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第45話

 ロレティカは思い出せる記憶の中から、母親が屋敷を去った後に地下に閉じ込められたことや、三人のメイドから世話をされながら家庭教師と過ごしてきた一年と、家族からは一切干渉がなかったことを話した。  裾を握り締めた手は真冬を迎えたみたいに冷え切っていて震えていた。  言い終えると陛下はただ前髪をそっと撫で下ろしてくれる。  見上げた視界に映る陛下から向けられた瞳はいつも変わらない。労りと哀れみと、もう一つ。何度も失くして、もう二度と手に入らないと絶望の淵に沈ませてしまった愛情が混ざっているようだ。   「その小さな身体でよく頑張ったな」    囁きに目の奥では焼けるような熱を持って、目尻に溜まった涙が瞬きをするとぽろりと水滴となって落ちていった。  嗚咽がこぼれ出そうになって唇をぎゅっと窄める。 「……ゔん」    ずっと頑張って生きてきた。   ロレティカなりに出来ることを一つ一つ。  結局、侯爵もバレック殿下も誰一人認めてくれなくて、人生なんて早く終わってしまえば良いって思ってた。  そんな暗闇からサルクが見つけてくれて、今また陛下と出会えた。   やっと認めてもらえたような気がする。  本当は胸の中に溜め込んでいたわだかまりを、全て吐き出してしまいたかったけれど、それが嗚咽に混ざって出てきそうで、歯止めが利かなくなるのが怖い。  息を途切れ途切れに吸ったり吐いたりして、俯いたまま縋りつくように陛下に掴まった。  ポロポロとコップがいっぱいになりそうな量の涙で、ロレティカは小さな袖を濡らし続けた。 「お前はとても勇気があって、人を思いやることが出来る優しい子なのだなぁ」  陛下の言葉にロレティカはそんなことはないと首を振る。  思いやる気持ちなんて持ち合わせてなんかない。ましてや優しい子供でもない。けれど今世ではそういう風に生きたい。  二度と虐殺をするようなことはしたくないのだ。  好きな人や優しい人たちと共に生きる未来が大事で、それを一緒に叶えてくれる存在に巡り合えたのは、ロレティカの人生で一番の幸運なのだろう。 (陛下とずっと一緒にいたいな……。前世では最後を看取れないことが唯一の後悔と言えるから)    そのためにも今がチャンスなんじゃないかと思う。  膝の上でぎゅっと手を握りしめて口を開くと、先に陛下が話し出した。   「ロレティカ、私と一緒に暮らさないか? 一度侯爵から離しておきたいのだよ」  目を大きく開いて、バッと顔を上げる。  まさか誘ってくれるとは思わなかった。  レイリス殿下のことで後ろめたさがあるはずの陛下が、他の子供を王宮に迎えて一緒に暮らそうだなんて考えられない言葉だ。  ロレティカは断られることを覚悟していたのに。     「ぼ……、僕、王宮で暮らせる? 陛下と一緒……?」 「あぁ。それにこれは謁見の間でロレティカから先に言ってくれた言葉だろう。なら、ずっと私のそばにいなさい」  これは幻聴だろうか。  何かがあって泣く時、いつも悲しい気持ちが胸にあったけれど、今はうって変わって、すごく晴れた空の下にいるみたいに巡る熱が心地いい。 「──うん、いる。いたいの。でも……、良いのかな? 僕、何も持ってない。王子たちにも嫌われたくない」 「大丈夫だ。バレックは離宮にいるし、レイリスにも話をしたが、今は公爵家にいたいらしい。それにしっかり守って欲しいとも頼まれてな。約束を反故にしたら私が嫌われそうだ」 「──そっか。良かった」  陛下も嬉しそうに話すのは、レイリス殿下としっかり話が出来たからだろうか。  二人のことを知っているロレティカからしても、すごく喜ばしいことだった。 「レイリス殿下が良いなら良かった。僕ね、陛下のお手伝いが出来るように頑張るよ! だからそばにいたい!」 「よし! 部屋はもう調えてある。明日、皆とお別れしたら、部屋へ行くと良い。私と同じ階に部屋は置いたから何かあったらすぐに来なさい」  陛下と同じ階……。  ロレティカとしては客室を間借りするような感覚でいたけれど、陛下の気持ちはそうじゃないらしい。  厳重な安全を確保された部屋と同じ階層にある部屋なんて、すごく優遇されているとしか言いようがない。  どうやら周囲に分かりやすく特別扱いするのは、陛下の意図するものが何かあるのかもしれない。  それが何かはロレティカには分からないけれど、これは嬉しい誤算である。 「ありがとう、陛下。大好き」  心が躍り、思わず呟いた言葉は自然と溢れたものだった。  本当に完璧な心遣いだ。  特に王宮にはバレック殿下もとい、王妃も居ないし、すごく都合が良い。  レイリス殿下の母君の一件から夫婦仲は良くないと聞く、だから王妃は別の宮殿にいて、こちらから出向かなければ二人からの干渉は最小限に済む。  本当に陛下は神様みたいだ。 「ロレティカを王室に迎えられて、私は嬉しく思うよ」  きゅうぅと胸が締め付けられる。  大好きな家族と一緒にいられることがこんなにも幸せなんだと、ロレティカは緩んだ頬をそのままに身体を揺らした。      陽射しが射し込む廊下を侍女の後を追いながら歩いていた。  昨夜はあのまま薬室で休み、陛下は自室へと帰って行った。  扉を閉める前には「おやすみ」と軽く手を振って部屋から去っていた。  (今日の夜も──)  同じ言葉を言い合えると思うと、ついニヤけてしまう。  誰かに見られる前に直そうと頬に手を当てて押し上げたり、下げたりと表情筋をコントロールしようとするけれど難しかった。  今度は頬をむにっと摘まんで引っ張ると、通りすがりのメイドたちがロレティカを見ながら「可愛い」と黄色い声で騒ぎ立てている。  皆の反応が少し恥ずかしいけれど、ニヤけ面で知り合いと会うなんてしたくないから手が下ろせない。 (それにしても、俺を知ってる使用人が一気に増えた気がする)  目立つことをした覚えはないのだが……。  顔を覚えられているのは王宮暮らしで声が掛けやすくなると思えば悪くない。 (──と言うか、今どこに向かっているんだろう?)  薬室でカーテンの隙間から漏れる光と、セドリア薬室長の声に起こされたロレティカは噛み痕の容態をもう一度検診された後に、廊下にいたメイドたちの手によってお風呂へ入れられた。  浴室から上がれば顔や身体に化粧水やクリームを塗りたくられ、髪を乾かされてシャツとズボンを着せられて現状に至る。  取り敢えず呼ばれるままに付いてきたが、案内をする侍女と、後ろから付いてくる騎士に挟まれて宮廷の廊下を歩いていた。  完全に行き先を聞きそびれてしまっていて、今更だけど聞くべきなのか「ううん」と唸りながら顔をしかめて悩んでいたロレティカの様子に気付いたらしい侍女が振り返って謝って来た。   「気づくのが遅れて申し訳ございません。朝から歩き疲れましたよね」  突然のことに驚いて言葉を忘れる。  侍女が後ろに目を配ると騎士に抱え上げられて、二人はまた颯爽と歩き出した。  どうやらこれは疲れていると誤解されたようだ。   騎士はとても人見知りで寡黙な性格なのか、出会い頭の挨拶はペコリと頭を下げるだけで、声は一切聞けていない。 (──と言うか、侍女の言葉に対して「違う」と言えていない。……もういいか。筋肉痛で足が痛かったし、この方がとても楽だ。行き先も多分、この侍女ならしっかりしているから大丈夫だろう)  騎士に抱えられたロレティカは考えを放棄して身を委ねることにした。    繋がった隣の建物まで来ると、ある一室へと入ってから下ろされた。  ここが目的地らしい。  見渡せば室内には大量のファッションアイテムが置かれている。  奥へ進む侍女に、ロレティカは靴に近寄って見比べてみれば同じ形の物はなく。どれも一級品のようだった。 「──衣装ルーム?」 「はい。とは言え、どれも陛下が幼い頃に着てきたものですが」 「へぃ……?」  信じられないことを聞いて最初に自身の耳を疑った。  口を開いて唖然と硬直するロレティカの様子に、侍女は陛下からのお言葉を楽しそうに話す。 「『放置していては服が可哀想だろう。新しい服を買うまでは私の古い服を仕立て直して着せてやってくれ』とのことです。流行りの過ぎたデザインではありますが、上質な生地で大切に保管されていた洋服ですから着心地は保証できますよ」  確かに昨日着ていたジャケットはくたびれて、朝餐会に着て行くには心許なそうではあったが、侯爵の荷物には今日の着替えが入っているのだ。  そんな陛下が一度腕を通した衣装を自身が着るなんて、もう光栄なんてものじゃなく、不敬千万で即時に牢屋行きになってもおかしくない。   ロレティカは頭を振って一歩後退る。  すると後ろにいた騎士の脚に背中がぶつかって口を大きく開いたまま顔を見上げる。  騎士はパチリと瞬きをしてメイドの方へと目を逸らす。  その仕草に流されてロレティカも正面へと顔を戻すと、侍女は一番手前の衣服から何枚かのジャケットを取り出して見せてきた。 (陛下の服が……)  気になるのは陛下の私物を一介の侍女が平然と触っていることだ。  あり得ないことに遭遇した気分だったけれど、ふと侍女の顔に見覚えのあることに気付いた。 (──あっ! この人、陛下の幼馴染みだ!)  腕に布を掛ける仕草に、やっと記憶の中の人物と結び付く。  前世では遠目で二度くらいしか見かけなかったからすぐに気が付かなかった。  学院の中等部からの知り合いで、今は信頼出来る侍女として側にいてくれているのだと陛下が話していたのを覚えている。  陛下が着ていた衣装の管理を任されているのも頷ける。  侍女は二種類用意してくれて、ロレティカに聞いて来た。 「どちらにしますか?」   「えっと、み……みどり」 「こちらですね。宝石はこの辺りが似合うと思いますが、付けたいものありますか?」 「青の……」 「陛下の瞳の色ですね。この色も合わせてみてよろしいですか?」 「う、うん。(どんどん話が進む……!)」  侍女が選ぶものは全て洋服と調和性があり宝石選びのセンスがあるようだ。  早着替えで身支度を終えると、ロレティカは鏡を見て確認した。  

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