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第19話 茜という存在にもやもや

 何言ってんだ、こいつ。ちらりと峰山を見るとぐしゃぐしゃと髪をかいている。そんな仕草を見るのは初めてで、保は二人の動向を見守ることにした。 「幸太郎さん。お夕食の前に風呂に入りましょう。着替えは僕が持っていきますから」 「いや、いい。自分で持ってくよ」 「そうですか。それならお風呂あがりに髪を乾かします。それならいいでしょう?」  保はそんな茜の姿を見て野生の猫のようだと思った。ちょっと我儘というか、高飛車というか。つんとすましているところがある。それに峰山は一苦労しているようだった。 「大風呂はこの時間なら空いていると思います。ぜひごゆっくりお寛ぎください」  茜の手前、深々と頭を下げて部屋を退室した。背中に助けを乞うような峰山の視線を感じたような気もしたが、それを振り返って助けることもできないのでそのまま夕食の準備に取り掛かる。  食堂の中でお膳を運んでいる途中、二人が廊下を歩いていくのを見かけて少し気になる。茜が峰山の近くから離れることはほとんどなさそうだ。これから三ヶ月間の波乱の予感を感じて保はやらやれと頭を抱えた。  風呂から上がってきた二人が旅一座の皆と夕食をとっているのをお茶汲みしながらぼんやりと眺めていた。甲斐甲斐しく世話を焼く茜とそれを断りきれずに受け入れる峰山の姿になぜか胸がざわつく。きっと花房が見ていたら、去年の保と峰山もあんなふうに見えていたのかもしれないと思うと羞恥で頬を赤面させた。茜ほどではないが、峰山の後ろにくっついていた保だったから、なんとなくお手伝いさんの気持ちがわかるような気がして、茜とは案外うまくいくんじゃないかと期待していた。 「保。おはよう」 「峰山さん……おはよう」  劇団うるはが旅館にやってきてから三週間が過ぎた。今日も朝一番の大風呂には峰山と保、そしてくっついてきた茜の三人の姿があった。このところ峰山と二人になれるチャンスは巡ってこない。トイレ以外は茜が付き添っているからだ。公演のときはもちろん、峰山が唯一の楽しみだと言っていた旅先の観光まで朝から晩まで一緒というのはかなり疲れるらしい。珍しく峰山の顔にはクマができていた。 「おまえのせいだぞ、茜。少しは俺にも一人の時間をくれ」  クマを擦りながら峰山が掠れた声で言うと、茜はがんとして頷こうとしない。 「幸太郎さんはもう少し花形としての責任感を持つべきです。クマなんて作って……それが一流の役者だと言えるんですか?」  髪の毛を洗いながら茜がはっきりとした物言いで峰山に迫る。年下で後輩のくせして生意気だなと保は思った。 「いや、だからこれはおまえのせいだからな……」  話すのも疲れたというように峰山が呟く。  二人して同時に湯船につかるので、ざぱぁと湯がタイルの浴室に溢れた。保は窓の換気をして自分もシャワーを浴びていた。その背中に強い視線を感じて思わず振り返ると茜が仏頂面をしてこちらを見ていた。ぎこちなくシャワーと向き合い髪についたシャンプーを洗い流していく。  茜は端正な顔立ちをしている。眉はきりりと太く、その下にある目も二重で大きく特に黒目が大きい。眼力が強いので目が合うだけでびくりと震え上がってしまう。年下になめられたくない一心で保はなんでもない顔をしているつもりなのだが、はたしてどうだろうかといつも不安になる。  二人の向かい側に腰掛け、この空気でいつものように犬かきもできないので静かに肩まで浸かっていると、ふと茜が口を開いた。 「従業員さん。うちの花形の裸はタダじゃないですよ。あとで請求書をフロントに送りますからね」 「は?」  思わず心の声が漏れてしまった。それを聞いて茜は訝しむような目をこちらに向けてくる。おろおろしていると峰山が助け舟を出してくれた。 「茜。こいつは特別だ。前にも言ったろう。去年はこいつに散々世話になったんだ。俺の裸の一つや二つ別に気にしない」  するとむっとして茜が峰山と保の間に割って入ってくる。まるで主人を守る番犬のようだ。 「幸太郎さんはいいかもしれないけど、僕が嫌なんです。ただの一従業員のこの人に幸太郎さんの裸を見せたくない」  なんという忠誠心、と保は目を丸くした。茜はほんとうに峰山のことを心から慕っているらしい。苦笑いを浮かべて言葉を紡ぐ。 「茜さん。すみません。その通りですよね。一従業員の俺には不相応なことですね」  静かに湯船から上がると、ちゃぷんと波が立った。それが峰山の方に伝わると、申し訳なさそうに笑う。 「すまないな、保」 「お二人とも上せないようにしてください」  特に茜に向けて言ったつもりだが、どうだろうか。反応はない。  チッと舌打ちをした茜を峰山が宥める。 「そんなに邪険にしなくてもいいだろう? 保はいいやつだ。ここにいる間は仲良くしてみないか。おまえ友達少ないんだから」 「いやです。あんなちんちくりんのどこがいいのか……僕にはわかりかねます」  ふうっと大きなため息をついて峰山は茜を見つめる。こいつがやってきてからというものプライベートの時間がない。日々舞台をこなしている分、自由時間がなによりも大切なのだ。それを口酸っぱく伝えているつもりなのだが、この少年はいっこうに納得してくれない。そんなに頭が堅かったらいつか潰れるぞ、なんてことも言うのだが本人は全く気にしていないようだった。  せっかく保に会えたのに、まだほんの少ししか話していない。保は峰山にとって唯一心を開いた友であり、弟のような存在だった。たまに悪戯をしてしまうこともあるが、それは男同士なら当たり前のこと。それに保も本気で嫌がっているわけではないから、いいだろうと思っていた。保の前に出ると、大人として、役者としての立ち振る舞いをいっときでも忘れられる。花形の重圧からも逃れられる。心が穏やかになるのだ。はやく保充電をチャージしたいと思いながら風呂から出る。間髪いれずに茜もついてきた。 「幸太郎さん。髪の毛乾かします」  断っても無理矢理してくるので、もう峰山は抵抗するのを諦めている。そんな峰山を茜は嬉しそうに世話するのだから、よくわからない。峰山は茜という人間がまだ理解できないでいた。

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