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第3話 検索《下僕とは》
「こら保! 朝の準備忘れたのかっ。この馬鹿」
翌朝オーナーの雷で保は目を覚ました。
あ、寝坊した。
どっと冷や汗が出てくる。普段こんなことはないのに。
「すみません、すぐに準備します!」
「返事だけは一丁前なんだよなぁ、あいつ」そんなオーナーのぼやきを聞きながら、大風呂に向かって走る。ほんとうは館内を走っちゃいけないんだけど、緊急事態だから仕方ないよな。そう自分に言い聞かせて足を進める。
朝風呂をする客のために、朝一番でお湯を張らなくてはならないのだ。あと三十分で朝風呂が解禁される午前七時になってしまう。
どんっと、角から現れた人に廊下でぶつかった。死角になっていて見えなかったのだ。
「も、申し訳ございませんっ」
急いで謝ると、眠気まなこの峰山と目が合った。ふわぁと大きな欠伸をしてぼんやりと保を見つめる。昨夜とは違ってその表情は幼く見えた。髪の毛もぽやぽやしていて寝癖もついている。こういう人でも寝起きはぽやぽやしてるんだな、なんてことを考えていたら峰山が眉をひそめて保を見下ろしてきた。
「なぁんだ。君か。俺じゃなかったらオーナーにクレームつけてるとこだよ。俺の寛大さに感謝しな」
朝一番から嫌なやつだなと思ってもう一度頭を下げてから風呂に向かう。
大風呂につくとすぐさま蛇口をひねって、この宿の超目玉近くの温泉から引いたミネラルたっぷりのお湯を流し込む。昨夜のうちに掃除は済ませてあるから、あとはお湯がたまるのを待つだけだ。
ひんやりとしたタイルの上で足踏みしながら、風呂にある備品のチェックをする。桶と風呂椅子の場所、地元の養蜂場で取れた蜂蜜の成分を練り込んだシャンプーとリンス。そして、肌に優しいと評判の無添加のボディーソープに、馬油石鹸。
全ての配置を確認して天井近くにある窓を開く。きちんと向こう側から見えないように竹藪で覆っているので安心して空気の入れ替えができる。
このひとときが保の心を癒してくれる。早起きな保の朝の始まりだ。
うーんと大きく伸びをしてお湯が張るのを眺めていると、外からホーホケキョという鶯の声が聞こえてきて耳をすませる。田舎らしいのんびりとした時の流れ。生まれ育ったこの街が保は大好きだった。特にこの旅館は保にとってなくてはならない居場所でもあった。
「これでよしっと」
脱衣所の籠や体重計、そして小さなサウナの掃除を終えてピカピカになった大風呂を見てうんうんと頷く。朝のこの作業が保は大好きだった。誰もいない一番風呂に入れるのもアルバイトである保の特権だった。オーナーからはきちんと許可を得ている。朝食の準備のときに間に合えば風呂に入ってもいいと。
るんるんとした気分でTシャツとハーフパンツを脱いでいると、脱衣所のドアがガチャリと開いた。またおっさんかお爺さんだろうと思ってフェイスタオルを片手に大風呂の扉を開ける。途端に温かい湯気が溢れてきて保はふうっと大きく息を吸う。そのままシャワーの下に歩いて行った。
目を閉じて髪を洗っていると、すぐ隣に誰かが腰かける音が聞こえてきたので耳を澄ました。
「おはよう。保」
まだシャンプーを流し終わっていないうちに声をかけられて目を開けてしまった。
痛い、地味に目に染みる……。
「み、峰山さん!?」
客である手前、名前にさん付けをしておく。心の中ではもうこの男のことを峰山と呼び捨てにしている。目をお湯でばしゃばしゃと洗いながら返答すると「んー?」 と呑気な声が横から聞こえてきた。
「役者の朝は一番風呂から。なんてな」
艶のある黒髪を丁寧に泡立てながらこちらを見つめてくる。真っ黒な瞳に吸い寄せられるようでふるふると頭を振った。昨日、女と見間違えた体はやっぱり綺麗でつい目がいってしまう。それに気づいたのか、峰山は小さく笑った。目元が意地悪に歪められる。
「もっと喜んだほうがいいよ。俺の裸を見れるなんて激レアだから」
妖艶な笑みで囁かれカッと体に火がつくように熱くなる。朝起きてから処理する暇もなかったそこが熱を帯びてきそうになって慌ててタオルで前を隠した。
気づかれてない……よな?
「若いねぇ」
とおじさんじみたことを言って、保の股間を覗いてくる。
うわ普通にバレてる。恥ずすぎて死ねる。
保は 「やめてください」と叫ぶともう一つ隣のシャワーに移った。しかし峰山はなんのそのというくらい軽妙にけらけらと笑いながら髪を流している。
……ほんとに女の人みたいだ。
しなやかな四肢に、薄い腹。厚みのない太ももと、丸く婉曲した尻。すらりと伸びる足には毛の一本も生えていない。
自分とは大違いだ。保はぱぱっと体を洗い終えると一番風呂に飛び込んだ。峰山に見られていても飛び込むのはやめられない。お湯に肌をぴしゃりと叩かれる感触が結構心地いいのだ。
すいすいと湯船の中を犬かきで泳いでいると、峰山が音もなく静かに体を湯船の中に沈めたところだった。なんとなく峰山と離れた場所に体育座りになってぼうっとしていると、峰山がじっとこちらを見つめてきたのでどきりとする。「どきりってなんだよ」と自分でツッコミながら湯船の中であぐらをかいた。
「一番風呂は君が作ってくれてるんだ」
「まぁ、蛇口を捻るだけですけどね」
「へぇ」と何が面白いのかにやにやと笑ってくるので少し身構える。峰山の言動が予測できずに肩に力が入って構えてしまう。
「なんでそんなに離れたところに座ってるの。もっとこっちに来なよ。こっちのほうがお湯あったかいのに」
ひらひらと手を招かれて仕方なくざぶざぶと音を立てて峰山の隣に腰掛ける。
「保。今日から俺はその日のスケジュールを朝風呂に浸かりながら伝えること決めたよ。だから、毎朝ちゃんとお湯を張ってね」
「俺のために」と笑顔を張り付けてこちらを見つめてくる。保は「わかりました」と静かに返事をする。
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