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第24話 さよならは嫌だけど未来に行かなくちゃ

「……そうか」  ゆっくりと峰山の体が離れていくのを名残惜しく思っていると、紙袋を持っていかれた。へぇ、と軽く頷いてから峰山は保に向き直る。 「おつかいご苦労様」  いつもの様子に戻った峰山を見てほっとする。自分の分の草餅を買ってこなかったので部屋から出て行こうとすると肩を掴まれた。 「昨日の稽古で肩に力が入りすぎてな。肩を揉んでくれないか?」  そう言って正座になる。保は「わかった」と返事をして峰山の広い背中の後ろに回る。幼い頃、父親にした以来なのでうまくいっているのかわからないが、なんとなくの手つきで肩を揉む。峰山は草餅を頬張りながら黙ってそれを受けていた。 「あと一ヶ月だな」 「え?」  不意に峰山が呟く。保はすぐにその言葉の意味を理解する。それは保を悲しい気持ちにさせるものだったから、普段は考えないようにしていた。 「今年は茜のせいでおまえとなかなか話せてやれてないな」  苦笑しつつ峰山が言う。それを保は黙って聞いていた。 「おまえはどうだ? 寂しくないか」 「えっと……」  思わぬ問いに肩を揉む手が止まる。寂しいに決まっている。けれどそれを素直に本人に伝えるのはどうなんだろうと悩む。 「俺は寂しいよ。すごく」 「何で?」  気になってそう問い詰めると峰山は垂れていた髪を耳にかけて照れ臭そうに笑った。 「長くおまえと一緒にいたいから」  ごくんと唾を飲み込む音が聞こえる。自分の喉から鳴る音だった。それはどういった意味なんだろう。ふわふわとする思考では理解が追いつかない。頭だけが時間に置いていかれるような心地がした。  くるりと後ろを振り返った峰山が真剣な顔で迫ってくる。その黒く濡れた瞳に捉えられると体が固まってしまう。 「保はどうなの? 一言、言うだけでいい」  甘ったるい声で近づいてくる峰山にあたふたとしながら、壁際に追い詰められる。  峰山のことは好きだ。唯一俺が懐いた人だから。俺にとってはいい人で、兄のような存在だと思っていた。でも、今目の前にいる峰山は兄じゃない。もっと別の、もっと近しい存在のように見えてくる。 「俺は……」  固唾を飲んで峰山が保を見据える。その強い眼光に耐えきれなくなって目を伏せた。畳の匂いが立ち込めて頭がくらくらとする。 「ごめん。意地悪だったね」  答えを聞き終える前に峰山が遮った。それにほっとしている自分と後悔している自分がいた。峰山は食べかけの草餅を口に含み、美味そうに食べている。さっきまでの緊迫した時間が嘘のように長閑な空気が流れている。俺は何を言おうとしたんだろう。自分でもわからないままだった。  遠慮がちに襖を叩く音が聞こえて峰山は「はい」と返事をする。入ってきたのは茜だった。目を真っ赤にさせて泣き腫らしたような顔で峰山と保の二人を見る。 「幸太郎さん。さっきの返事聞かせてください」  きっと峰山の出す答えはわかっているのだろう。茜の手が微かに震えている。保はそっと部屋を出て行った。この場には自分は相応しくないような気がして逃げるように去った。  夕食の準備をしながら昼間のことを思い出す。いつもと様子の違う峰山に驚いてしまってどう反応していいかに迷った。正しい答えがわからない。頭の中でそのことばかりぐるぐると考えていると、お茶を飲んでいたオーナーに「おい」と声をかけられる。床を掃除していた手を止めて、食堂の椅子に向かいになって座った。 「おまえ大学卒業したら何になるんだ?」  爪楊枝で歯を磨きながらオーナーが問いかける。ずっと旅館で働くものだと思っていた保は曖昧に首を振った。 「まだ決まってません」 「せっかく大卒になれるんだ。こんな田舎じゃなくて都会に出て広い世界を見てきたほうがいい」  オーナーは眼鏡の奥で目を細めた。その仕草が初老の男性のようで思わず吹き出しそうになる。しかし今は真剣な話をしているので、保は息を殺した。 「別に、俺はここの仕事好きだしやりがいも感じてるしずっと働いてもいいかなって思ってますよ」  軽く笑いながら答えるとオーナーに睨まれた。血の気が引いて手のひらが冷たくなってくる。久しぶりにオーナーがキレるとわかって身を縮こませた。 「馬鹿野郎。おまえはもっといいとこで働ける。何年も仕事ぶりを見てきた俺が保証する」  どんっとテーブルを叩いてオーナーが立ち上がった。痛めた腰はだいぶ快方へ向かっているらしい。 「おまえの父親だって息子がこんなところで終わるなんて思ってないはずだ」  記憶の片隅に残る父の横顔を思い出す。残っているのは眩しい笑顔で幼い保を眺める横顔だけだった。 「それなら就職も考えます。それまではここで働かせてください」  首を垂れる保を見てオーナーは鼻息を荒くして食堂から出て行く。保は大きくため息をついて自室に戻った。今日はたくさんの問題が降ってきて頭が回らなくなっている。早く休もうと思ってお風呂セットを片手に大風呂に向かった。

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