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第38話

 サルクは何も喋らずに、足先は迷わず芝生を踏んで歩いている。  やっと足を止めたのは、白の大理石からなる大きな噴水の前だった。  水飛沫が月明かりを浴びて輝き、火照った身体を涼ませてくれる。 「ここが良いかな。座ろうか」  一度ロレティカを下ろすと、肩飾りとして付いていた仕立ての良いケープを外して、子供でも腰掛けられる水盤の縁に敷いた。  その手付きに迷いはなく、ピクニックシートのように扱っている行動に、ロレティカは感心を覚える。  前世でサルクはそれなりに人気だった。それなりにと言うのは派閥の垣根があるからだ。  けれど、こんなことを目の前でされたらさぞ令嬢からモテるだろうな。──と、思う。  何と言うか大事にされている気がして少し照れくさい。  誘導されるままケープの上に思い切って座ると、膝先でサルクが跪いた。   「顔が見たい。そのレースを上げてもいいかな?」 「う、うん」  上目遣いで見上げてくるサルクに胸がきゅんとする。  騎士が跪くのは主への忠誠や、令嬢へのプロポーズくらいだ。  気のあるロレティカからすれば、サルクがどういうつもりだろうと、勝手に内心で舞い上がってしまう。  無意識でやっているのだろうが、やること成すこと本当に突拍子もない。  言われて被り物を取ろうとロレティカが手を上げると、サルクは大きな手を軽く添えて制した。  代わりに前側のレースだけを静かに持ち上げて、後ろに流してくれる。  現れたロレティカの瞳をサルクは穏やかな眼差しで見つめていた。  顔がさっきよりも熱く感じる。まともに視線を受け止められず、俯いてしまうとスッと立ち上がって自身もロレティカの横に腰を下ろした。  チラリと見れば夜空を見上げている。 「星が綺麗だな」 「──うん。そうだね」  未だになぜ庭園に連れて来られたのか分からず戸惑いが勝っているのだが、リラックスしているサルクの様子からして、ただ静かな場所で二人で喋りたかっただけなのかもしれない。 (水を差したくないから言わないが、中身が成人している俺としては、普通の令嬢だったらいきなり庭園へ連れて来たら驚くと思う。前世では妻になったミーナ嬢にどう接していたんだろう……。無言で何処かに連れて行くなんてことしてたのかな……)    突っ込みたい気持ちは芽生えたけれど、この穏やかで心地よい時間をみすみす壊すつもりはない。  見上げた夜空は本当に、無性に泣きたくなるほど綺麗だ。  何よりも隣にサルクがいてくれることが嬉しい。  同じ空を見ていることが同じ大地に立って生きていると教えてくれる。 「ロレティカに会えて良かったなぁ」 「……僕もサルクに会えて良かったよ」  嘘偽りのない本音が自然と言葉に出来た。  こんなにも安らぎをくれる人は、この広い世界に他にいないと思うから。  もう一度人生をやり直したいと願って、こうしてまた出会えて自分の選択は何一つ間違っていないと自信が持てる。  それに前世では知らなかった新しい一面を色々と知れた。  同じ時間を過ごせることは、こんなにも幸せにさせてくれる。 「俺のこと、気に入ってくれた?」 「うん。サルクといると安心する」 「じゃあ、もっとくっついてほしいな」  そう言って、サルクが自然な動作で腕を俺の肩に回し、グイと抱き寄せてきた。  ロレティカの頭が少年にしては厚みのある胸板にぶつかる。  いきなりの急接近に、刹那、時が止まった。思考も真っ白に停止した気がした。 「───────。(いっ……、いきなりそんなくっつ……!?)」  混乱するロレティカの耳元で、ふ、と熱い息がかかる。それがさらに身体を強張らせた。 「うん。やっぱりいい匂い。俺、柑橘系の匂い好きだな。美味しそうだよね」 「おいしそ……、う?」 (こいつ、まさか俺を食べる気じゃないだろうな?)  なんだか不吉な予感が背中をゾワゾワさせる。  こういう予感は、ロレティカはあまり外さない。  けれど人間が人間を食うなんて聞いたことないし、それにサルクが柑橘系に反応しているのだから食べられることはないと、大丈夫だと思うのだが……。  ガッチリと太い腕で腰をホールディングされ、逃げられないように固定される。  すると後ろからロレティカの首元に熱い唇が押し当てられた。 「ふぁっ!?」  突然の感触に肩が跳ねて、声を上げたが、サルクは止まらずに項に唇を押し当てて、バードキスのような行動を何度もしてくる。   「くすぐったいよ、サルク」 「ごめんね。でも、いい匂いで、もっと堪能してたい」  そう言われてしまえば、止めることなんて出来ない。まぁ確かにメイドが香水を塗ったのは首と手首足首だったから、首元に鼻がくるのは当然の結果なのだろう。  くすぐったくても、こうしてくっついていられるのはロレティカも心地良いし、放置で良いかなと思った。  すると抱き上げられて膝に乗せられた。  両腕で隙間なく抱きつかれて、続けていたサルクが直後、ガッと鋭い痛みが走った。  噛まれた、と気付いた時にはもう遅い。  想像以上に強めに牙を立てられ、ロレティカは「ひっ」と小さな悲鳴を上げて恐怖に怯えた。 「ロレティカ、可愛い」  それから噛まれた痕を確かめるようにねっとりと熱い舌が這い、執拗に舐め上げられる。 「ぁ……ひっ……ぁ、あ……」  何度も、何度も、徐々に首筋までも舌を這わされて、急に与えられた痛みに喉からは小さな声しか出せず、竦んでしまった身体は震えて怖いのに逃げられなかった。  サルクの方が圧倒的に力が強いのに、腰を掴まれては逃げられるわけがなかった。  すると、また今度は甘噛みでもしているように噛まれる。そして繰り返すように痕跡を遺したその箇所を舌で濡すのだ。   「ぁ……ふ、ぅ……」    吐息が出てロレティカの頭はぼんやりとしていた。  身体が熱を帯びていく。恐怖で強張っていたのに、別の何か気持ちいい感覚が肌の下で全身を巡り、身体が弛緩したりと奇妙に痙攣する。 「ぁ、ぅ……もぅ、やだ……、離して……よ……」  頭を小さく振ってサルクの腕を掴む指に入る限りの力を込める。  必死に逃げようとするがその腕からは逃れられなかった。  けれど口に出せたお陰か、ようやく動きが止まった。ガッチリと捕まった拘束だけは微塵も緩まなかったが……。  身体を捻って振り返ると、見下ろすサルクの瞳が月光を浴びて妖しく光る。  まるで興奮状態に陥っているのか、その気迫にロレティカは涙目で叫んだ。 「や、やだ怖い!  離れてよ……!」 「ごめん、離したくない。もう噛まないから、だから許して」  頭を振ったロレティカを、サルクは背中に頭を埋めて謝る。 「驚かせて、ごめんね。もうしない、噛まないから……」  初めての感覚だった。まるで本当に食われるんじゃないかと怖くて……。  けれど背中に頭を押し付けて謝るサルクの声がだんだん小さくなっていたことに気づくと、ロレティカは唸りながらも拒絶するのをやめた。  グズグズの顔と感情のままだけど、さっきの気迫はもう感じられない。    「……本当に?  本当にもう噛まない?  僕、美味しくないもん。食べないで」 「食べないよ。ロレティカは可愛いから、食べたらもったいない」  サルクはそう言って、今度は宥めるように、啄むような優しいキスを頬に落としてきた。  すると垂れていた足を水盤の縁へと持ち上げられて、横抱きにする。  そこからロレティカを片腕で支えると手を取り、今度は紳士的なキスを零し、五本の指先へと触れる唇が移っていた。  そして再び顔へと寄せられて、おでこから始まり、こめかみへ、瞼へ、鼻、頬、そして口元に柔らかいものが触れて、ロレティカの気持ちは落ち着いた。 「機嫌、直った?」 「うん……」 「正直に言って良いよ。ごめんね、本当に噛まないって誓うよ」  そう言っておでこから口づけをやり直し、ロレティカは二度目にしてやっと事態の異常さを察した。 (なんか、可笑しい?)  普通の子供が首を噛むだろうか。  それにこのキスも、なんかしつこいくらいだ。  すると、唇を舐められたことにびくっとする。 「舐められるのも嫌?」 「舐めるのは痛くないから、大丈夫だけど……」  大丈夫だけど、いくら気が合うとは言え、初めて会った友達にすることじゃない気がする。 「良かった」  すると今度は確信を持てた。  ロレティカの口元に狙いを定めて舐めてキスをしてを繰り返して来たのだ。  バレック殿下を見てきたから分かる。お口同士のキスは、恋人やそれ以上の特別な関係同士ですることだ。 「サルク、待って!  これ、おかしいよ!」 「うん?」  両手でサルクの顔を抑えると、首を傾げられて衝撃を受けた。   「何で首を傾げるの」  どうしたって、噛むのも、舐めるのも、キスをするのも、子供同士で、友達同士ですることじゃない。   「えっと、何がおかしいのか分からなくて」 「だって口づけって、恋人や夫婦がするものでしょ」 「そうなの?」 「え……?」  真顔で聞き返されて、ロレティカは自信をなくす。 「えっと、それは……」  目を逸らして丸めた指を口元に当てて、そう思った理由を整理する。  ロレティカは異性との恋愛じみた交流は経験がない。  けれど学園の友人関係でこんなことをしてるところなんて見たことない。  婚約者の間柄でも、愛しあっている男女がしていたから恋人関係と捉えられる。 (いや、でもそういえば……)  不倫や政略結婚の婚約者は別の相手としていた。それに、この国に恋愛ごとの行為に対しての法律はなかった気がする。  前世の記憶があるせいで、無意識に出来ていたキスの定義が反映してしまったのだろうか。 「別に問題なかった……?」 「でしょ」  首を傾げながらではあったが結論を出すと、サルクが自身の口元をロレティカの頬に押し付けてきた。

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