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第35話

 一人で来たようで掛けていた腰を伸ばして立ち上がる。  宰相は近くまで来ると、淡々とした声音で「手を出してください」とジャケットの裏側へ手を忍ばせた。  ロレティカは不思議に思いつつも手を上げる。  広げた手のひらに落ちてきたのは紐のついた鍵だった。 「陛下からの贈り物です。一人で過ごされているようなら渡してほしいと預かりまして、本当に一人でいる様子でしたので渡しておきます」 「ありがとうございます」  鍵を見れば指先で摘む部分に本のような彫刻が施されていた。 「図書室の鍵?」 「当たりです。場所は分かりますか?」 「二階の両開き戸がある部屋で合ってるなら、分かります」 「合ってます。場所は大丈夫そうですね。私は早急に仕事へ戻らねばなりませんのでこれで失礼いたします。──あぁ、本に夢中で時間を忘れないように気をつけてください」  事務的に話しながらも何処かロレティカに対して、知っていることが当たり前な物言いをすることが気になった。  もしくは、成人を相手にしているような話し方だ。  それが聞いているロレティカにとって、まるでこの王城について既に知っていることを、宰相が見透かしているようで言葉に行き詰まった。 「返事は?」 「は、はい!」  気のせいだろうと思いながら宰相を見送ろうとしたが、慌てて引き止める。 「あ、待って!」 「なんでしょう」 「陛下に会われたら、ありがとうございますと伝えて下さい。自分からもあとで言います……!」 「分かりました。ではフォロバトン公子、また後ほど。失礼します」 「ありがとうございました」  背筋を伸ばしてお互いに頭を下げる。  それから曲がり角で姿は見えなくなり、ロレティカは最後に互角稽古に打ち込むサルクを見つめてからその場を離れた。 (サルクは剣術を頑張ってるんだ。俺も一冊でも知らない本を読み込もう)  階段を下りて下の階へと向かう。  そして両開き戸の前に来て、少し高い位置にある鍵穴に、貰った鍵を差し込んだ。  ガチャンと解錠されて、久しぶりの部屋へと入る。  この図書室にはバレック殿下が国王に即位してすぐ、しばらく引き篭もっていた時期があった。  中へと入ると見慣れた景色が目の前に広がる。 (まだ読んでない本はたくさんある。まさか王城に来てすぐにこうして入ることが出来るとは思ってもみなかったな)  足を踏み入れるのはもっと先かと思っていた。  こんなに与えてもらってばかりで、この先、陛下にどれくらい恩返しが出来るだろう。  いつか多くのものを返せるように、有意義に時間を過ごそうとロレティカは奥の棚を目指した。  □   □   □  二ヶ所の壁には時計が掛けられていて、三冊読み終わった頃、時刻は集合の二十分前を指していた。  部屋に差し込む窓の光も、白光からオレンジ色に変わり夕刻を示している。   (まだ時間はあるけど、次の本に手を伸ばすと集中してしまいそうだしな)  遅刻は出来ないと部屋の施錠をしっかりして、先に着替えてバレック殿下を待つことにした。  着替えは陛下のメイドたちが手伝ってくれた。  ただ着替えはどこにあるか聞いただけだったのに、手を貸してくれたのだ。  ソファに座って足を揺らしながら誰かが来るのを待っていると、大勢の声がして顔を上げた。 「やった一番乗り!」 「くっそぉ!」 「三番かぁ」  声で判断するなら、多分、タヴィが一番で、二番はユーリアだろうか。落ち着いた声が聞こえたあたり、三番はテオドアではなく、サルクかな。  騒がしさに首を傾げると、扉が開いて入ってくる。  果たして、隙間から入ってきた見習い騎士たちは全員が上半身裸だった。  もっと言えば下はタオルを巻いているだけの、全裸に近い状態である。  目が合った瞬間に静止したのはお互い様で、ロレティカは慌てて両目を手で覆った。 「うわぁぁッ!」 「アハハッ! ロレティカ、なんで目隠しするの!?」 「アホッ! 半裸が大勢入ってきたら誰だって驚くだろ!」  声を上げて笑うタヴィを叱ってくれたのはユーリアだった。  補足するように、テオドアが「ごめんな!」と言って、隣の部屋に行こうとしている。  本当にびっくりした。  訓練に参加して汗を流して来たんだと理解出来ても、まさか裸でこんなところに来るとは思わなかったから。  すると目の前に近寄って来る気配があって、指先を開いた。  目の前に来たのはサルクだ。  成人した頃よりはゴツゴツしてないが、腹筋は割れて、腕には力こぶが出来ている。 「はわわわわ……」  どうしてか変な声が出てしまった。  別に男同士だし、前世では上半身なんて見慣れているはずなのだが、どうも身体が強張って思考回路が混乱してしまう。 (なんで、こっちに来たの!?)  目の前に立たれたおかげでほんのりと焼けている肌が嫌でも目に入る。  腹直筋が刻む深い溝は色濃く陰影をつくり、横腹へと続くくびれは滑らかでありつつも引き締まって見えた。  広い胸筋から逞しい肩口にかけて流れる筋はまるで彫刻のようで、その胸板の厚さを誇示している。  子供にしては完成し過ぎている体躯にロレティカは言葉を失っていた。  固まるロレティカに無表情で見下ろすサルクが何かを喋ろうと口を開く。  ──刹那サルクの背後に立ったレイリス殿下が背中をバシッと叩き、「イッ」と歯を食いしばるサルクの短いうめき声が口から出てきた。 「殿下? 何ですか。痛いなぁ」 「バカまる出しで筋肉自慢してる奴を回収しに来てやったんだ。感謝しろ」 「バカまる出しって……だってこんな機会、次にあるかどうか」 「嫌われたいなら止めない。俺は行くぞ。ロレティカ、悪かったな」  レイリス殿下が謝ってくれたことに対して、コクコクと何度も頷くことでしか返せない。  痛がっていたサルクは「嫌われる」と顔色を悪くしてショックを受けているようだ。 (筋肉自慢だったのか……)  そもそも自慢したい年頃がサルクにもあったことに驚いた。  リュンデン家の血筋には当たり前のことだから、他人に見せびらかすものでもないだろうに、と思ってしまうのだが。追い打ちをかけるような真似はしない。  レイリス殿下が去った後、サルクは気を取り直して表情を和らげた。 「控え室でも言ったように剣術の稽古頑張ってるんだ。それを知っててもらいたくて」 「少しだけど互角稽古してるのを見たよ。一生懸命でかっこよかった」 「そうか。騎士服に着替えてくる。その衣装可愛いよ。俺の瞳と同じ、緑が良く似合う」  衣装の色に気づいてくれたことが嬉しくて、ロレティカの胸の高鳴りが大きくなった。  令嬢が身の回りの物や色にこだわる理由が分かった気がした。  まるで気持ちに気づいてくれた気分になれるのだ。心を独り占めしてるようなそんな気持ちになれて。  好きな人が振り向いてくれたことが、泣きたくなるほど胸を締め付ける。 「ありがとう」  一言囁くと公爵がサルクを呼んだ。「じゃぁ」と手を振って駆け足で皆のもとへ戻る後ろ姿をうっとりとしながら見送る。  この衣装にして良かったと満足した気分で、一人愉悦に浸っていた。  しばらくしてバレック殿下たちもシャツ姿で現れて、レイリス殿下たちがいる部屋へと入っていった。  間があってすれ違うようにレイリス殿下と見習い騎士がぞろぞろと隣室から出てくる。  レイリス殿下の貴公子然とした登場に嘆息する。  手を小さく叩いてロレティカは皆の歩く姿を眺めていた。  騎士の白を基調とした正装姿は圧巻である。  特に騎士団の紋章が入ったケープが揃うと団結力が表れる。  それぞれの剣も一等品なようで、華やかな服を身に纏う王子の隣に立っても見劣りしない。  これが将来の王太子で、次期国王になる人なのだと全身に熱が走った。 (サルクの騎士服、カッコイイ──! 前髪後ろに流してるんだ!)  白い手袋をキュッって嵌めて、剣を撫でる仕草が何よりも雄々しくて、内心ジタバタ身体を動かしたいほど夢中になった。  公爵の話を聞く横顔は仕事モードに入ったのか、真剣な眼差しで、左肩に流れるケープに施された刺繍がキラキラと煌く。  リュンデン家の紋章は、群れで行動し獲物を仕留める狼だ。  レイリス殿下の装飾には王家の紋章が至るところに刻まれていて、モチーフは太陽を抱えた獅子だ。  太陽は天上の神を示し、獅子が人間を示しているのだが、抱えているのは大事にするという表れと学んだ。  それほどエドライ国では、神話に出てくる女神を崇めている。  ロレティカが回帰前、離宮で眺めていたあの女神像の人物だ。  ただ、その容姿をロレティカは知らない。学院で学ぶのは当時の衣装や女性であり、初代国王と結ばれた話のみ。  ロレティカの永遠の研究は、女神像のリアルな情報を得ることになるだろう。    バレック殿下とオルガたちもドレスコードに着替えた頃、タイミング良く一人の使用人が訪れた。 「そろそろお時間ですが、準備のほどはいかがでしょうか」 その問にフォロバトン侯爵とリュンデン公爵が答える。 「大丈夫だ」 「いつでも行けるぞ」  バレック殿下も心待ちにしていたようだ。髪をかきあげて扉へと歩みを進めた。  後に続くようにロレティカは後ろからついていく。  横からはレイリス殿下が先を行き、二人の王子が並んだ。 「楽しみだね」  ふと話し掛けられてロレティカは視線を上げる。  緊張はしてないのか、いたって普通だ。  ロレティカは少し緊張していたりするのだけれど、目立つ者が隣にいてくれることが心強くて、「そうだね」と返事が出来た。  

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