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第5話 女形役者に振り回される日々

「ああ、よろしく頼むよ。うちの花形は口が悪いから困ったら俺のところにおいで」  ふっと柔らかい笑みを浮かべて花房が言う。ほっと胸を撫で下ろして花房を見つめていると、峰山に声をかけられた。 「おまえの主人は俺だろう。花房を見てぽーっとするな」 「ち、違いますよ。イケメンだなって思ってただけです」  そりゃありがたい、と花房が微笑む。優しい人だなぁ……。峰山とは全然違う。物腰が柔らかくて人のいい顔に見入っていると、ぺしりと尻を叩かれる。この遠慮のない動きは峰山に違いない。 「さぁ。着物を持ってきて」  昼の公演まであと一時間。楽屋には役者の姿がちらほら見えてくる。真っ白い顔に紅く引いた紅を見せつけるかのように峰山は保に顔を近づける。 「ぼーっとしない。それに猫背!」  ぐっと背中を押されて浮き足立つようによろめくと、筋力ないなぁと馬鹿にされる。  昼の公演の最終確認に峰山が向かう。裏方の照明や音響担当も出張って、いよいよ開幕が近づいてくる予感に保は一人胸を膨らませていた。劇を生で見ることなんて今後先もめったにないことだろう。  峰山の演じる役はお|紬《つむ》という未亡人で、大正時代の軍家の家系に生まれた一人娘だった。遠い親戚の|常近《つねちか》と人生を共にし、城南戦争で夫を亡くした。それから五年の月日が経ち、形見息子の|喜一《きいち》とともに慎ましい生活を送っていたある日。 「お母ちゃん、お手紙届いてる」  まだ十歳程度の年頃の少年がおかっぱ頭でそうお紬に声をかける。紫陽花色の着物を身に纏った峰山が腰を曲げて子役の少年からその手紙を受け取る。そっと中身を取り出すとそこには羊皮紙が。 「おや珍しい。これは西洋の羊の紙とやら」  峰山がほう、と頬を緩ませて笑う。その瞳は悪戯に光っている。 「喜一、寺子屋へ行く時間だよ」  喜一と呼ばれた少年が舞台の袖に向かって駆けていく。 「お待ち申しておりました」 「やぁや、今日もお美しい」  峰山はそっと黒い睫毛を揺らす。大柄な男がその腕をとった。お紬と関係を持っているオランダの建築士ジョアンだった。  未亡人となってからというもの、お紬は男と逢瀬を共にすることがなかったところに国軍総督の父から紹介された男だった。日本の男など片手でつまみ上げてしまうほどの巨人。峰山扮するお紬は逢瀬を重ねながら、二度目の恋に落ちていく──そんな情熱的な恋物語だった。 「今日もありがとうございました」  劇が終わると舞台の袖からわっと演者が出て頭を下げる。その所作がきちっと揃っていて公演後の拍手が鳴り止まない。キャーキャーと黄色い声援を受けているのは峰山一人である。  公演後、舞台の袖にはけるのをバックステージから見ながら、重い重いと引きずる着物の裾を持ち上げる。ぐるりと帯を取り去って肌着一枚になると峰山は床に腰を下ろした。 「ふぅ、疲れた。保、水」 「どうぞ」  ストローを差したペットボトルに峰山が口をつける。昼間に教わった着物の畳み方を思い出しながら綺麗に整頓していると、ちょいちょいと肩を小突かれた。  夜の部を終えた峰山はどこかほっとしているように見える。 「さぁ一服、一服」  白粉を塗ったままの姿で楽屋から出て行く峰山の後ろにくっついて行くと、舞台の前でキャーキャーと騒ぐ若い女性たちの声が響いてきた。 「あれが俺のファン。うるさくってたまらない」 「お客さんも満員でした。若い方が結構多いんですね」 「ファンの追っかけさんだ。俺と関係を持ちたくて仕方ないのさ」  そうなんですかと舞台関係に詳しくない保は納得する。過激なファンがいるのかもしれない。たしかにそれは少し不憫だ。  喫煙所で紫煙を燻らす峰山を伺い見ると、なんだと目で訴えられる。 「綺麗な顔だなって」 「馬鹿」  ちょっと照れているのか峰山はふんと鼻を鳴らした。 「また猫背。もう何度目の注意だと思ってる」  すみません、と背筋を伸ばした。背中を丸めるのが癖になってしまっているので意識し続けなければ変わらないだろう。 「明日は一日休みだ。俺に付き合え。草餅が食べたい」  子どものようにねだる峰山を見てこの人も子供っぽいところがあるじゃないかとくすくす笑っていると、おいと眉を顰められた。 「いいか。おまえは下僕だ。主人の命令には十の力で応えるんだ。いいね?」 「わかった。老舗の饅頭屋があるからそこに連れてってやる」  ふーっと息を吐き出した先の白い煙を見ていると、舞台で舞をみせた峰山を思い出した。狐のようなつり上がった瞳に流し目。まるでお紬が乗り移ったかのような見事な舞だった。観劇を知らない保から見てもそれは明らかだった。

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