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第12話 悲恋の先にあるもの

 峰山の迫真の演技に会場内が見入っている。花房と峰山だけを目に焼き付けている。それは保も同じだった。役に入り込んでいる二人は、観客をあっというまに江戸の街角へ連れて行く。柳の下で、桜の下で何度も逢瀬を重ねた二人を想像する。二人には結ばれてほしいと誰もが願うはずだ。  保は自分の鼓動が早くなるのを感じて、手のひらをぎゅっと握りしめる。胸の中がそわそわとした。もしも自分が彼らのような状況に陥ったら自分はどう動くのだろうと夢想する。男同士の恋愛に詳しくない保だったが、きっと男女のそれと変わらない真っ直ぐな想いがあればそれでいいのではないかと考える。その想いは二人を一生離さない楔となるはずだ。 「乙一。目を開けてくれ。朝だぞ」  肩を揺すっても何度呼びかけても乙一は固く目を閉じたままだ。国医者を呼びつけ、助けをこうももはや手遅れだという。冷たくなった乙一の体を重吾が激しく揺さぶった。  ころん、と胸元から飛び出してきたのはかつて乙一と出かけた際に買ってやった蜻蛉色の髪留めだった。それで長い髪を束ねているのを何度も見てきた。今は下ろしたままの姿でも、乙一は大切にそれをしまっていたらしい。重吾の咽び泣くような声が会場に響く。花房を見れば、本当に涙を流していた。保は全身を乗り上げるようにして二人の演技に吸い寄せられる。  乙一を土に埋めたあと、重吾は約束通り嫁も取らずに実家の田畑を耕していた。最愛の恋人が亡くなってから三年の月日が経ったある晩。軒先に柿が届けられているのを見つけた。熟れた柿を頬張りながら、乙一のことを考える。柿が好きだといっていた青年のまだあどけない笑顔を思い出し頭を抱える。  その次の日の夜も、家の軒先に松ぼっくりが届けられていた。食べ物ではないので、なんとなく屋根の上に飾っておく。近所の子どもたちの悪戯かもしれない。  来る日も来る日も重吾の軒先には、果物や野菜、花などが届けられるようになった。誰が何のために送ってきているのかわからないそれを捨てるのも躊躇われて家に置いておく。  乙一が亡くなってからちょうど五年が経った朝に、目覚めたばかりの重吾は顔を洗いに井戸に立つ。このあたりは五月になると霧がよく出ることがあり、ゆっくりと足元に気をつけながら歩いていると、何かの影を捉えた。 「盗人か。隠れていないで出てこい」  林の奥に声をかけると、ひょっこりと狐が姿を現した。ちらりと一瞥すると着いてこいというように林の奥深くに向かって歩いて行く。目の前を覆う霧に惑わされないように足音の方へ向かうと、小さな稲荷があった。赤い社の前に狐が座り込む。その瞳と乙一の瞳が重なったように重吾は思えた。 「乙一、なのか?」  縋るような声で狐に声をかけるが、狐は返事をしない。ただじっと重吾を見ているだけだ。 「乙一、乙一」  社の前で何度も名前を呼ぶ。今すぐに会いたい。しかし、それは叶わぬ夢だと重吾はわかっている。それなら夢の中だけでも乙一に会いたい。 「馬鹿だなぁ。相変わらず」  そんな声が林の中から聞こえてきたような気がして重吾は耳を澄ます。からころと笑う高い声が森の中に響いた。声の主を探すため、霧を払うようにして森を駆ける。 「おまえはほんとに変わらないんだな」  足元から声が聞こえて振り向くと、先程の狐が毛繕いをしながらこっちを見つめていた。重吾は妖怪や魑魅魍魎の類を信じていないが、今ばかりはそれに縋ろうと声をかけ続ける。 「乙一、なのか? ほんとうに」  足元に擦り寄ってきた人懐こい狐の尻尾に触れると、なんだと言う目で重吾を見上げてくる。 「おまえ、俺の墓に桜餅を供えていただろう。狐が俺の墓を掘り返して大変だったんだぞ」  間違いなく、乙一の声だった。重吾は膝から崩れ落ちる。  すると、狐に乗り移ったのだと言う乙一が目の前に現れた。人間の姿をしているが、耳と尻尾が生えている。人間に変化できるのは少しの間らしく、よく聞けよと重吾に迫った。 「よく食べて、よく寝ること。そして、俺を忘れること」 「どうしてだ。おまえを忘れたりなんかしない」 「おまえの気持ちはよくわかる。だからこそだ。おまえには幸せになってほしい」  ゆっくりと霧が晴れていく。それと同時に乙一が消えて行くような気がして必死で掴もうとするが、触れることができない。 「俺は十分幸せだった。お前と一緒にいれて、それで十分なんだ。俺はもうすぐ本当に消えてしまう。その前に言っておきたいことがあって、執念深くお前の故郷の山までやってきた。愛してる。おまえといれてよかった。だからもう、俺のことで悲しまないでくれ」  言いたかったのはそれだけだ。そう言うと、人型の影が狐の影に変わっていってしまう。何かを口にする間も無く、乙一は消えてしまった。狐も走り去ってしまい、いつのまに戻ったのか社の前で一人膝をついていた重吾は両手を地面につけて泣いた。 「乙一、乙一」  おうおうと泣く重吾の声が山に響いていく。  それから月日は経ち、婚礼の日を迎えた重吾は桜餅を片手に嫁の家に向かう。灰色の石の前で手を合わせた。線香を置いて、桜餅を供える。そこは乙一の墓だった。亡くなった母の墓は重吾の家の裏手にある。先日、母の墓の隣に移した墓石を水で流した。石の下には乙一が眠っている。 「これでずっと一緒だ」  墓の前で重吾が語りかける。後ろからひょっこりとあのときの狐が姿を現した。軒先に桜の枝を持ってきたらしい。ひどく懐いてしまった狐の背中を撫でてやる。重吾の家に贈り物を持ってきたのはこの狐のだったらしい。   「愛してる。おまえだけを永遠に」  故郷の空は高く澄み切っている。早鳴きの蝉の声が森の奥から聞こえてくるような気がした。  舞台が暗転し、ぞろぞろと役者と裏方が表に出てくる。ぱっと照明が上がったかと思えば会場の片隅からわっと拍手が起こる。鳴り止まないそれに深くお辞儀をして花房が代表して一言述べる。 「本日はありがとうございました」  ゆっくりと拍手の音がまばらになり、観客のひそひそ声が会場を包む。最後に役者の紹介をすると、舞台の幕が下りていった。ざわざわと騒めく観客席から、混乱が生じないように誘導役を受け持っていた保は近くの学校から借りてきておいたコーンとポールを繋げて玄関までの道を作る。半数の客が宴会場を後にしてから楽屋に戻った。

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