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第26話 花咲く乙女たち
「よく来てくれたね。」
「それ,さっきも聞きました。」
「え、ああ。私は多分緊張しているんだな。」
莉央はこれを聞いて自分の緊張がほぐれるような気がした。
(偉い先生でも緊張するんだ。)
アトリエには先生のものと思われる作品が飾られていた。
シュールレアリスムでも、どれもディスクリプティブ(描写派)と呼ばれるタイプの絵だった。
緻密な描き込み。非現実な情景が現実に忠実に描き込まれている。マグリットやダリのような。
莉央の絵がエンブレマティック(表象派)なら、沼田先生の絵は描写派と言えるのか。
「キミにはあの絵のように現実が見えているのか?」
「そうですね。何か薄い膜越しにボヤけて見えるのです。」
「視力の問題ではないのかね?」
「そうですね。普通に裸眼で本は読めますけど。」
(ずいぶん失礼なジジィだ。)
初めの畏敬の念は消えてしまった。だんだん腹が立って来た。
「失礼なので帰ります。」
莉央が立ち上がると先生はオロオロし始めた。
「気分を害したのなら許してください。
どうか帰らないで。ゆっくりお茶でも飲みましょう。」
そう言って奥からポットの乗ったワゴンを押して来た。思った通り紅茶とマドレーヌだった。
「先生はプルーストを読むんですか?
意外と凡庸だ。」
莉央の毒舌が帰って来た。元々莉央はシニカルな人間だ。
人と話す時、皮肉屋になってしまう。対人恐怖なのが返って攻撃的になるのだ。
ソファを勧められて腰掛けると先生も隣に座って来た。距離が近い。
ソーサーを持ちながら紅茶を飲む先生は気難し屋の顔を取り戻していた。
「紅茶の淹れ方が素晴らしい。美味しいです。」
「マドレーヌを紅茶に浸して食べるんだよ。
プルーストの気分だろ。」
「まるで花咲く乙女、ですか?」
「よく本を読んでるね。キミの年代では珍しい。」
トレーの紅茶ポットの脇に置いてあったレモンの輪切りを一枚口に含んで、先生は莉央にくちづけをした。老人とは思えないスマートさで。
莉央は初めての経験だった。
レオナルドダビンチのような沼田先生が素敵に見えて来た。ーー
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