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第2話 執着女形役者に囲われて逃げられない

「申し訳ありませんでした」  旅館のオーナーと一緒に保はひぃひぃと悲鳴を上げながら頭を下げていた。  目の前には美しい女性──ではなく、煙草を吸う女のように美しい男が足を崩して縁側に座っている。  地毛の黒髪を背中につくまで伸ばしていたので、保は女性と見間違えてしまったのだった。すらりと伸びる足は羽織の隙間からちらりと見えて思わず目で追ってしまう。毛の1本も生えていない女性のような華奢な足。ふくらはぎは細くしなやかでくるぶしも小ぶりだ。膝から浮き出る骨だけは男らしく骨ばっている。  つい目で追いかけていたのがバレたのか男はジト目で保とオーナーを見つめてきた。その視線はかなり厳しい。虎の尾を踏んでしまったかのような不安が身体中を震えさせる。 「まぁ、もう起きたことは水に流しましょう」  男はふふっと妖艶な笑みで保のことを見下ろしてきた。切れ長の一重に薄い唇。その色は桃色でほんのりと紅い。煙草を吸う指は華奢で長い。美人と煙草の相性にごくりと生唾を飲み込んで見入っていると、男性はにこりと笑いかけてきた。 「君、悪かったね。勘違いさせてしまって」  ふっと菫が咲くような笑顔で謝られ、保はしどろもどろに手を動かす。まるで怒っている様子はなくてほっと安心する。それが伝わらないように保は反省の色を浮かべながら土下座して謝罪する。 「本当に申し訳ありませんでした!」  オーナーに肘で腹をつつかれ、再び土下座をする。まぁまぁと男はころころと鈴のような高い声で笑うと、乾いた髪を後ろで一本に結えた。その仕草が綺麗でじっと見つめてしまう。 「そうだ。君、明日もここで働くんだろう? ちょっと俺の手伝いをしてくれないかな」  唐突にそんな提案をされて断ることもできそうにない。保はオーナーの反応を黙って待つことにした。オーナーが手をすり合わせながら 「ぜひぜひ、うちの若いスタッフでよければ何人でも」  と、笑顔で迫る。すると男は 「君一人で十分だから。うちの手伝いさんが風邪をひいて寝込んでしまってね。簡単な着物の着替えを手伝って欲しいんだ」  そう言ってきた。一人で着替えもできないボンボンなのかと思いながらも、はぁと気の抜けた返事をする。 「ちょっと二人きりにしてくれるかい? ここからは業務秘密のことも話すから」  オーナーは「クレーム対応は大成功だ」と言わんばかりに営業スマイルを残して颯爽と戻って行ってしまう。外の喫煙所は少し肌寒い。六月の珍しく晴れた一日の夜だというのに、どこか芯から冷える冷気を感じて身震いした。 「俺の裸を見せたんだ。高くつくよ」  オーナーがいなくなった瞬間、高圧的な態度に豹変した男を見て保は目をぱちくりさせる。 「俺は峰山幸之助(みねやまこうのすけ)。旅一座で女形をやっている役者だ。ここの宴会場で今日から三ヶ月、昼と夜に公演をすることになっていてね。そのマネージャーのようなものを君に頼もうと思ってる」  ふーっと煙草を吹き出してにこりと笑う。 「きっつい仕事だから、覚悟してね」  ひゅっと喉の奥が冷たくなった。この男、裏表が激しいタイプだな。猫かぶりのタイプだ。保の一番苦手なタイプ。 「名前、教えてよ」  男の口調や間はは独特でつい反射的に答えてしまう。 「保です。萬巳保」 「歳はいくつ?」  甘皮が整えられた手の爪先を見つめながら男が興味無さそうに聞いてくる。保は渋々返事を返した。 「ちょうどこの間、二十歳になったばっかです」  ふうん、と心底興味なさそうに峰山は呟く。視線だけは保に寄越して、じろじろと頭から足先までを観察されて体が固まる。まるで値踏みされてるみたいでいい気持ちはしない。  お客様といえども、こんなに生意気で失礼な態度をとる客は初めてだな。面倒にならなきゃいいけど……。  保は内心ため息混じりにこれからの日々を想像して、ふうと鼻から息を吐いた。 「ここの旅館に三ヶ月泊まることになってるから。公演は平日から土曜まで毎日あるからね。うちの手伝いさんの仕事もしてもらうし、ちょうど土地勘のある人間を探していたから君がぴったりだ」 「そうなんですか」  間の抜けた返事をすると、ふっと鼻で笑われた。 「オーナーから聞いたよ。君、ここが地元らしいね。俺は旅先の観光をするのが唯一の楽しみだから、くれぐれも期待を裏切らないでね。期待を裏切ったら承知しないよ」 「は、はい……」  もうほとんど脅しじゃないか……。  保はひくひくと頬を引き攣らせてなんとか作り笑いを見せる。 「それと、マネージャーっていうのは俺が滞在中の身の回りの小間使いをなんでもやるってことだから。まぁ、わかりやすく言えば俺の下僕みたいなものかな」  この男とんでもないことを言っている。馬鹿な保にもわかった。下僕という響きに違和感を覚えるも、まぁいっかと聞き捨てる。ようは、この人の頼まれごとを黙々とこなせということだ。 「話はおわり。保、俺を部屋まで連れて行って」 「あ、はい」  煙草の火を落とすと着ていた羽織を整えて峰山が保の後ろをついてくる。ただ歩いているだけなのに、背筋がすっと伸びているのがわかる。さすが役者さんだなぁと思って部屋まで案内すると、とんとんと背中をつつかれた。 「なっ、なんですか急に」 「猫背ひどいよ、君」 「先祖代々猫背なんです。うちの家系」  冗談っぽく言うと、にやりと笑うものだからぎょっとしてしまう。 「じゃあその悪い風習断ち切ってあげる。明日から覚悟してね。保」  ぴしゃりと戸を閉められて保は廊下に突っ立っていた。  波乱の三ヶ月間が幕を開けるともつゆ知らず、保は自室となっているオーナーの隣部屋に戻った。明日から平々凡々だった保の日常が変わりそうな予感がした。

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