44 / 44

第44話

 薬室長のセドリア・ノルバータ師は“宮廷付き薬師”とあって、薬草の知識量がすごい。陛下の容態が変わった時、薬室とは別に医師がいる中、的確な意見で病名を突き止めて薬を作っていた。  それでも既存薬では大した効果は現れず、新薬開発に乗り出すことになったのだが。  ロレティカとしてはどんな薬師よりも堅苦しくなく、接しやすい薬師だった。  だから任務で負った怪我は出来るだけ王宮で受けるために我慢する時もあった。長く空いた傷口は大変なことになっていて、怒られながらお世話になったこともあるけれど……。  豪快な笑い方と治療の時の真剣な眼差しに、優しい手付きは心地よかった。  多分、母親の面影を探していたんだと今なら分かる。  そして陛下を亡くした後、ロレティカの善意はこの人だけに向けていた気がする。  例えば女性薬師をやっかむ男性薬師からだったり、宮廷付き薬室長の座を狙う同業者だったりと、どうしても陰険な人間がいるようだったから。   「サルクの噛み痕、そんなにすごい?」 「真っ赤になっててね、ちょっと傷が出来てるわよ。本当に痛くないの?」 「……本当はね、ちょっとズキズキする」  もしくはジンジンしていると言うべきだろうか。  表現の違いに大した違いなどないだろうけど、傷が見えないから説明しようもない。   「そうでしょう。だって内出血とちょっと出血してる所があるんだもの。リュンデン家の子供に噛まれて、これだけで済んでいるのがすごいわ」 「他にいるの?」 「公爵様の兄君がそうだったわ。本当に似たような状況で、当時の私は無関係だったら何も知らないし、実際に見たわけじゃないけど、薬師になって師匠から聞いてね。その令嬢は血が垂れるほど深くてそれはそれは本当に大事件になっていたらしいわ」    立ち上がるとロレティカの頭を撫でられる。 「あなたも傷を受けたのは同じだもの、身体は大事にしなくちゃね。それにしても、ふふ。公爵家当主は大変そうねぇ」  心配する口振りの割にクスクスと面白がっているようで、肩を震わせながら薬を取りに棚の方へと離れていった。   「だからフォロバトン公子も我慢して庇おうとしなくて良いのよ。じゃないと、リュンデン家の殿方は手加減と言うものを覚えられる方ではないからね」  セドリア薬室長がそう言うのならそうなのだろう。  話の内容も信憑性があって、子供を怖がらせるための冗談ではない気がする。  またサルクに会ったら、少し話をしよう。もう二度と食われるくらいの強さで噛まれないように。  セドリア薬室長は棚にあった液体薬と軟膏薬の二種類を持ってくると、液体薬を塗る前に一言、「すこし沁みるわよ」と前もって教えてくれた。 「うん」    ロレティカが覚悟を決めた様子を見てから、薬室長は液体薬を布に染み込ませてトントンと傷口に接触させた。  接触した直後、背筋が伸びる程のジンジンとした痛みに息が止まった。 「──ッ! うぅぅぅぅ」 「あらあら。我慢強いわね。次は軟膏を塗りますよぉ」 軟膏薬を塗り終わると小さくカットされた布を当てて包帯を首に巻かれて治療が終わった。 今日一日の疲れが出て欠伸がこぼれると、少し休みたくて、ごろんとベッドに寝転んだ。 そしたらもう瞼が重くなって、眠気に勝てず閉じた瞼はもう持ち上げることは出来なかった。 すると足音が聞こえて誰かが入ってきた気配があった。 「あら寝ちゃったのね」 そんな薬室長の声とナイトテーブルに何かが置かれた音が聞こえても、深い深い眠りへと潜っていたロレティカは返事が出来なかった。  意識が浮上すると扉を引く音に目が覚めた。  気になっていた上半身を起こして寝ぼけ眼で部屋を見渡していると、薬室長の声が聞こえて更に陛下も連れていることに気付いた。 「そろそろ六時間は経ちましたし、起きる頃だと思うので話くらいなら大丈夫かと」 「そうか。こんな時間にすまないな」 「いえ。部屋で仕事をしていますので、帰る際はお声掛けください」 「あぁ、分かった」 そんな会話のあとに戸が動き、部屋を覗いた薬室長と目が合う。 「あぁ、起きていますね」 「そうか。話が出来て良かった。明日の朝までに返事を聞きておきたかったからな」  入ってきた陛下の衣装は変わっていて、チュニックに羽織り物と言う身軽な服装をしていた。  部屋に入ってきた陛下の存在にロレティカは起き上がろうと足をベッドの端から投げ出すと手で止められた。 「立ち上がらなくて良い」  コクリと頷く。  頭がまだぼんやりとしていて欠伸がこぼれ、口はどうにも動かす気力が湧かない。   「起こしてしまったかな」  ふるふると首を横に振る。  側にいて欲しくて、両手を伸ばす。  優しい陛下はすぐに意を汲んでくれて、ロレティカを抱えると膝上に乗せるようにベッドに座る。 「やっぱり軽いな」  落ち着いた低い声。  手触りの良い洋服。  その下に隠された太い腕。 (やっぱり優しい)  咎めることをせずに、ロレティカの甘えたい気持ちを受け入れてくれた太い腕は、普段執務机に張り付いているような筋肉量ではなかった。  一見すれば細い身体は実際はリュンデン公と同じくらいガッシリしていて、剣術はかなり高度な技量を持ち合わせている。  それも学生の頃から公爵と剣を交えて互角に渡り合ってきた成果なのだろう。  更に宰相も同年代の付き合いで、腕力に任せた力ずくの剣と、考えながら対峙する剣とで対極の剣を常に訓練相手にしてきたはずで。  狩猟大会だって定期的に行い、弓術もお手の物だと聞く。  実際に目にする機会はなかったが、狩猟大会が近くなると宰相がよく称賛しているのをよく耳にしていた。  陛下はロレティカを腕の中にすっぽりと収めると、ロレティカが眠らない内にと単刀直入に気になる話題を口にした。 「サルクのことだがな」  パッと脳が冴えて、陛下を見上げる。  どうやらロレティカのための意図した言葉選びだったらしい。  サルクと聞いて瞼が上がったところを見て、陛下はふっと口元を手で抑えて小さく吹き出していた。  少し恥ずかしいけれど、ロレティカが本当にサルクのことを好きなんだと理解してもらえているようで嬉しくもあった。 「今回は治療でかかった費用を公爵が払うことで手を打った。謝罪もしたからもう騒ぐことはないだろう。何よりも当人たちがすでに赦し合っているのに我々が言い争うのもな、大人げない話と言うやつだ」  つまりサルクがフォロバトン家から責められることはなくなったということだ。  良かったと思って胸を撫で下ろしたロレティカは、お願いを叶えてくれた陛下にせめてものお礼をと思って、手を回してぎゅうっと抱きついた。  これがお礼の代わりになるかは分からないけど、今してあげられることはそれしか思い浮かばなかった。  回しきれない腕を限界まで伸ばして、手のひらで高級生地で作られているだろうチュニックを握りしめる。  それだけのことだったけれど、抱きしめ返す腕や背中を撫で下ろす手から満足げにしているのが伝わってきた。  そんな頭上からもう一つ話があるのだと言葉が続けられた。 「ロレティカ。ここからが本題なんだがな」  回した腕を解いて見上げると、首を傾げる。  先程の話が本題だとばかり思っていたのに、更に重要な話があるらしい。  他に何かあっただろうかと考えてはみたが、皆目見当もつかない。   「屋敷で大人たちから意地悪はされてないか?」  そんな質問にロレティカの目は大きく開き、ぎゅっと拳をつくってキツく握り締める。  喉が萎んだような気もした。  「すまない、今は眠くて喋れないか」  ──もしも──と頭の中で巡りはじめる言葉がある。 (もしも今、ここで全てを打ち明けられたら、陛下はその後に続ける言葉に頷いてくれるだろうか)  全てを打ち明けて、更に酷くなったら怖いと思うと同時に、もしかしたら本当に辛い日々から逃れることが出来るかも知れないという期待や高揚が身体の中でぶつかり合う。  俯いて、首を横に振る。  話したい。でも、確証が欲しい。  安全だと思えるその確証。 (だけど、陛下はいつだって僕を──)  誰よりもロレティカの心を優先してくれる人だ。   「……ぁ、……ぁのね。……ぼく、……ゃ、部屋に閉じ込められてたの。……それで、その……」 「ゆっくりでいい。どんなことをされてきたのかちゃんと聞かせておくれ。そしたら私はお前を守ると誓おう」  手を取る大きな手にロレティカは勇気をもらえた気がした。  侯爵やバレック殿下が与えてくる恐怖心よりも、ロレティカの心が優先すべきは安らぎを与えてくれる人たちを信頼して、正直に話すことだと思った。  例えばそれが更に不幸になることになっても、陛下の味方でいる人たちと、ロレティカの持つ人脈や未来に繋がる記憶があれば、王妃が相手でも対抗出来ると思うから。  

ともだちにシェアしよう!