42 / 44
第42話
会場に戻って来ると、早速ロレティカの名前を呼ぶ声が響き渡った。
「ロレティカ! お前何をしている!?」
「──バレック殿下」
人集りを掻き分けてやって来たバレック殿下はオルガたちを連れて目の前に来ては、腕を組んで怒鳴り散らしてきた。
「お前は俺の侍従だろう! さっきは自覚があったのかと思ったが、そいつらと仲良くするなんて、俺をバカにしているのか!?」
そいつと言って弟であるレイリス殿下を指差すバレック殿下はよっぽど遺憾に思っているのか、周りの目を気にする余裕は持てていないようだった。
未来を背負う王子としては、弟殿下に対して「そいつ」と言って指差す行為はいただけない態度だ。
けれど大人たちは今回で察することだろう。
王子二人の兄弟仲は悪く、その殿下の性格と取り巻きたちの雰囲気の違いも。
そして、ロレティカのことも。
「バカにしてません。でも、離れてごめんなさい……」
「謝って済むと思うなよ! 一度ならず二度までも内通するような奴なんかいらないぞ!」
──だったら捨てて欲しい。
なんて言葉は口が裂けても言えない。きっと言ってしまったら不敬罪として騒ぎ立てるだろう。
とは言え、どうやら頭を下げるだけじゃもう足りないようだ。
それなら一度、バレック殿下の気が済む方法で終わらせた方が良いだろう。
「すみません、バレック殿下。どんな罰で──」
「兄上、ロレティカを連れだしたのはサルクです。勝手に連れだしたことは謝ります。すみません」
頭を下げたロレティカの言葉に、レイリス殿下は遮って一緒になって頭を下げた。
そして名前を挙げられたサルクも隣に並んで頭を下げる。
「ロレティカがあまりに可愛くて、勝手に連れ出してしまいました。すみません」
まさか一緒になって頭を下げてくれるとは思ってもいなくて、どう言葉を紡ぐべきなのか分からなくなった。
まだ疑いの段階で王妃の指示とは言え、幼い頃に怖い目に遭って来たレイリス殿下にとっても、兄のバレック殿下は気に食わない存在のはずだ。
ロレティカだって別に巻き添えにさせるつもりなんてなかったし、寧ろ大勢の前で頭を下げさせるなんてさせたくはなかった。
なのに傍観せずにこうして庇ってくれることが、前世の記憶と真逆でこれからどうなるのか予測がつかなくなる。
三人からの謝罪を受けたバレック殿下も呆気にとられたようで、自身の動揺を舌打ちをして隠していた。
「ふん、これだから頭の悪い奴は」
多少の文句は受け流すべきだろう。非はこちらにあるのだから。
ただ「頭を上げるが良いさ」と少し大人の対応をするバレック殿下の態度にロレティカは違和感を持った。
持ちつつも言葉に従って頭を上げると、バレック殿下はふんぞり返ってサルクを咎めだす。
「公爵家は騎士の家系と聞いたが大したことないな。礼儀知らずな奴は、身の程知らずに俺のものに手をだすから困るんだ。それにレイリスだったか? お前も王城で暮らしてないからか人を叱ること知らないんだな」
サルクへの言葉も、レイリス殿下への言葉も耳に入って来ない。
何を言われるんだろうと緊張でざわつく胸が、身体をその場に縛りつける。
バレック殿下は「見てろよ」と言ってロレティカの前に立った。そして不吉な笑みを浮かべて目を光らせる。
手を上げて顔へと伸ばすバレック殿下の手に、ドクンッと心臓が跳ねた。
「ロレティカ、貴様には躾けが必要だろう。こっちへこい」
そう言って後頭部の髪を掴まれて、髪留めの飾りが乱れて三つ編みに結われていた髪先が落ちた。
乱暴に引っ張られるその扱いにロレティカは「いっ」と短い悲鳴を上げて顔を歪ませる。
あまりの痛みに頭が落ちる直前、バレック殿下の嗤った顔が過って身体が竦む。
膝がついた瞬間、レイリス殿下の荒げた声が遅れて聞こえた。
「なっ……! 兄上!」
「早くこっちにこい!」
脚が崩れて膝立ちになってしまったことにも構わず引っ張り続けるその腕は、ロレティカの必死な手で抵抗をしても離してくれない。
(いたいっ……! 誰か助けて──)
ぶちぶちと髪が抜ける音が耳に聞こえてきて、せめて少しでも距離を縮めて楽になりたい一心に一歩、また一歩と前に進む。
「兄上、やり過ぎです!」
そんなレイリス殿下の言葉の後に、昂ぶっているバレック殿下でさえも立ち止まる低い声が会場に響き渡った。
「鎮まれ!」
その怒号はまるで地響きが起こっているかのような、身体の芯まで震える程の轟きで、その声音には聞き覚えがあった。
「レイリス、リュンデン、ここでの抜刀は許しておらんぞ」
バレック殿下の緩んだ手から髪が落ちて、やっと頭皮の痛みが軽くなる。
涙が頬を伝うその顔で声が聞こえた方を振り向くと、会場の中央から集団を掻き分けて近寄って来る国王陛下の姿があった。
隣には当然のように宰相も伴っている。
「バレック・シーク・エドライ!」
陛下の険しくも威厳のある顔付きにバレック殿下が小さく「ヒッ」と悲鳴を上げた。
足早に寄って来る陛下はバレック殿下の前にどっしりと構え、圧倒的な威圧感を持って見下ろしていた。
そして意外にもバレック殿下に叱るよりも先に、眉を顰めたまま筋の浮いた二本の太い腕でロレティカを抱え上げる。
陛下の険しい声が上から降ってくるのだと身構えていたロレティカは、浮いた身体に茫然として思わず口が開いた。
そんな思考が停止した頭の、乱れた後ろ髪をそのままに優しく抑えつけられる。
そうして我に返ってされていることに気付いた時には、陛下の鎖骨辺りに顔が埋まり、周りからは守られている格好になっていた。
それが少し恥ずかしいと思うと共に、助けてくれた心強い存在に安堵する。
(陛下、来てくれた……)
もうバレック殿下から何もされないことに全身が弛緩して、気が緩んだお陰で激痛で堰き止められて溢せなかった涙をポロポロと陛下の服に滲ませる。
怖かった。
まるで玩具を見るような殿下の仄暗い眼差しも、掴まれている手を解けない無力さを知るのも。
そしてどこに連れていかれて何をされるか分からないことも。
バレック殿下が与えてくるものは全部痛くて、恐怖しか感じない。
「……ぅう、……ひくっ」
嗚咽が喉から零れ出た。
もう怖いことはならないと、陛下に抱きしめられたことで震えていた心が落ち着いていく。
「バレック。これはどう言うつもりだ?」
「これは……。だ、だってロレティカが俺を無視するから悪いんですよ!」
陛下の問に言い淀んだバレック殿下は、ロレティカに責任を押し付けることにしたらしい。
責める言葉がロレティカの背中に浴びせられた。
「はぁ、もしそうならちゃんとロレティカにそう言えば良いだろう。ロレティカを取られたと思うなら、お前から話し掛けにいけばいい。違うか?」
「それは……、でも俺の方が偉いわけだし。それに、ロレティカは俺の侍従ですよ? なのにソイツ等と仲良くなって……、これは立派な内通でしょう!?」
「内通者とは情報を流している奴のことだ。それにお前はしっかり見ていただろう。ロレティカがリュンデン家の三男に抱き上げられて連れて行かれる所を」
「でも俺の侍従なら、すぐに断って戻ってくるべきです!」
「つまりお前は、私の言葉を聞いておらんのだな……」
「は? 何のことですか!?」
「私はお前たちと謁見の間で会った時にこう言ったはずだ。爵位や立場の違いはあれど、お互いに心を寄り添い合って仲良くしてほしいと、そう伝えたはずだぞ」
陛下の言葉にバレック殿下は黙り込んだ。
もしここで“聞いてない”と言えば、陛下からの評価が下がる。それはレイリス殿下の存在を意識している自身が許さないだろう。
だけど“聞いていた”ともなれば、陛下の言葉を無視したことになる。
バレック殿下はもう言い返せないと悟ったのか、「クソッ」と吐き捨てていた。
「それと、バレックよ。お前の側を長く離れたからと髪を引っ張るとはやり過ぎだ。底が知れることになるぞ。もう少し寛大な心を身につけよ。取り敢えず、これは見逃すことは出来ん。この披露宴が終わり次第、部屋での謹慎を言い渡す。今いる友達との時間を大切にしなさい」
「──はい、父上」
拗ねたバレック殿下の声色は、随分と落ち込んでいるように聞こえる。
けれどフォローする気分にはなれなかった。
痛いことをしてきたことが許せない思いもあるし、なにより、もうバレック殿下への忠義など消え失せているのだから。
気になるのはレイリス殿下の方だ。
「レイリス、少しは落ち着いたか?」
「はい」
ロレティカの耳にも響いた陛下の言葉。
(ここでの抜刀は許しておらんぞ、って聞こえた気がする)
陛下が牽制したと言うことは、あの時、レイリスもサルクも腰に佩いた剣の柄に手を掛けたと言うことだ。
何故だろう。サルクに対しては不思議に思わない。
やっぱり騎士と言う肩書きがあるからだろうか。
「ロレティカを守ろうとしての行為だろう。人を守るために振るおうとした剣を責めるつもりはないが、剣は簡単に相手を傷つける。お前の考え方もいき過ぎだ。忍耐力が必要だな。これからそこの三男と一緒に精神も鍛えなさい」
そうレイリス殿下に言い置いて、今度はサルクに伝えているのだろう。
「お前もだ。本能ではなく、場所と状況の判断力を身につけなさい」
「はい。陛下のお言葉、胸に刻みます」
「はぁ……。ファイダと同じで返事は良いのだがなぁ」
すっかり話に聞き入っていたロレティカは、公爵とサルクとは似ているんだなと密かに感心していた。
泣きやんだロレティカのことに気付いていたらしい陛下が、「さて」と言ってロレティカの背中をぽんぽんと優しく叩く。
怒られる順番が巡って来たらしいロレティカは、陛下の腕の中で気が緩んでいたせいもあって、ビクッと大袈裟に身体が跳ねてしまった。
おずおずと姿勢を正して注意されることをちゃんと聞こうと決意したロレティカだったが、「ん」と何かを見つけたらしい陛下に、
「ちょっと待ちなさい」
──と、制されて姿勢を戻された。
ともだちにシェアしよう!

