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第36話

 大広間の前に着くと警備をしていた騎士が扉を叩いて中に呼び掛ける。  内側にも誰かがいるらしい。男性の太い声が扉越しに聞こえた。   「バレック・シーク・エドライ殿下ご入来! レイリス・ルッツ・エドライ殿下ご入来!」  重厚な軋み音とともに扉が左右に開かれた。  そして二人の殿下が光に満ちた大広間へと入り、追うようにロレティカも一歩踏み入れる。  舞踏の間は一階から二階が吹き抜けになっていて、現在、ロレティカたちがいるのは二階だ。  中には壁画の天井が近く、綺麗なシャンデリアがそばで光輝いていた。  そしてすぐに下る階段があり、先を歩む殿下方は足元に気をつけながらゆっくりと下りていく。  ロレティカもサルクの後に続いて下りようとしたのだが、手摺りの合間から一階にいる大勢の貴族が見えた途端に、向こうからも姿が見えたようで視線が集まった。  王家に招かれた観衆に異様なほどロレティカにだけ視線が向けられている。  それは勘違いじゃなく、ひしひしと肌で感じていた。  向けられた好奇の目には身の危険を感じるような、敵意に似ている別の感情が混ざっているようで、思いがけない悪意を前に喉をヒュッと鳴らして息を呑んだ。 (どうして──)    混乱する思考の端である光景が脳裏を過ぎり、過去にもあった大勢の目をまざまざと思い出した。 (だめ、だ……。一度目の人生はこの視線に怯えて逃げ出した。どうしようもなく怖くて──、それ以降大人たちと目が合わないようにと出来るだけ上を見上げないようにしてきた)    じゃないと大人の欲に押しつぶされそうで怖かったのだ。  そして今、何も変わらずに足が震えていて、これ以上前へ足を進められそうにない。  今世は何か違うかもしれないと、もしかしたら精神的に弱かっただけかもしれないとそう思ったのだ。  けれどそれは、浅はかだった。  いざ観衆の目に晒されて、取り乱した心は殻の内側へと閉じこもろうとしている。  けれど心の隅っこで、同じ過ちを犯したくないという気持ちも確かにあって──。   酷く冷えきった指先を絡ませて、立ち止まった場所で何も出来ずに留まっていた。  今なら分かる。 (この視線は全部、王子じゃなくて俺に向けられている……!)  息が不自然に上がって、震える手を止めようと必死にジャケットの裾を握りしめる。  成人へと時が流れる中で、取り繕うまでには慣れたと思ったのに、大勢を前にロレティカは自身ではどうすることも出来ない無力感を感じていた。  誰かに助けてもらいたい。  その手に縋りつくようにくっついて背後に隠れたい。 (だめだ……、自分でなんとかしないと……)    頭から神経に信号を出して、震える脚で一歩踏み出すと、うまく命令が出せなかった身体は案の定、階段を踏み外し、前方へと倒れるように視界が傾く。  けれど身体はガシッと固定されて宙で止まった。視界が戻ると、その時になってサルクが支えてくれたことに驚いた。 「大丈夫?」  血相を変えた顔を覗き込むようにサルクが心配してくれる。  肌寒く感じた腕には温もりが渡ってきて、狭まっていた視野が広がった気がした。   「ぁ……、の……。だい、じょぅ……ぶ、じゃ、ない」  多くの貴族が何故ロレティカだけを注視してくるのか分からない。  考えられる理由もないから尚更、浴びせられた感情がどういったものなのか言葉に出来ないのだ。  口を閉ざしたロレティカの冷えきった指先を、サルクは温めるように両手で包み込む。   「うん、大丈夫。俺が連れて行く」  ハッキリと告げるその口調に勇気づけられて、微かに上げた視界いっぱいに捉えたのは、晴れやかな草原を映しこんだ緑色の瞳と陽だまりのような朗らかな笑みだった。  その明るさに引きずられて、凍えていた身体に体温が戻り、いつしか震えは治まっていた。 「行こう」 「うん」  一歩一歩、段差を下る度に揺れる白いケープを見て、ロレティカは微かに口角を上げていた。  純白の騎士服は純潔で、穢を知らない。恐れたりもしない。  強く、気高い、高貴な存在で。  絵に描いたような騎士の優しさに触れると安心出来た。  その様子に先を歩いていたバレック殿下が忌々しげに眉間に皺を寄せる。    「チッ、愚図め」 「言葉が悪いですよ、兄上」  諌めるレイリス殿下を一瞥してから、鼻をならしたバレック殿下は階段を降りきると、壇上にいる陛下のもとへと歩きだす。  そうして皆が辿り着くと、ずらりと並んだ子供たちを見て陛下は何度も頷いていた。  すると端に控えていた宰相がレースを手にゆっくりと近づいてきた。そしてロレティカの頭上でレースを広げるとふわりと被せてくれる。 「陛下からこちらを」 「ありがとう」  見えていた景色が少し悪くなってしまうが、その悪さが隠れている気持ちにさせてくれて落ち着けた。  感じていた視線も陛下と王子に注がれているようで、息の詰まるほどの緊張がやっと解けていった。  壇上から見下ろすパーティーの景色は壮観で、近くから歴史的な瞬間に立ち会っているような面白い気持ちになれる。 「既に知っている者もいるかと思うが紹介しよう。我が息子、長男のバレック・シーク・エドライと、次男のレイリス・ルッツ・エドライだ」  二人の殿下は一歩前へと踏み出して、それぞれ流れるような動作で一礼した。  どうやら既に仕草で性格があらわれているようで、模範的な格式高いお辞儀をしたのがレイリス殿下で。  少し大袈裟で癖のある身振り手振りを加えたバレック殿下を見て、らしいなぁと思ってしまった。  ロレティカにとって、どっちが美しいかは言わずもがなレイリス殿下の方なのだが、派手さを求める者も、カッコイイと憧れるような子供も少なからずいるので、単純に好みの問題なのだろう。  そんなことを思っていると陛下が色んな方向へと目配せしながら話を続けた。 「今はまだ研鑽の身だが、これから色々な経験を通じて立派に育つことだろう。皆にはそれまで息子たちの成長を見守っていてほしい」  陛下は話を締めくくると持っていたグラスを持ち上げた。  その様子に控えていた執事の盆から、ロレティカのような王子付従者たちや、サルクたち護衛騎士候補にもグラスが手渡されていく。  注がれているのは果実水だ。差し出されたグラスを片手で持って軽く掲げる。  貴族たちも各々自分たちのグラスを陛下に向けて捧げる。  王妃も席から立ち上がったことを確認して、陛下は一層声を張り上げた。 「──では、彼らの未来を祝して、乾杯!」  陛下の快活な声に呼応するように、会場のあちこちでグラスを打ち合わせる音が響き渡った。  二階のフロアでは最初の音楽が奏でられ、貴族たちの談笑が混じり合う。  ロレティカが口元に持っていくと、隣のサルクがグラスを出してきた。振り向くと、手を揺らす動作で誘われていることに気づく。  応えるようにグラスを寄せれば、一緒に触れ合わせてチーンと涼やかな音を立てた。  それから今度こそグラスを傾けて、喉を一度だけ小さく揺らした。  かろやかな甘い香りが鼻から抜けていくことに、桃の果汁だと気づく。 (美味しい……)  早生種を使っているようだ。  仄かな酸味もあって、爽やかな味わいになっている。  その美味しさに何度も唇を湿らせていると、王子と話していた陛下がこちらを向いた。   「せっかくのお祝いだ。お前たちも楽しんで来なさい」  頷いて壇上から下りると、待ち伏せていた老若男女問わず大勢の貴族がぞろぞろと殿下の周りに集まり出す。  ここから先は各々社交的能力が問われるのだが、今まで誰とも遊んだこともないロレティカに近づく同年代の子供はいなく、手持ち無沙汰になっていた。  なので、何もないだろうけど近づく相手の仕草に集中することにして、バレック殿下のすぐ後ろに控えていることにした。  しばらく殿下に話し掛けてきた十人目が離れていった頃にもなると、会場ではそれぞれの有力者の家門を筆頭に派閥の群れが出来上がっているもので、ロレティカとオルガの立ち位置もくっきりしていた。  静かに会場内を眺めて立ち続けるロレティカと、剣術仲間に囲まれて笑って過ごすオルガ。  社交界に適していそうなのはどちらなのかくらい子供でも察せられるほどで、ロレティカに近づこうとする者は誰もいなかった。  

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