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第104話

その日の夕飯は静かだった。 いつもなら。 今日あったことを少し話したり。 榊原が仕事の愚痴を言ったり。 そんな時間になる。 でも今日は違った。 「……」 「……」 食器の音だけが聞こえる。 湊は何度か言おうとして。 やっぱり言うことにした。 「あの」 「ん?」 榊原が顔を上げる。 「少しの間」 「自分の家に帰ってもいいですか」 空気が止まった。 榊原の箸が止まる。 「え」 その一言だった。 「なんで」 声は穏やかだった。 でも。 どこか冷たかった。 「怪我をしたせいもあるし」 「自分の部屋も空気の入れ替えとか」 「ダメ」 即答だった。 「え」 「ダメ」 もう一度。 「どうして」 湊が聞く。 榊原は少しだけ眉を寄せた。 「空気の入れ替えくらいなら」 「俺が一緒について行ってもいいじゃん」 「でも」 「この話終わりね」 それ以上は許さない。 そんな声だった。 湊は口を閉じる。 それ以上何も言えなかった。 静かになる。 冷房が効いているわけじゃない。 なのに。 二人の間を冷たい風が通った気がした。 そのまま夕飯は終わる。 食器を片付ける。 お風呂に入る。 いつも通り。 いつも通りのはずなのに。 胸の奥が重かった。 迷惑だっただろうか。 いなくても困らないのに。 最近ずっとそんなことばかり考えている。 お風呂から上がる。 ドライヤーを終える。 今日は一人で寝よう。 そう思った。 少しだけ。 一人になりたかった。 寝室ではなく。 ゲストルームへ向かう。 すると。 「どこ行くの」 後ろから声がした。 振り返る。 榊原だった。 「え」 「こっちだよ」 寝室を指差される。 「でも」 「こっち」 有無を言わせない。 結局。 寝室へ連れて行かれる。 ベッドへ入る。 湊はできるだけ端へ寄った。 邪魔にならないように。 少しでも距離を取るように。 そうしたつもりだった。 なのに。 ぎゅっ。 突然だった。 背中に腕が回る。 抱きしめられる。 「……」 何も言えない。 離れようとも思わない。 でも。 温かいとは思えなかった。 今日だけは。 怪我をした指を見る。 小さな絆創膏。 前の職場でも。 コンビニでも。 休めと言われた。 何もするなと言われた。 ここでも。 帰るなと言われた。 じゃあ。 自分は何なんだろう。 役に立っているんだろうか。 ここにいていいんだろうか。 隣からは規則正しい呼吸が聞こえる。 榊原はもう眠っているのかもしれない。 湊は絆創膏を見つめたまま目を閉じる。 その夜は。 なかなか眠ることができなかった。

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