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第43話 新しい道

 陛下の様子に違和感を覚えたのはロレティカだけじゃなかった。  静かだった宰相が陛下に問い掛ける。 「陛下。どうかされたのですか?」 「……お前も見れば分かる」  それだけ言って陛下は深いため息をつく。  まるで更に頭の痛い問題にぶつかり、悩まされているようだった。  宰相も側に来てロレティカを見ると、「これは……」と息を吐いて一人の名前を呼んだ。   「サルク・リュンデン」 「はい」 「これは誰がやったのか分かるか?」  その質問は既に確信を得ているようだったが、やっと二人が見つけたものに気づく。  具体的な言葉にしなかったが、噛み痕に気付いたのだろう。  陛下が髪留めを取ってせっせと、毛先が項に当たらないようにと斜めに手櫛で梳かしてくれた。  それがとても気持ち良くて、自分のことなのにずっとされていたくて宰相の話が聞き取れなくなりそうだった。 「俺です」 「その顔は悪いことをしたと思っていないようだな」 「何がいけないのですか? 可愛いから痕をつけただけです! 将来ロレティカが従騎士になってくれる約束をしたのでその証です!」  サルクの堂々たる発言に、パーティーでも日常でも滅多にお目に掛かれない宰相の怒りが爆発したようだった。 「何が約束の証だ! 人の首を噛むなど獣のすることと思え!!」    背後ではすごい迫力なのに、どうも陛下の手櫛が気持ち良くて頭が切り替えられそうにない。  でも陛下にはサルクのことを許して貰わないと困る。 「陛下、あのね。お願いがあるの」 「なんだ? サルクのことか?」 「うん。あのね、サルクは僕と友達になりたいんだって。僕もサルクと友達になりたくてね、それでえっと、友達になるちゅうもしたんだぁ」  えへへと照れくさくなって顔の近くで手を合わせると、陛下の表情が凍りついて口角がピクリと動いた。  これはロレティカでも初めて見るものである。  すると宰相が振り向いて確認してきた。 「友達になるちゅうとは、まさかキスのことですか……?」  恐る恐る聞いてくる宰相にロレティカは首を傾げながら肯定した。 「そうだよ」  すると陛下も宰相も頭を抱えた。  ふと、周りにいた何人かの貴族や子供が後ずさり、なにも知らない子供は親に聞こうとして口を塞がれている。 「なんだその友達になるキスとは、誰がそんなことを……」  もしかして宰相も初めて知ったのだろうか。   「サルクが言ってたよ! 大人たちの、夫婦がするのはディープキスで、触れるだけのキスは挨拶なんだって! 閣下も知らなかったの?」 「そんな知識など……。つぅか、あやつめ……。間違った知識を仕込んで……、こんな場所に野放しにするなんて……」  宰相の言葉にロレティカは頭を殴られたような衝撃に襲われた。 「間違いなの?」 「間違い……いや、間違いと言う程でもないが……。取り敢えず、子供で噛むのもキスするのもしない。絶対に。だからもう二度とさせてはならんぞ」 「舐めるのも……?」  あんなに気持ち良かったのに、全部大人にならないとしちゃ駄目なんだ。 「──あんの、ファイダァァ! ファイダどこにいる!!」 「……こ、ここだ」  するとタヴィたちの後ろから公爵が具合悪そうに執事に支えられて現れた。  ぐったりとしている様子で、剣豪と謳われている大男のやつれた顔を見ても構わず宰相は感情のままに責めだした。 「お前どう言うことだ! なにを考えている? アレの何処が兄弟で一番大人しいだ!?」  まるで賊のような絡み方で公爵に質問を重ねる様子は、可哀想な程に一方的で喋る隙を与えないような聞き方だった。  やつれていた公爵だったが、鬱憤を溜め込んでいたようで宰相の質問に、公爵の感情も限界がきたようで「仕方ないであろう!」と一蹴していた。  大人の口喧嘩が始まりそうな様子に陛下が一言、宰相を宥めて、穏やかな話し方で会話に介入する。   「ファイダ公。確か前に聞いた時は、三男のサルクはリュンデン家の血の傾向が薄いと言っていなかったか? だからレイリスの護衛に選んだと言っていた気がするのだが。私の記憶違いだろうか」 「いえ、私もそのように存じ上げております」  間髪容れずに宰相が同意する。  棘のある言い方に陛下は慣れたようで「あまり責めてやるな」と宰相を諌めていた。  咳払いをした公爵は一つ深呼吸をしてから頷いた。 「はい。仰る通りでございます」  陛下の言葉を認めてから、ことの経緯を話し出す。 「誰か一人に強く情を抱く。代々受け継がれる公爵の遺伝です。私もそれを気にして育てていましたが、サルクにはその様子がなかったので、ならばと兄弟の中でサルクを護衛騎士に選出致しました」  似たようなことをタヴィも言っていた。  だから公爵が泣いちゃうよと、サルクは気にも留めてなさそうだったが。  けれどまさか、公爵家の遺伝にそんな話もあったなんて前世では知りもしなかった。  とは言え納得出来る出来事も、話もある。  サルクは浮気は絶対にしない男性だと令嬢から好意を向けられていたのに、婚約者探しはかなり慎重に行われていた。  そこに遺伝が関係していたともなれば、何の根拠もなかった理由と公爵の行動は一貫して頷ける。 「そのはずなんですが……、フォロバトンの子に会ってからはですね、その……」  モゴモゴと語尾を濁す公爵はちらりとロレティカに視線をくべてから、ため息をついて陛下に話した。 「どうやら最初に、女の子と間違えたようで」  本人に視線を向ければずっとロレティカを見つめていたようで、目が合うと静かににこりと微笑んだ。  これは、少しは否定してほしい要素である。  ロレティカとしてはそこまで令嬢ぽいだろうかと、心の傷になっている。  確かに婚約者になりたいなと、断罪される前に思ってはいたが、同じ男性としてやり直しになった以上、少しくらいは男として頼られたい。   「なるほど、それで執着を抱く相手に選んだと?」 「……恐らく」  公爵の自信なさ気な返事に、サルクがハッキリと答えた。    「そうです! ロレティカが俺の──もがっ!」 「お前は黙ってろ! その話はあとだ!」  慌ててサルクの頬を片手で抑えつけた公爵に、サルクは不満気な表情を向けていた。  陛下は考え込んでしばらくの静寂が訪れる。  頭が痛い話だと、サルクを一瞥する陛下の視線は物語っていた。  ロレティカは気になって陛下の裾を引っ張ると、肩をすくめて見上げた。 「サルクのこと、許してもらえない?」 「……ロレティカは噛まれて痛くなかったのかい?」 「最初は痛かったけど、もうしないって約束してくれたから大丈夫だよ! それにね。やっぱり僕ももっとサルクと仲良くなりたい。だから噛んだこと許してくれる?」  首を傾げると、陛下は五秒間たっぷりと躊躇った後に、渋々と頷いた。   「──はぁ、分かった。今回は大事にならぬよう計らうとしよう。フォロバトン卿は来ていないがどこにいる?」 「王妃と侯爵、他数名の貴族が会場から出て行かれた所を見ています。ここへ呼びますか?」 「いや、別の部屋にしよう。呼んでおいでくれ」  取り乱した様子から一変して宰相は綺麗な所作で一礼をする。  そして壁側にいた使用人たちへいくつか指示を出していた。 「ロレティカのお願いを叶えるまえに一つ、分かっていて欲しいことがある」  真剣な顔でロレティカを抱え直すと、ロレティカ自身も優しく手を添える陛下と向かい合って、しっかり聞く姿勢を見せた。 「お前が怪我をされると、心配で眠れなくなるほど私はロレティカのことをすごく大事にしたいと思っている。だからそなたも、良いと思ったことでも体を傷つけることはして欲しくないのだ。──自分を大事にしてほしいと思っている。もちろん、二人がお互いのことを大好きだって想い合っていることはよく分かった。それはとても素敵なことだが、傷付け合うことは二度とあってはならないぞ」  陛下の言葉はなんとなくでしか理解出来なかった。  ロレティカが怪我をすることで陛下を心配させることや、大事にしてもらっていることもちゃんと伝わってきたしそれは理解出来る。  けれど、サルクに噛まれることが傷つけることで、どうして咎められることになるのかが、今のロレティカには難しいことだった。  だから陛下に出す答えはこうなるのだろう。 「分かった。陛下が眠れるように噛まれたら、ダメって言うよ!」  するとううんと思案してから、陛下は少し困った顔で、「まぁ良いか。今はそれで」と頭を撫でてきた。  それから傷の具合をもう一度確かめて、「薬室に行って診てもらいなさい」と一人の騎士を呼び、ロレティカを引き渡す。  そうしてサルクには「居残り」と宣言して、他の子供たちには会場で遊んでいなさいと促していた。  公爵はしっかりと「疲れたら部屋に戻って休んでいいが、勝手に薬室に行かないように」と付け加えることを忘れなかったのでタヴィが項垂れて、笑顔で手を振ってくる。  後ろで使用人に指示を出していた宰相が戻ると、大人たちは今回の終着地の話を始めた。 「治療はこちらが、治療費は公爵家が負担すると言えば良いか」 「それで十分かと。あの小さい身体は虚弱体質だけでは説明がつきません。何かあれば私が揺さぶりを掛けます。あの子は常識を知らなさ過ぎる。だからファイダの息子に付け込まれるんですよ」  宰相の言葉に「だって」とサルクの口が動いた。  サルクとしては他の誰かに奪われて、従騎士にさせたくなかったのだろう。  ロレティカも別に付け込まれたと知っても悪い気分にはならなかった。  寧ろ身体を舐められるのも、キスをするのも子供はしないと聞いて落ち込んでいる。  ロレティカが聞こえた会話はそこまでだったが、最後に視線に気づいてくれたサルクが、手を振ってくれたことが嬉しくてはにかんで手を振り返した。  □   □   □     騎士に抱えられて薬室に着くと、懐かしい女性が騎士の話を聞きながら実際に噛まれた痕を確認し、のんびりとした陽気な声音で「あらまぁ」と囁いていた。  そして口元に手を添えて、「これはすごいわねぇ~」と、薬室長らしく明るい様子で驚いている。  

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