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 プロジェクト推進チームの面々は、朝からパソコンに張りつき、プレゼンの最終調整に入っていた。  決戦を明日に控えた営業部内は、ピリピリとした緊張感に包まれていた。近藤の顔つきもいつになく険しく、何度も部屋を訪れては「入念にチェックしろ」と言い残して去っていった。  近藤が来るたびにビクッと肩を震わせていた梓に、瀬里は苦笑いを浮かべながら言った。 「自分が落ち着かないからって、人の邪魔をするのだけはやめてほしいな」  瀬里といえば、焦る様子もなく優雅にコーヒーを口に運んでいる。その様子に、チームメンバーは驚愕した。 「瀬里さん、余裕ですね?」 「ここまで来たら焦っても仕方ないだろ。それに、みんなが協力してくれたおかげで、プレゼンの資料は完璧に整っている。その場の状況でA案、B案を上手く切り替えれば済むことだ」  瀬里が焦らない理由。それは前回の失敗にあった。緊張感とプレッシャーに打ちのめされ、冷静な判断ができない時ほどミスは起こりやすい。身を以って経験した瀬里だからこそ、周囲の緊張感をもろともせず、マイペースを貫けるのだ。  二年もの間、瀬里に対して淡い想いを抱き続けてきた梓。先日、やっと想いを通わせた二人だったが、仕事に私情は持ち込まないという瀬里の言葉に賛同し、会社では相変わらずな関係を続けていた。それでも、彼への感情をゼロにすることは難しい。何かにつけて、彼の姿を目で追ってしまう。それは瀬里も同じようで、時々視線を感じて彼の方を見ると、書類を見るふりをして梓を見つめては、口元を綻ばせていた。  いつ誰に知られるかも分からない社内で、好きな人のそばにいられる喜びと、バレてしまうのでは……というスリルを同時に味わうことなど一度もなかった。目が合うだけで心臓が跳ね、何気ない会話を交わすたびにフワフワとした感覚が梓を戸惑わせる。  今まで、梓が恋だと思っていたものは、食事とセックスをするだけの関係。相手の都合に振り回されても、黙ってそれに従うだけの冷たい時間。思いやりもなく、ただ体を繋いで快楽だけを貪るものだった。  そのギャップに戸惑う一方で、恋をしなければ知ることもなかった新たな発見の連続に、梓の胸は嬉しさと恥ずかしさで、毎日張り裂けそうになっている。  そんな浮ついた思考を、苦いコーヒーで何度も飲み下す。明日のプレゼンには、梓たちの宿敵である前島も参加するのだ。気を引き締めなければ、これまでの努力が水の泡になってしまう可能性がある。何があっても、彼にだけは負けたくない。それは、瀬里も同じだろう。  キーボードを打っていた指が、ふと止まる。忘れかけていた、不安要因がムクリと頭を擡げた。梓は、チラリと瀬里に目を向け、すぐに液晶画面を見つめる。彼にはまだ池松のことを伝えていない。サーバールームに出入りする彼の姿は、つい数日前まで確認していた。  プロジェクトのデータは、社内共有サーバー内に保存されている。これは、チームメンバー同士の情報共有だけでなく、近藤や幹部役員のチェックを容易にするためだ。このデータを閲覧するには専用のパスワードが必要になる。だが、保存されているサーバーから直接アクセスすれば、パスワードがなくても閲覧できる可能性はある。そのためにはSEと特別管理者のみが知るコードが必要だ。  経理部で、管理部内に精通している池松なら、何らかの手段でそのコードを入手することができるかもしれない。一体、何のために――? その答えは一つしかなかった。ライバル会社の社員である前島に、データを盗むよう頼まれたとしか考えられない。そうなると、こちらのプランは事前に前島の手に渡り、下手をすれば一番力を入れたい部分だけ盗用されることもある。  プレゼンは、主催者の目的に対して要望からズレることなく、より本質を押さえた提案ができるかにかかっている。各社、押さえるポイントは様々だが、これだけは譲れないというものを持参するはずだ。前島が、どんな汚い手を使っても利益を追求する男であることは、瀬里の話や社内の噂だけでなく、梓自身一番よく分かっている。それゆえに、絶対に渡したくない人物だった。  明日までに、瀬里に伝えなければいけない。それなのに、タイミングが掴めない。徐々に不安と焦りが募ってくる。マウスを握る梓の手が微かに震えた。 (どうしよう……。今から新たなプランを作成するなんて、無理だ……)  その時、マウスを握る梓の手を、瀬里の大きな手が包み込んだ。 「落ち着け……」 「瀬里さんっ」  弾かれるように顔を上げた梓の表情に、瀬里の眉根がキュッと顰められる。 「――どうした? なにを焦っている?」  彼には嘘がつけない。心の中はすべて見透かされている。梓は、自分が今にも泣きそうな顔でいることにも気づいていなかった。 「梓……」  瀬里は、周囲に聞こえないようにトーンを落とした声で梓の名を囁いた。きつく閉じられていた唇が震えるのを止められない。それでも、彼は優し気な眼差しで梓を見つめた。 「一人で抱えるなと言っただろ? 何のために俺がいるんだ?」  彼の強い意思をもった言葉に、涙が零れそうになる。心の内に秘めていることが苦しいことは、自分が一番よく分かっていたはずなのに……。 「瀬里さん、俺……。俺……あなたに、黙っていたことが、ある」 「なんだ?」  梓は椅子を蹴って立ち上がると、瀬里の手を掴んで部屋を出た。もう、限界だった。チームのメンバーには聞かれたくない。でも、何とかしなければ時間がない。  自分ひとりでは、何もできないと分かっている。もっと早く誰かに伝えていればよかった――後悔が梓を襲う。  梓は人けのない非常階段に向かうと、踊り場まで一気に駆け上がった。掴んでいた瀬里の手を解きながら、乱れた呼吸を整える。 「梓?」 「明日のプレゼン……。今のプラン、使えない……」 「え……? どういうことだ?」  梓は、サーバールームに出入りしていた池松のことを瀬里に話した。そして、会社以外の場所で、前島と池松との間に交友関係があったことも……。  真剣な眼差しで、黙ったまま話を聞いていた瀬里が口を開いたのは、梓がその場に力なく座り込んだ時だった。どれだけの負担を、体に強いていたのだろう。すべてを吐き出した瞬間、体中の力が抜けた。 「ごめんなさい」と何度も呟きながら項垂れる梓の目の前に、瀬里の手が差し出される。涙目のまま見上げた先にあったのは、唇に柔らかな笑みを湛えた瀬里の顔だった。たとえ恋人であっても、仕事と恋は別物だ。仕事に関しては妥協を許さない瀬里のことだ、間違いなく怒鳴られる――そう覚悟していた。それなのに……。 「一度見た人間の顔を忘れない、お前の能力はすごいな」 「え?」  瀬里の口から告げられた予想外の言葉に、梓はポカンと口を開けたまま彼を見つめることしかできなかった。梓の腕を掴み上げ、ゆっくりと立たせた瀬里は、彼のスーツについた埃をパンパンと軽く叩いた。 「そのおかげで、トラブルは未然に防げた。ありがとう……。また、お前に救われた」 「でもっ。今からプランを大幅に変更することは、無理なんじゃ……っ」  焦る梓を目の端に捉えた瀬里は、自身のネクタイを直しながら余裕の笑みを浮かべた。いつ見ても自信に溢れ、何も怖いものはないという強気な表情は、目が離せなくなる。自身の不安をもろともしない彼の強さに、さらに惹かれていく。 「簡単なことだ。新しくC案を作ればいいだけの話だ」 「作るって……。そんな時間はもうっ」 「サーバーに保管してあったデータは全部じゃない。要となる数量や単価、物流ルートについては、俺が管理している。漏洩のリスクは、社内だから大丈夫という根拠のない安心感から起こる。プロジェクト始動時、早々に回避策を講じるのが基本だ。俺が、チームメンバーを指名したのはそのためだ。口が堅く、信頼のおける者だけをそばにおいた。そもそも、誰が見るか分からない場所に、易々と入れておくわけがないだろう」  梓は息をすることすら忘れ、淡々と話す瀬里を見つめることしかできなかった。不意に瀬里が梓の腰を抱き寄せた。その瞬間、ハッと我に返り、いきなり入り込んできた酸素に激しくむせ返った。 「大丈夫か?」 「はい……ゴホッ。今から間に合いますか……ね、ゴホッ」 「心配は無用だ。そのために優秀な人材を集めたんだ。梓、お前もその一人であることを忘れたわけじゃないだろうな?」  意地悪気な笑みを浮かべて覗き込んだ瀬里の顔が近づく。恥ずかしさに思わず目を逸らすが、ふわりと鼻腔をくすぐった彼の香水からは逃れることができなかった。力強い腕が梓を抱き寄せる。そして、梓の耳朶を甘噛みした瀬里の唇がゆっくりと動いた。 「お前がいなかったら、俺はきっと逃げていた。二年前と同じように……」  その言葉に弾かれるように、梓は瀬里に向き直った。ブレることのなく梓を見つめるこげ茶色の瞳には、もう過去の苦しみはどこにも見えなかった。彼の瞳に映るのは、梓とその先の未来……。 「瀬里さん……」 「緊急ミーティングのあと、作業開始だ。さっさと終わらせて、帰るぞ! 本番前にダウンするなんて、ありえないからなっ」  梓の髪にそっとキスを落とす。そして、瀬里の大きな手が、ぐしゃりと髪を撫でた。その手に何度、救われてきただろう……。今回のことだって、パニックになってもおかしくなかった。早々に報告しなかったことは、皆に責められて当然の大罪だ。それを彼は、咎めることもせず許してくれた。 「瀬里さんっ」  歩き出した大きな背中を呼び止める。梓の声に振り返った瀬里は、スラックスのポケットに浅く手を入れて、小首を傾けた。 「俺たち……勝てますよね? アイツに……勝てますよねっ」  瀬里はクスッと喉の奥で笑うと、背筋を伸ばして言った。 「絶対に成功させる。これ以上、アイツの思うようにさせてたまるかっ」  イタズラを思いついた子供のように無邪気な笑みを浮かべた瀬里は、梓に手を差し伸べた。その手に縋りつくように駆け寄った梓は、瀬里の背中に額を押し当てると、自分に言い聞かせるように言った。 「歯車は動き出した……。もう、何が起きても、俺たちは止まらない」 「空回りは、動き出す力を蓄えるための大切な時間だった――ってことだな」  梓の声に応えるように、瀬里がぼそりと呟いた。小さく頷いた梓は、瀬里の上着をギュッと掴むと、細く息を吐き出した。 「負けない……。絶対に、負けない」  年月を経てガッチリと噛み合った二人の歯車が、ゆっくりと動き出す。その音が、高鳴る心臓の音とシンクロした。梓は、瀬里の体温を感じながら、強く目を閉じた。  *****  プレゼンテーションの会場は、主催者が用意したホテルの会議室だった。参加企業の担当者は皆、緊張した面持ちで落ち着きがない。梓もまた、少しでも気を抜いたら、その場にへたり込んでしまいそうになるほど緊張していた。だが、それを寸でのところで堪えることができたのは、隣りに立つ瀬里とチームメンバーの存在だった。 「瀬里さん、そろそろ時間ですね。先方の機器とこちらのパソコンの動作環境に問題はありません。確認できる時間をいただけたことに感謝ですね」 「そうか。あとは、俺のスピーチと筑野のサポートにかかっている――というわけか」 「不安はまったくないですよ。筑野も……その……。正直、驚いてます。当初は足を引っ張られるんじゃないかって不安ばかりでしたけど。彼のやる気に、逆に感化されたっていうか……。やっぱり瀬里さんの目に狂いはないなって……」  チーム内でシステム管理を任されている相田(あいだ)が、瀬里に熱っぽく語っている。そばにいた梓は、聞こえないフリを決め込んでいたが、自然と口元が緩んでくるのを止められなかった。  自身の努力が瀬里だけじゃなく、他のメンバーにも認められていたことが嬉しかった。それに、最近になって気づいたことがある。以前はあれほど躍起になっていた承認欲求への執着が薄れたように感じられた。努力をすれば認められるのは当たり前。それを見てくれている人は必ずいる――という安心感が、梓を負のスパイラルから救った。  誰かに認められるまで頑張らなければいけないという、凝り固まった思考を壊したのは瀬里だった。 「――筑野。そろそろ、行くか?」  瀬里の声に、ハッと我に返った梓は、ゴクリと唾を呑み込んで大きく頷いた。資料を持つ手が震える。そんな梓に気づいたのか、肩を並べていた瀬里がさりげなく耳元で囁いた。 「俺たちの努力は必ず報われる。もしダメだったとしても、次のプロジェクトに反映されるはずだ。これだけが俺たちの仕事じゃない。もっとやりがいのある、大きな案件が待ち受けているかもしれないしな」  彼の言葉に励まされる。強いばかりではない、優しさと甘さが絶妙にシェイクされた言葉は、打ちのめされそうになる心を包み込んでくれる。  止まったら動けなくなりそうな脚を前に押し出し、梓が会議室に足を踏み入れた時だった。 「おや? これは、これは……アルテックのクズ社員がお揃いですな」  周囲に響き渡った声に、皆が振り返る。梓もまたその声に動きを止め、弾かれるように後ろを振り返った。そこには、蔑むような目で梓たちを見る前島の姿があった。隣りにいる瀬里から、ピリピリとした緊張感が伝わってくる。咄嗟に、彼の上着を掴んだ梓は、上目づかいのまま小さく首を振った。だが、瀬里は動揺することなく、一度だけ深く息を吸い込んだあとで、口元に笑みを浮かべた。 「久しぶりだな。調子が良さそうで何よりだ」 「近藤部長も単細胞だな。あれだけチームメンバーに迷惑かけて、あやうく大口契約を逃すところだったクズに、懲りもせずプレゼンを任せるなんて……。しかも、声をかければすぐにその気になって、脚を開くビッチまで一緒とは……。クズが集まったところで、何ができる? どうせ、ロクなプレゼンにはならない。今回の案件はうちがもらうから。指でも咥えて見ていればいい。無能な自分たちを呪いながらなっ」  相手を傷つけることしかしない、前島の辛辣な言葉は二年経った今でも健在だった。何事も頭ごなしに決めつける彼の威圧的な声音に、梓は体が震え出した。無意識でも拒絶反応を示してしまう彼の言動。つき合っている時も、時々その症状はあった。でも、それが何なのか……当時の梓は分からずにいた。でも、今はハッキリと分かる。 「こいつら、ホントに使えないクズなんですよ」  同行した上司らしき男性に軽口をたたく前島を、感情のない目で見つめていた瀬里だったが、呆れたように大仰なため息をつくと、彼に向き直った。 「お前に助けられたことは感謝している。だが……クズ呼ばわりされる筋合いはない」 「は?」 「俺も筑野も、お前がしたことのない努力をしてきた。それが報われることは当然だと思っている」 「努力って……。ただ、派手に空回りしてただけだろ。――特に、セックスしか能がない梓が、努力することなんてあるのか? あぁ……どうやって相手をイカせるか。フェラの練習でもしてるってか」  小馬鹿にするように笑った前島の目が、梓を捉える。猛獣に睨まれたように錯覚し、二年間のことを思い出して体が竦んでしまう。こんな場所で、自身のセクシャリティに触れた暴言を吐く前島に、梓は憤りを感じたが何も言い返すことができない。もし、反論したとしても論破され、すぐに揚げ足を取られるのは目に見えている。  唇を噛んだままわずかに俯いた梓に視線を落とした瀬里は、こげ茶色の瞳に怒気を孕ませて、前島を睨みつけた。 「前島。お前も大人なら、ここで話すような内容でないことは分かっているだろう。それとも、その分別もつかないガキ以下になり下がったか」 「なにっ」 「本来なら、この場で土下座して彼に謝ってもらいたいところだが、ここはプレゼン会場だ。プレゼンの結果が、すべてを明らかにしてくれる」 「どの口が言う? クズの自信がどれだけのものか、見ものだな」  挑むように瀬里を覗き込んだ前島だったが、やけに落ち着きはらっている彼に気づき、訝し気に首を傾けた。 「瀬里……?」 「――今、当社で緊急の幹部役員会が開かれている。経理部、池松が起こした情報窃盗についての審議だ。このプレゼンのために作成したプランだけを盗んだことに関しては、すでに本人から話を聞いている。とある人物に頼まれた――と」 「な……なんだよ、それっ。俺には関係ないことだろ」 「関係のありなしは、プレゼンが始まればおのずと分かることだ。データのバックアップは、別の媒体ですべて残している。もしも、御社がうちのデータを流用していれば、すぐに分かるようになっている。それに……」  言葉を切った瀬里は、彼の後ろに立っている上司らしき男性に視線を向けると、強気な姿勢で言い放った。 「この件はすでに、先方のゼネンコンに報告させていただいています。当社だけでなく、他社のデータも盗用した可能性があるとリークされていたようです」 「な……っ。まさか……。おい、前島っ! お前、なんてことを……っ」  みるみる顔色を変えた上司が、前島の胸元を掴み上げる。その勢いに圧された彼は、言葉を失ったまま何度も首を横に振っている。先ほどまでの傲岸な態度を一変させた前島は「知らない……。俺は何も、知らない」と声を震わせるばかりだ。 「――まもなく始まります。もう、辞退は許されない。お互い、健闘を祈ります」  静かな口調でそう言った瀬里は、彼らに軽く頭を下げると、動けないでいる梓の腰に手を添えた。彼の体温を感じた瞬間、悪夢から醒めたように視線を上げた梓は、自信に溢れた笑みを浮かべる瀬里の表情に安堵した。 「瀬里さん……」  昨日、梓の報告を聞いた瀬里の動きは、迅速でムダがなかった。あっという間に社長をはじめとする役員全員に伝わり、会社中が動いた。ゼネコンへの事前連絡で、児玉ホールディングスがプレゼン参加企業からデータを盗んでいるとリークされていることも明確になり、事態は大きく動いた。各企業、事前に用意されていたプランを急遽書き換えるという作業に追われた。前島たちに知られぬよう、すべてが水面下で行われていたことだ。そして――今日に至った。  この会場に入った時、児玉ホールディングスに密かに向けられていた参加企業担当者たちの冷ややかな視線。それにも気づかなかった前島の傲慢。 「フェアでなければ、勝っても嬉しくないからな」  自身のデータ修正に追われていた梓は、周囲でそんなことが起こっていたことを知らずにいた。そう――会場に来る途中、瀬里に話を聞くまでは。 「――怖かっただろ? 大丈夫か?」 「はい……。ちょっと、スカッと……した」 「俺もっ」  長身を屈めて、いたずらっぽく笑った瀬里の表情から目が離せなくなる。会社では絶対に見せることがない、その愛らしい笑みを知るのは自分だけだと思うと、心臓が高鳴った。  熱くなった顔を隠すように俯いた梓の頬に、瀬里の冷たい手が触れる。余裕ありげに見せているが、瀬里もまた緊張していることを知った。顔を上げると、野性的な瞳と視線がぶつかる。 「もう、怖いものは何もない。突っ走るぞ……」 「はいっ」  梓は、瀬里の言葉に大きく頷いた。

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