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第25話 雨に縋る一週間

 峰山がこの旅館からいなくなってしまうまで、あと一週間のカウントダウンが始まった。保は毎朝カレンダーを見るのが辛くなり気分が沈んでいた。 「おはよう。保」 「おはようございます」  あれから茜はちょくちょく保に声をかけてくるようになった。吹っ切れたような清々しい横顔を見て、彼の想いはついえたのだなと思っていると軽く睨まれる。 「朝っぱらから人の顔ジロジロ見るなんて非常識だ」 「すみません」  といったふうで仲がいいとは言えないが、少しでも距離が近くなるのは嬉しいことだった。それがたとえ残り一週間だけだとしても、この縁を大事にしていきたい。保にとって彼らは外からやってきた新鮮な存在そのものだから。地元にはない華やかさや活発さに満ち満ちている。それが時々眩しくなって目を細めたくなる。自分の自信のなさの表れなのだと保はよく理解していた。  いつものように朝風呂の支度をしに大風呂へ向かうと、脱衣所にはラタンのスツールに優雅に腰掛ける峰山がいた。すぐに風呂に浸かりたいようでうずうずとしながら時計を眺めているのを見てぷっと吹き出してしまう。その音を聞きつけたのか、むすっとした顔で保を見てきた。 「遅い。俺は一番風呂だってわかってるはずだろう?」 「途中で茜くんに捕まったから」 「またあいつ保にちょっかい出してるのか?」 「違う。ただ挨拶してくれただけ」  保の後ろをちょこまかとついてくる峰山をしっしっと手で払いながら、浴槽の蛇口を開く。もくもくとした湯気が浴室内を漂い始めた。今朝は小雨が降っていて少しタイルが冷たく感じた。風呂桶と風呂椅子を整頓しながらお湯が溜まるのを待っていると、まだ半分ほどしか溜まっていかないのに峰山が入ってきた。シャワーを浴び始めるのを横目に見て窓を開ける。外の冷気が入ってきて保はぶるりと身震いした。峰山が寒さを感じないように数センチだけ開けて換気をする。 「この風呂ともあと一週間の付き合いかぁ」  のんびりとした口調で峰山が呟く。保は「そうだな」と返して脱衣所に戻る。自身の丁稚浴衣を脱ぎ捨てて峰山の二つ隣でシャワーを浴びた。もう毎日のことで慣れたものだが、すぐ隣に座るのだけは避けていた。あまりにも峰山との距離が近すぎるとまた変な悪戯をしてくるに違いないと確信していたからだった。  八分目ほど溜まったお湯の中に峰山が浸かる。保は体を洗いながら静かな朝を満喫していた。茜がついてこなくなったせいか浴室内は静かだ。しかしこの沈黙が保には心地よかった。 「ふぅ。一番風呂はやっぱりいいな」 「峰山さんくらいだ。一番風呂にこだわる人」 「そうか? なんでも一番じゃなきゃ気に入らないからかな」 「競争心が強いんだな」 「そういう世界で生きてるからね」  こうやって他愛もない会話ができるのもあと一週間かと思っていると、峰山に肩を引き寄せられた。すぐ近くに峰山のにんまりとした顔がある。慌てて顔を背けようとしてもがっちりと後頭部を抑えられているため身動きがとれない。 「保。いつもありがとな」 「別に……お客さんには丁寧に接するのが仕事だし」 「違うよ。俺とおまえはそんな薄っぺらい関係じゃないだろう?」  目を覗き込まれ否応がなく見つめ合う。ちゃぽんと天井から水滴が湯船に落ちる音が遠くの方で聞こえた。外の雨足が強くなったのかザァザァと激しい音が聞こえてくる。 「じゃあどんな関係なんだよ」  震える唇がそう聞いていた。保は言った後でしまったと口を手で押さえる。 「おもしろいことを聞くね」  どうだろうなと峰山が天を仰ぐ。その様子はいつもと違って少し焦っているようにも見えた。肩から手を離され、うーんと唸るように目を閉じる峰山をじっと見つめる。 「なんだろうね。保はどんな関係だと思ってるの?」  先に答えを言わないのはずるいなと思いながらも保も頭をひねる。あまりにも近い距離に峰山が入り込んできたから、客観的に見るとちょっと悪戯も過激に思えてきて無意識に顔が熱くなる。 「セ、セフレっていうかソフレっていうか……」  自分とは程遠い世界の言葉を使ってみるも、なんだかぴったりと当てはまらない。ぶっと峰山が品のない笑い声で腹を抱える。そんなに面白いこと言ったか? 非難するような目で睨むと「ごめん」と目尻に溜まった涙を拭いた。 「まさか保からそんな言葉が出るなんて想像してなくて」  俺だってそうだよ、と保が心の中で呟く。峰山はふぅと息を吐いてから保に言葉を放った。 「俺は恋人に近いものだと思ってる」 「っな」  なにを言ってるんだこいつは。窓の外の雨がさらに激しくなって土砂降りになっている。浴室にも雨の音が反響し始めた。  悪びれもしないような顔で峰山が言葉を続ける。 「俺は保のことが大事だよ。好きだって言ったら信じてくれる?」  保はぱくぱくと口を開いて峰山から離れた。嘘だろ。こんな夢みたいなことあっていいのか。相手は役者で俺はただの一般人で。友達になるだけでも俺には精一杯のことなのに。 「離れるくらい俺のこと嫌いなんだ」  しょんぼりと肩を落とす峰山に違うと言いたい。けれど突然の告白に頭が追いつかなかった。 「ち、違くて、今のは驚いた本能的な反応というか」  自分でも何を言ってるのかよくわからない。 「じゃあ来週までにゆっくり考えてよ。返事待ってるから」  何事もなかったかのように風呂から上がっていく峰山を目で追いかけながら、ぶくぶくと湯船に沈んでいく。告白されたんだ、俺。頬をつねってみると確かに痛い。夢じゃないんだ。好きだと言われて嫌な気持ちはしない。むしろ素直に喜んでしまう。相手が男だというのも関係ない。峰山だから喜んでしまうのだ。  それから仕事中も峰山のことばかり考えてしまい、たびたびミスをしてしまった。普段の保では考えられないくらいの凡ミスに後輩から熱でもあるのかと心配される始末だった。オーナーからは雷を落とされ、仕事を終えて自室に戻る頃にはへとへとに疲れていた。  布団に入ってすぐにまた峰山の顔が頭をよぎる。それだけで体が熱くなった。峰山のことを考えると自分が自分ではなくなっていくような気がして少し怖い。でもこれが恋というやつなのかもしれないと思えばすとんと腑に落ちた。この胸の不安も期待も、全て峰山に惹かれているからだと理由がつけられる。その晩、保は夢見心地で眠りついた。早く明日になれと願いながらゆっくりと瞼を閉じた。

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