って、それでもロレティカは立って目の前に居座る敵を排除しようと口が動いていた。  ビューラをいじめるのはとても簡単だ。  どんな行動に出るか分からないから自由にさせていようと思ったが、気が変わった。  徹底的に弱みを弄って、発狂させてやる。  そんな気持ちで過去を蒸し返したお陰で、ビューラは瞳に涙を溜めていた。 「……きさま!」  もう一度、今度は殺意の宿った揺れる瞳を向けて襲いかかってくるビューラに、ロレティカは身構えた直後、扉から声がしっかりと響いてハッとした。 「母上……?」  その幼い声はまさにオルガの声で、やんちゃに張っていた顔が今は不安気に弛んでいた。 「ぁ……」  慄いた小さな呟きに、ビューラが自我を取り戻したように思えた。  堕ちようとしていた一人の女性としての心がいなくなったように、一変して母親の顔付きに戻る。  「まぁ、オルガ。こんな所でどうしたの? 私の愛しい息子」  甘い声音を発しながら、息子に近寄って行くビューラは膝を折って、やって来たオルガを抱きしめる。  その様子に行き場をなくした苛立ちを鎮めるために、ロレティカは深呼吸を何度もして煮えたぎる心を落ち着かせようと努力した。 「母上、どうしてあいつの部屋にいるんですか?」 「えっと……それは……」  唐突に問われて、ビューラは戸惑い口籠る。 「えぇと……。あ、そうだわ。この部屋にオルガに見合う玩具がないか気になって来てみたのよ」  そう言って、玩具箱を指差すビューラに、オルガはいつものように瞳を輝かせた。    

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