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第106話
家にいるのが辛くなった。
榊原が悪いわけじゃない。
前の職場の人達も。
コンビニの人達も。
誰も悪くない。
みんな優しかった。
優しかったのに。
その優しさが苦しかった。
何もするな。
休め。
大丈夫だから。
そう言われる度に。
自分は必要ないのではないかと思ってしまう。
「……」
気が付けば立ち上がっていた。
財布。
鍵。
スマホ。
それだけ持って家を出る。
連絡はしなかった。
したら止められる気がした。
気付けば自分の家の前に立っていた。
鍵を開ける。
久しぶりの我が家。
誰もいない。
静かだった。
部屋の隅へ座り込む。
膝を抱える。
「……」
涙が出た。
何が悲しいのか分からない。
でも止まらなかった。
何も出来ない。
誰の役にも立てない。
迷惑ばかりかけている。
そんな考えがぐるぐる回る。
部屋の隅でうずくまっていると。
少しだけ落ち着いた気がした。
どれくらいそうしていただろう。
気付けば窓の外は夕方だった。
オレンジ色の光が部屋へ差し込んでいる。
「……」
まずい。
榊原。
絶対怒っている。
何も言わずに出てきた。
連絡もしていない。
もうあの家には帰れないかもしれない。
そう思った瞬間だった。
スマホが震える。
画面を見る。
榊原。
心臓が跳ねた。
出るか迷う。
でも。
指が勝手に動いた。
「はい」
『どこにいる!!』
怒鳴り声だった。
思わずスマホを離しそうになる。
「じ、自分の家に……」
『そこ動くなよ!!』
電話が切れる。
「……」
静かになる。
来ないで。
そう思った。
お願いだから。
今は。
今だけは。
来ないでほしい。
でも。
願いは叶わなかった。
しばらくして。
インターホンが鳴る。
立ち上がる。
玄関へ向かう。
鍵を開ける。
ドアを開ける。
そこには榊原がいた。
息が上がっている。
髪も少し乱れていた。
必死な顔だった。
「ごめんなさい」
謝ろうとした。
でも。
ぎゅっ。
強く抱きしめられる。
「……っ」
息が詰まる。
榊原の腕が少し震えていた。
「またいなくなったかと思った」
その声を聞いて。
胸が痛くなった。
「ごめんなさい」
涙が滲む。
「ひとりでいるのが辛くて」
榊原は何も言わない。
ただ抱きしめている。
「何も出来ない自分が嫌で」
視界がぼやける。
「みんなに迷惑かけてばっかりで」
前の職場も。
コンビニも。
榊原も。
みんな優しい。
優しいのに。
自分だけ何も返せていない気がした。
「怪我しただけなのに」
涙が落ちる。
「休めって言われて」
「何もしなくていいって言われて」
「俺……」
言葉が詰まる。
「俺がいなくても」
「みんな普通に回ってて」
榊原の服を掴む。
「いる意味あるのかなって」
ずっと胸の中にあった言葉だった。
部屋が静かになる。
しばらく。
本当にしばらく。
沈黙が続いた。
そして。
「あるよ」
榊原が言った。
即答だった。
「ないわけないじゃん」
「でも」
「でもじゃない」
珍しく強い声だった。
榊原は少しだけ体を離す。
赤くなった目で湊を見る。
「俺さ」
「湊がいなくなった時」
息を吐く。
「あの時本当に怖かった」
「……」
「電話しても繋がらない」
「どこにいるかも分からない」
「生きてるかも分からない」
湊は目を伏せる。
全部事実だった。
「だから」
榊原は続ける。
「帰りたいって言われた時」
「ダメって言った」
「……」
「ごめん」
その言葉に湊は顔を上げた。
榊原が謝るとは思わなかった。
「帰りたい理由を聞こうとしなかった」
「俺が怖かっただけ」
「またいなくなるんじゃないかって」
そう言って苦笑する。
「情けないよね」
違う。
そう言いたかった。
でも。
涙で声が出ない。
榊原はもう一度抱きしめる。
今度は優しく。
「湊」
「はい」
「怪我したから休めって言われたんでしょ」
「はい」
「それは必要ないからじゃない」
「怪我したからだよ」
「……」
「コンビニも」
「スタッフも」
「俺も」
「湊に休んでほしかっただけ」
胸が痛い。
でも。
少しだけ温かかった。
「役に立つとか」
「立たないとかじゃないんだよ」
榊原は小さく笑う。
「俺なんてさ」
「湊が家にいるだけで嬉しいし」
「洗濯物見てるだけでも笑うし」
「ソファにダイブして俺の上で寝るし」
思わず変な声が出る。
「それ今言います?」
「言う」
榊原は笑った。
久しぶりに見た。
安心したような笑顔だった。
「帰ろう」
静かな声。
「一緒に」
その言葉に。
湊は小さく頷いた。
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