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第28話

 冬の訪れと共にやって来たのは、王妃の筆跡で書かれた推薦状を持つ一人の男性だった。  今まで王子たちの家庭教師として教養全般を講義してきたらしく、ビークから引き継ぎ今度は帝王学を中心に学ぶことになる。  その内容はとても|難解《ハード》で、出来ないバレック殿下の代わりにすべての知識を注ぎ込むつもりでいるのがよく分かった。  ロレティカにとっても王族の授業を受けられるのは嬉しいことだけれど、軍事的な戦略も教養に含まれるためにインプットする知識量は膨大で、今のロレティカでやっと追いつける早さだった。 (毎日疲れるけれど、サルクの護衛騎士という立場を考えれば、肩を並べるには王子と同等の勉学を習得している方が利点は大きい)  この機会を使わない手はないと思う。  新規の家庭教師を迎え入れるのに、ビーク子爵は解雇となった。  最終日、たっぷり挨拶の時間を取ってくれたおかげで、ロレティカのお小遣いからちょっとした駄賃を給与に上乗せ出来たし、それに伴ってのお願いも伝えることができた。 「リュンデン公爵家ですか?」 「そう。公爵家騎士団には僕と同い年の子供がたくさんいるから、学院入学するまでの間、勉強を見てほしいの。いつか第二王子の護衛騎士になる子供たちがいるはずだから」 「騎士の子供……。最善は尽くしてみますが、私には難しいかもしれません。公爵閣下は宰相のイカロフ卿と同級で仲が良いですから既に家庭教師を雇っているかも──」 「それは大丈夫だと思うよ。仲が良いって言っても喧嘩ばっかりの間柄だから公爵閣下は宰相を頼ってないはず」 「……まるで会ったことのあるような物言いですね」 「──コホン。まぁそこはいいから、行くだけ行ってみてくれないかな?」 「分かりました」    ビーク子爵は事情を知っているかのようにロレティカに理由を問いたださず、公爵領へと向かってくれた。  今頃近くの街から移動して、リュンデン公爵家にいる同級生の教師として働けるように自力で頑張ってくれていることだろう。  念のために推薦状は書いておいたが、ロレティカのことを知らない公爵家側には、使い方次第では間者として疑われることになる。  目を付けられないようにするためにも、ビーク子爵が自らの力で頑張ってもらうしかない。  (あまり心配はしてないけどね……)  ビーク子爵は教師として優秀だ。ただ、お願いをしておいて、確実な方法を与えられなかったことが悔やまれる。    「──ロレティカ様、疲れてませんか?」  ルカがお茶と菓子を並べながら聞いてきた。  他のアルとカナはベッドメイキングを、メロとリュダはバルコニーに出て、寒い中にも関わらず外側から窓拭きをしている。   「大丈夫だよ。ビーク子爵のことを考えてただけで。……でも、そろそろイージン先生も自由にしてあげなきゃね」 「イージン様ですか?」 「そう。他から誘いがあって、辞めたいことを言い出せないみたいだから」  最近、ため息をつくようになったことにロレティカは気がついた。  本人は無意識なのだろう。聞いてもはぐらかされるので気になって探ってみたら、鞄の中に有名な劇団のトレードマークの封蝋を押された手紙を見つけた。  中身を開けなくても分かる。イージンが今いる劇団よりももっと音楽堂で演奏するような楽団なのだ。  音楽家として大輪の花を咲かせる機会を得ようとしているのに、貴族の家庭教師をしているのだから練習時間が圧倒的に足りないのだろう。  ロレティカは平民と貴族の身分差は分かっているつもりだ。今回は自ら手綱を放す必要がある。  じゃなきゃ、下手にダロニエを怒らせれば劇団からの誘いが白紙になる可能性があるのだ。それを分かっているから身動きが取れずにいて、解雇通知をどう進めたら良いのか分からないのだろう。  ロレティカも今は勉強に集中したい気持ちがある。  春に向けて動き出すにはお互いに丁度良いのかもしれない。 「あんなに楽しんでいらしたのに、ヴァイオリンも、ピアノもよろしいのですか」  アルに心配されてからロレティカは自分が思っていたよりも楽しんで授業を受けていたことに気付いた。  割り切ってヴァイオリンやピアノを弾いていたはずなのに、周りから意外にも楽しんでいるように見えたらしい。    「うん。別に音楽家になりたいわけではないからね。趣味として演奏する分には十分に教えてもらったよ」  楽譜を見ずに何曲か弾けるようになれたのだ。暇つぶしの一興くらいにはなるだろう。  バレック殿下の侍従として仕える以上、芸はいくつあっても足りない。       □   □   □    窓の霜が溶け落ちる頃には陽気な天気が続いて、日中は汗ばむほどの暖かい日が戻ってきた。  部屋に飾られている花も鮮やかな色合いで、季節が春に移ろっていることを教えてくれる。  今日も雲のない澄んだ青空が遠くまで広がっている下、春先の気温の低い朝方から遠出の準備に屋敷は騒然としていた。  ロレティカも早くに起きて化粧やヘアメイクを施してもらっている。  五日前、ついに王城からパーティーへの招待状が届いたのだ。  ラムフォード商団に頼んでおいた衣装も、招待状が送られてきた三日前には邸宅に届けられていて、ようやく今日袖を通す機会に恵まれた。 「ロレティカ様、髪飾りは本当に黒になさるのですか? 深緑と朱色の合わせも良いと思うのですが……」  そう言って髪飾りをかざすアル。手元に視線をやると確かに鏡には編み込まれたクリーム色に朱色の宝石がよく映えていて、黒と合わせた時よりも表情が明るく見える。 (本当はサルクの髪と瞳の色で着飾りたかったけれど……。お互いの瞳の色を組み合わせても良いかな)  アルも黒の宝石を使いたくないようだし、今回はロレティカが折れることにした。 「確かにオレンジ色の方が綺麗だね。今日は左の髪飾りを使おうか」 「はい! ロレティカ様の明るさがきっと会場の視線を集めると思いますよ」  それは困るなぁと思いながら口にはしなかった。  仕える方の気持ちは分かる。ロレティカだって、陛下にはいつだって輝いていて欲しいと思っていたから。  すると爪を研ぎ終えたカナが立ち上がった。  ロレティカも立ち上がって、今度は衣装を整える。  衿ピンや、チェーン付きのブローチを付けていって、豪奢な洋服をさらに華やかにしていく。  これでも宝石は減らした方なのだが、身支度が終わる頃には九歳の子供には少しばかり重い衣装になっていた。  披露宴の洋服は特に、上流貴族として必要最低限の威厳は保たないといけないので、貧乏臭く思われない程度には人目を引くような装飾がどうしても必要になってくる。   (元の洋服が軽い生地だったのが幸いしたな)  髪型もシニヨンのように編み込まれて固められたので、後頭部が少し重く感じるし、起きて数時間で肩が凝りそうな準備だった。 「ロレティカ様、素敵です!」 「本当にとってもお美しいですわ。令嬢から言い寄られたらどうしましょう」 「朝から頑張って良かったです!」  姿鏡の前に立つロレティカを見ながら三人で楽しそうに話す横で、登城に合わせて王都の屋敷で過ごすための荷物をまとめてくれていた執事二人が興味なさそうに立っていた。 「さて、先に下に行って待ってようか」  ロレティカの言葉にそれぞれ荷物を持って、邸宅の前に止まっているはずの馬車へ向かった。  今日、屋敷が騒がしかったのは社交シーズンに合わせて数ヶ月の間、王都の屋敷で暮らすことになったからだ。  ロレティカ付きの使用人は全員が屋敷には来るが、王都に着けば登城のために家族と数人の執事と侍女、そして護衛騎士以外の者たちは屋敷で待機になる。   侯爵家の馬車は二台。  真新しい馬車にダロニエたちが乗り、大樹の家紋を掲げ、蔦に覆われているような彫刻が施された旧式馬車にはロレティカが乗ることになっていた。  荷物を積んで待っていると、小一時間後に全員が集まり、出発となった。    王都の城壁が遠くに見えて来た時、ガタンッと乗っていた馬車が大きく揺れて、座面から身体が一瞬浮いたような感覚がした。  きっと道端の小石に車輪が乗ったのだろう。  点検は御者がしているものの、大分年数が経っていて衝撃に弱いのは否めない。 (もっと布団を敷いとけば良かったかな……)    邸宅から出発して二時間。そろそろお尻が痛くなってきた。  ロレティカは小さなため息を吐きながら、青々とした草原が風に靡いて弛んでいるのを眺めていた。  

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