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第23話
ロレティカの玩具が詰まった玩具箱をまるでプレゼントのように見つめるオルガに、ロレティカの胸中に黒い陰がかかった気がした。
(本当になんで、二人は他人の物を取ろうとするんだ?)
ロレティカは一言も許した覚えはないのに、既に自分のモノのように会話を続けている。
「母上、何が入っているんですか?」
「そうね……。ロレティカ何が入っているの?」
「……質素なものですよ。オルガに見合う物なんてありません」
「それはこの子が決めることよ」
「それは違います。あれは僕の玩具箱です。誰にも差し上げるつもりはありません」
「なっ! オルガはあなたの弟なのよ!? 可愛い弟に何一つあげられないの!?」
「兄弟じゃないと言ったのは夫人でしょう。それに、その言葉で、僕の玩具をあげるなら、弟のオルガの玩具も僕は貰えることになりますが、それでも良いですか?」
「屁理屈言わないで! 年下に物をもらうなんて……教育が足りないようね」
「屁理屈を並べているのは夫人の方です。そっくりそのままお返しします」
ロレティカがただの子供だったら、きっとビューラを前にこんなに食い下がることは出来なかっただろう。
前世の記憶があるお陰で、こうして抵抗が出来ていると思うと女神には感謝しきれない恩が出来てしまった。
ロレティカがここまで食い下がるのは、最初が肝心だからだ。
どちらが上かをビューラとオルガに分からせる必要がある。
(この先、舐めた真似をさせないためにも玩具箱を奪われてたまるか……!)
それにあの中には地下で得た貴重な戦利品があるのだ。やすやすと渡せない。
例え何度身体を打たれようと、ここは絶対に死守してみせる。
熱を持った頬を意識しないようにロレティカは、対角線上に立ちはだかった。
拗ねたオルガが頬を膨らませて、力強く足を踏みつけながら目の前へ立ち腕を組んだ。
「お前、俺の兄様なんだろ! 譲れよ! お前と違って俺は、父上からも母上からも愛されているんだぞ!」
「駄目だよ。何でも欲しがって奪うような真似をオルガが覚えたら、フォロバトン家に泥を塗ることになるよ」
「何でも欲しがらないし!」
「なら、僕の物も諦められるよね?」
「それは……! なんだよ! 俺に見せられない物でも持ってるのか!?」
するとビューラがハッとして、高笑いを部屋に響かせた。
「アハハッ! 渋ると思ったらそういうこと! やっぱりあの人はあんたに何か大事なものを渡したのね」
見当違いの思考にロレティカは呆れて言葉が出ない。
ビューラはどうしてもダロニエとの親子関係がまだあると信じたいようだ。
こんなにも疑われて辟易するのに、ダロニエはどんな気持ちで目の前の女性を妻にしたのだろう。
(この二人に愛があるのか信じられなくなってくる)
客観視が出来る今となっては、夫婦に愛されないことの方が幸せに思えてくる。
サルクから貰った情はこんなに歪んだものじゃなかった。
見返りを求めず、ただ包み込んでくれる温もりだ。
壊れた心の歪みを整えてくれるほどの熱をサルクはくれた。
陛下だって優しく見守ってくれて、必要なものは与えてくれた。ロレティカから奪う真似なんてしなかった。
「何よ、その目は……! 隠そうとしたってそうはいかないわよ」
「隠そうとなんてしてません」
「ふん! いいから見せなさい」
そう言ってロレティカの横を|女性《レディ》とは思えない足取りで通り過ぎるビューラに、強く引き止めようとはせず自由にさせた。
地下で見つけた物はそう簡単に見つけられないよう一つ仕掛けを施している。
ビューラが蓋に手を掛けて持ち上げる。
そして中を覗いたあと目つきはさらに険しくなって、歯ぎしりをした。
「何なのよ、ふざけてるの……? わたしを舐めないで……!」
中に入っていたクレヨンを取り出して床に投げつける。
弾んだ表紙に蓋が開いてしまい、数本中からクレヨンが飛び出した。
黄色いクレヨンが転がるのを見て、ヒールのトップリフトの部分で踏み砕き、爪先で擦り潰しはじめた。
悪女の名に相応しい言動にロレティカの冷やかな視線は瞬き一つでは戻らない。
もう一度中を見て、不気味な笑みを浮かべる。
「なぁにこれ、布で隠していたの?」
こんなものと叫びながら底に敷いた布と一緒に木質の人形をばら撒いた。
その布はアルに頼んで持ってきてもらったものだ。
以前いた物置き部屋から、まだ綺麗そうなタオルケットを持って来るように言い、授業が終わってすぐにメイドを廊下にやったあとで玩具箱の準備をしておいた。
布を全部取り出したあと、ビューラは気づくだろう。
箱の中には他に何もないと──。
「何で……! どうして何もないのよ!」
床に翻る布を全て持ち上げてまで執念深く探すビューラだったが、転がるのはお絵描きセットと木質の人形に、お気に入りの絵本だけだった。
へたり込むビューラに黙って背後にいたオルガが自身の母親のもとへと駆け寄った。
ロレティカは崩れ落ちたビューラに告げる。
「だから言ったでしょう。僕は隠してません。侯爵とはもう家族ではないんですから」
「そんなはずないわ! あの方はお前を大事にしているの、だったら形見くらいあるはずよ!」
「……僕の母上は家出をして、侯爵は憤慨していました。関わりのあるものを全て燃やすほどに」
だから手に残るようなものは一つもない。写真の一枚でさえ。
だから成人したあとも母上のことを探すことは出来なかった。領地や村を巡っていた時も、一つの手掛かりも見つからずに断罪されることとなったのだ。
「幸い僕は侯爵にとって使える人間だったので地下に押し込められるだけで済みましたが、その間会いに一度でも来たことがあるかは、一緒に住み出した夫人なら分かるでしょう」
食事当番だって閉じ込められたロレティカに声を掛ける者はいなかったのだ。
両拳を力いっぱい握りしめて、小さい身体に溜まっていた悲痛な声を張り上げた。
「そんなに僕と侯爵を疑うのなら、この屋敷から出ていけ……!!」
叫び声に空気が震えて、ビューラとオルガの肩が跳ねる。
切れた息で呼吸が定まらず、興奮して気持ちが昂ぶっていた。
こんなにもビューラとオルガのことが憎いのは、どうしても地下暮らしの苦痛を忘れられないからだ。
高熱が出ても誰一人助けてくれなくて。どんなに寒くて寂しくても、他人の声が聞こえない部屋に独りいる不安と絶望感をひたすら感じる日々を送っていた。
空虚な空間で、低体温症で死に掛けても縋る手はなく、死んだとしても見つけてもらえないかもしれないと思うと怖くて何度もベッドシーツを濡らした。
あの恐怖を、ロレティカはいつでも鮮明に思い出せる。
「もういいだろ。早く出ていってください」
そう扉を指して言った時、その扉の陰から侯爵が現れた。
「出ていけか。随分と生意気な口を効くようになったな」
「侯爵、さま……」
これは流石に予想外だった。
ビューラとオルガは前世で何度か訪れたことがあったから、急に現れてもまだ大して驚きはないが、相手が侯爵となると話は違う。
使用人に言伝をして呼ぶことが常だった侯爵がこの部屋に足を踏み入れることはなかったはずだ。
カツカツと靴底を鳴らす侯爵が歩み寄って横に立つと、片腕を横薙ぎに振った。
手の甲で殴られた力のない小さな身体は倒れて、尻もちをつきそのまま頭を打つことになる。
ビューラのような女性とは全然違い、男性の重い一撃に目が回った。
目眩が鎮まるまで待ってから、手や肘を使って上半身を起き上げると、既に侯爵はビューラに手を差し出して立ち上がるのを支えているところだった。
「ダロニエ様……」
潤む瞳で見つめるビューラの頬をそっと撫でる仕草はとても優しく、柔らかい愛しげな眼差しで見つめ返していた。
「部屋に戻ろう。どうやらもう一度、話をする必要があるようだな」
「それは……」
「責めているわけじゃない。──だが、いい加減信じて欲しいものだが」
「すみません……」
俯くビューラを見つめてからしばらくしてオルガの背中に手を伸ばして促した。
「さぁ、オルガも戻るぞ」
「はい」
三人揃って部屋から出ていくのをロレティカは目を逸らして気配で探る。
部屋から一歩外に出ると、侯爵が去り際に囁いた。
「生かしてやった恩を仇で返されたような気分だ」
そう言って扉を締めるように言い、騎士へかけた言葉に、ロレティカは少なからず安堵を覚えた。
「ビューラが来ないように言い聞かせて置くから、今後もアレに付けた使用人以外、誰も立ち入らないように頼むよ」
「ハッ」
侯爵の気配が途切れるとロレティカはもう一度倒れる。
ビューラに叩かれた頬も侯爵に打たれた頬も灼けるように痛い。
すると彫像のように固まっていたアルとルカ、カナが涙を流してロレティカの身体を起こして抱き締めてきた。
「ロレティカ様、本当にごめんなさい! わたしたちメイド失格です! ロレティカ様があんなにも堪えている姿を見ているだけしか出来ないなんて……!」
「大丈夫だよ、アル。それより冷やす物を持って来て」
「はい! 今すぐに持ってきます!」
そう言ってルカが猛ダッシュで部屋を出て行った。
アルとカナは衣服や髪を整えてくれると、歩かせるなんてさせずに抱っこでベッドに下ろされた。
すると丁度タイミングよくルカが戻ってきて、冷たい水に浸されたタオルを頬に当ててくれる。
その間、アルとカナが片付けをするをただ眺めているだけだった。
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