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第60話
仕事を辞めてから、
俺は引っ越した。
誰も自分を知らない場所へ。
職場の人も。
母も。
榊原も。
誰もいない場所。
家は思ったより早く見つかった。
荷物も少ない。
引っ越しはすぐ終わった。
とりあえず。
家賃だけは払わないと。
そう思い、
近所のコンビニでアルバイトを始めた。
最初は慣れなかった。
レジ。
品出し。
公共料金。
覚えることは多い。
でも。
周りの人は優しかった。
失敗しても怒られない。
それが少し不思議だった。
スマホも新しくした。
前のものは調子が悪かったから。
店員に勧められるまま買った。
でも。
データ移行というものを知らなかった。
気づいた時には遅かった。
写真。
連絡先。
メッセージ。
全部消えていた。
「……」
少しだけ困った。
でも。
仕方ない。
そういうものだと思った。
それでも。
スマホを開けば、
どこからか榊原の名前が目に入る。
新作映画。
インタビュー。
CM。
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人気俳優。
売れっ子。
知っている。
ずっと前から知っている。
なのに。
画面の中の榊原は遠かった。
指先で記事を閉じる。
胸の奥が少し痛む。
ほんの少しだけ。
チクッと。
風邪の時とは違う。
でも似ている。
「……」
理由は分からない。
ただ。
その痛みが消えるまで、
しばらくスマホを見つめていた。
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