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第7話
神楽雪丸のライブ配信は突発的に始まることが多い。事前にライブ配信の予告をすると時間通りに始められなかったり、予告したことすら忘れることがあったため、この形に落ち着いた。
通信さえつながればどこでも配信できるのがライブ配信のいいところだ。企画を考える必要も無いし事前準備の煩わしさもない。下ネタと個人情報にだけ気をつければいいので雪丸からしたらかなり楽な収入源だった。
そんなわけで道慈が帰ってくるまでの隙間時間を活用して、雪丸は配信を始めた。次々に流れていくコメントを目で追いながら膝に乗った大五郎を撫でる。
――猫ちゃんかわいい
――イケメンとにゃんこの組み合わせ最高
――猫いるってことは親友のおうち?
「正解。親友帰ってくるの待ってんの」
――この前特定されてなかった? この家。
「ああまじでそれだけはやめて。俺んちは特定しても良いけどこいつんちはだめ」
雪丸は大五郎の手を握ってバッテンを作った。大五郎が不満そうに声を上げる。
――雪丸の家は良いんだw
――ホスト再開しないの?
「ホストね。それ何回か質問されてたな。今は特に予定ねぇなぁ。男優結構悪くねぇし」
――この前の新作見たよー!
――次いつゲイBLやる?
「ゲイビこの前撮ったから今週配信されんじゃねーかな?」
――マジでゲイビやめてほしい。どんな女と絡んでもいいからゲイビだけは出ないでほしい
――女優と絡むくらいなら男と絡んでほしい
――雪丸が掘られてんの本当無理
「残念、今回は俺ウケです。はは、まさかの6P。ケツ死ぬかと思った。あんま言うとBANされるわ。この話はここまで」
大五郎の顎を撫でながらカオスな撮影現場を思い出し、雪丸は笑った。能天気な雪丸の前でコメント欄が急速に動き出す。
――ああもう最悪! 聞きたく無い!
――雪丸が幸せならもうそれでいいよ。いや幸せなの?
――どんどん落ちてくよね雪丸。ホストやってる時のがかっこよかった
「落ちてねーよ。むしろ最近は上がってる」
片眉を上げてから、雪丸はニヤっと笑った。
――どこら辺が上がってるの?
――たしかにホスト時代はいろんな客と寝てたから連絡取れないとムカついてたけど、今は全部見ようと思えば見れるから今のがマシかも
――リアコアピール乙
――雪丸がAV以外でやってないわけないでしょ
「最近親友が俺に優しいんだよね。この前なんて部屋片付けてくれたし」
雪丸は思い出したようにはにかんだ。
「今あいつフリーだから俺に構う暇があんのよ。一生彼女できなかったらいいのに」
――親友とは思えない発言
――幸せそうでなにより
――いつから親友と親友なの?
「小2くらい? 一緒に野球してた。俺がピッチャーであいつがキャッチャー」
――野球してたのいまだに信じられない
――小2からは尊い
――男優してるって知った時親友はどんな反応だったの?
「俺の処女作のDVDをあいつにプレゼントしたんだけど、微妙な反応だったな」
――そりゃそうでしょ
――誰がほしいねん友達のAV
「そういえばあいつ見たのかな。感想聞いてねぇや。帰ってきたら聞こ」
――やめたれよ
――なんでそんなメンタル強いの?
膝の上で大五郎の髭がぴくぴくと動く。ついで、玄関の鍵を開ける音がした。
「俺だったら親友がAVに出たら絶対見るけどね」
――感性が人とは違うよね
――それはあなたが変態だから
「あいつ帰ってきたから今日はここまで! またなー」
リビングのドアが開くと同時に配信を切る。振り向くとスーツのジャケットを脱いだ道慈がいた。外がよほど暑かったのか、短い髪が汗で濡れていた。
「おかえり。部屋冷やしといたぜ」
ただ部屋に入り浸って冷房を浪費していたのをあたかも家主のためかのように雪丸は言った。
ワイシャツのボタンを開けながら、道慈が冷蔵庫から麦茶を取り出す。今日は暑かったため、新しいお茶を作らなかったら本当にしばかれそうだと思ったのでしっかりと作ってある。
「お茶も作った」
「よくやった」
褒められて気分が良くなる。ワイシャツを脱いで半裸になった道慈に近づき、手を差し出した。
「それ洗濯機入れてきてやるよ」
道慈が訝しげに見つめてきた。
「……お前またなんかやったのか?」
「なんも?」
「嘘つけここで配信しただろ」
「してねーよ。ちょっとしか」
「してんじゃねーか」
渡されたワイシャツを受け取り、洗面所に持っていく。道慈が寝室に着替えに行ったのを確認してから、ワイシャツに顔を埋めた。じっとりと湿ったシャツは、道慈の匂いが濃厚に染み付いていた。
ああ、最高、これだけで5回は抜ける。地球温暖化ありがとう。
不謹慎なことを考えながら、脳に刻みつけるかのように何度か吸っていると、洗面所の入り口までついてきた大五郎と目が合った。不審な物を見るかのような猫の目に、しょうがなく洗濯機にシャツを放り込む。
「こんくらい許せよ。お前は毎日一緒に寝られるし嗅ぎたい放題だからいいよな? おれはすげぇ油断してる時くらいしか寝れねぇし嗅げねぇってのに」
猫の頬をくすぐると身体を擦りつけてきたので、胴体もわしわしと撫でてやる。するとでっぷりとした身体を雪丸の足の甲に乗せる形でゴロンとお腹を見せた。かわいいやつめ。
「雪丸、シャワー浴びるからどけ」
顔を上げると、既にボクサーパンツだけになっている道慈の身体が思いの外近くにあった。目の前にあるボクサーパンツのふくらみを凝視する。舐めまわしてぇ。そういえば今日は撮影がなかったので1回も抜いていなかった。自覚した途端、腹の奥で急速に欲望が疼き出す。この汗臭いであろうパンツに顔を埋めて頬擦りしたい。いっぱい舐めて勃たせて、善がらせたい。
「うおっ、なん――」
気づいたら道慈の尻を両手で鷲掴みにしていた。道慈が驚いたように声を上げる。突然の動きに大五郎が慌てて足の隙間から逃げていった。
「なぁ、舐めていい? 先っちょだけだから」
「何言ってんだお前」
道慈が口を引き攣らせながら腕を掴んでくる。
じっと上目遣いで見上げてみても、手を振り解かれただけだった。
やはり力では敵わない。悪あがきするのをやめて、雪丸は座り込むなり、神妙な顔を作った。
「この前撮影の時に先輩にフェラいまいちって言われたんだよ。ちょっと練習付き合って」
「嫌に決まってんだろ」
「10分目瞑っててくれれば良いから」
「良くねぇよ。どけ」
肩を押してどかされ、人の体を跨いでいった男の背中を見送る。勢いよく浴室のドアが閉まった。パンツも脱がずに風呂に入ったところを見ると、よほど逃げたかったらしい。
「ちっ、ダメか……」
最近道慈との距離が近づいた気がしたので、押せばいけるかもしれないと思ったが、そうでもなかった。AVネタもそろそろ使い過ぎかもしれない。かと言って舐めたいと直球で言ったらもっと引かれてしまうだろう。
どうすっかなと頭をかきながら、期待ですっかり勃ち上がったものを処理するために雪丸はトイレに向かった。
道慈は浴室のドアが閉まったのを確認して、勢いよくタップを捻った。冷たい水が頭に降りかかる。
舐めていい? そう聞かれた瞬間、頭に過ったのは彼女に振られたその日に与えられた鮮烈な快感だった。冷水を浴びて色濃くなったボクサーパンツから主張するそれに目を落とし、ため息をつく。
流石にまずい。
最近距離が近すぎる。明らかに普通を逸脱している。もともと距離感はおかしい奴だったので気にしないようにしていたが、いくらなんでもシラフで幼馴染のモノを舐めようとするのはおかしい。
しかしそれが雪丸の仕事なので、相手は置いといてもプロとして技を磨こうとするのはある意味普通のことなのかもしれない。するとおかしいのは幼馴染のそんな言葉にいちいち反応している道慈の方ということになる。
とりあえずいったん治めようと自身を握り目を閉じた。
するとつい先日とろけた顔で後ろに指を咥え込み、体を震わせていた幼馴染の姿がフラッシュバックする。
「……くそ、」
道慈はそっと自身から手を離して壁に両手をついた。頭から降りかかる冷えたシャワーをそのままに、ゆっくりと息を吸って吐く。頭に浮かぶ光景から意識を呼吸に移す。
そしてあとは待つ。煩悩が消えるのを。
さっさと拡張だかなんだかを終わらせて元の状態に戻らないと、取り返しのつかないことになる。
冷蔵庫に入っていた最後の1本のビールを飲み切ったのは、振られた腹いせでもあり、それが道慈のいつも通りの小言のきっかけになればいいと思ったのもある。
ベランダの柵に肘をつき、空の缶に短くなったタバコを落とす。
少し考えてからタバコの箱を開け、五本目のタバコをつまみ取った。
「……遅くねぇ?」
まさか襲われるのを恐れて出てこれなくなったのだろうか。
否、道慈に限ってそんな恐怖心があるはずもない。体格的にも能力的にも大概の人間を一捻りにできる力を持っている。もちろん雪丸だって例外ではない。
ちょっと引いていただけだ。そしてこの風呂の長さとの関連性はおそらくない。ないはずだ。
じわじわと腹の奥から焦りが生まれてくる。もはや不安でタバコから離れられない。こんなことは今までごまんとあった。そういう時道慈は大概全く気にしていない。大きな見た目通りに神経が太いのだ。そうやって徐々に道慈の許容範囲を確認しながら距離を詰めてきたはずだった。
ビールの缶の表面を親指で何度も擦る。
大丈夫だと自分に言い聞かせても、嫌な想像が止まらなかった。生理的に無理と思われてしまったら、振り出しどころかマイナスだ。急ぎすぎた、というか調子に乗りすぎた。道慈の家で配信しながら待ってるくらいだったら誰かとヤッてからくるべきだったのだ。最近何もかも都合の良い方に行くので油断していた。性欲が溜まると碌なことがない。
悶々としているうちに、ようやく浴室のドアが開く音がした。全神経が背中に集中する。
タバコをゆっくりと長く吸って、できるだけ長く吐きだす。目を閉じて意図して呼吸に意識を集中する。昔野球をやってたころ、連続で盗塁されてムカつきすぎて投球がボロボロになった時、道慈に言われたことだ。呼吸に集中しろ。大丈夫だ。
ふつうの人間は男友達同士でそういう関係になるのは生理的に無理だ。だから生理的に無理と思われるのはふつうのこと。この程度で絶交はされない。一歩親友から踏み出すのをやめて、何事もなく親友の座に戻れば良いだけ。
短くなったタバコを缶に入れ、灰皿と化した缶をシンクに置く。そうして雪丸はテレビゲームを起動した。
キッチンに入った道慈は冷蔵庫を開けて、すぐに口を開いた。
「雪丸お前最後のビール飲んだな?」
「半分こしようと思ったけど遅えから飲み切っちゃった」
「缶灰皿にすんなっつってんだろ。洗えよこれ」
「はーい」
コントローラーを置いてキッチンに近づく。いつものようにタンクトップの胸筋に擦り寄ることなく棚からグラスを取り出し、常備してあるウィスキーを手に取った。
「おわびにハイボール作ってやるよ」
「今度ビール買っとけよ」
道慈が自分の作ったハイボールを好きなことは知っていた。ホスト時代に美味しいハイボールの作り方を学んでいてよかった。
二つのグラスにウイスキーを注ぎながら口をひらく。
「じゃあマリカで負けた方が買い出し行こうぜ」
「お前エンストスタートな」
「それはズルくね?」
「そもそもお前が勝手に飲んだんだろうが」
「じゃあ道慈が負けたらこの缶コンビニに捨ててこいよ」
「どんだけ洗いたくねぇんだよ」
炭酸水をそそいでさっと混ぜたグラスを道慈に渡す。自分のグラスを手に取り、道慈の横を通り過ぎてソファに座った。雪丸はハイボールを一口飲み、内心で安堵の息をつく。
なんだ。いつも通りだ。道慈は全然気にしてなさそうだった。やっぱり勘違いだった。
「そういや道慈俺があげたAV見たの? 俺の処女作のやつ」
「見てねぇよ」
元彼女の前で律儀にも持って帰っていたAVの紙袋を思い出す。見ろよと言い募ろうとしてから、考え直した。
「まあ確かにあれ初めてだったし今思うと演技も微妙だったかも」
「そういう問題じゃねぇだろ」
「じゃあさ、最近すげーの撮ったぜ。1対5で6Pのゲイビ。マジギャグだった。おもしれぇから今度それやるよ」
「どんな状況だよ。本当にいらねぇ」
「相手5人だと俺は忙しいけど向こうは手余りが出るわけよ。ずりぃよな。俺も今度6Pやるなら竿やってみてぇ」
道慈が眉間を親指で擦りながら俯いた。ため息が聞こえてくる。この微妙な反応も概ねいつもどおりだ。道慈はハイボールを煽ると、コントローラーを手に取り、勝手にコースを選び始めた。
道慈がコントローラーを持つとコントローラーがやたら小さく見える。この姿が可愛いので雪丸は一緒にゲームをするたびにこっそり隣を覗き見ていた。
「道慈そのコースで俺に勝てんの?」
道路の横が水場になっているコースは、カーブをミスすると水没するので道慈の苦手なコースだった。
「お前エンスト忘れんなよ」
「ダセェ」
笑いながら雪丸もコントローラーを持ち直した。万事問題無し。やっぱり道慈は道慈だ。振り出しに戻ることもマイナスになることもない。今後は舐めたくなる欲求だけ上手に抑えられれば、今日のような謎の不安は生まれないだろう。
コンビニに着いて早々に耳に入った聞き覚えのある名前に道慈は眉を顰めた。飲んできた帰りなのか、足元がおぼつかない2人の女が冷蔵の酒コーナーの前でスマホを開いていた。
「あ、ねぇ雪丸の動画配信された」
「どっち?」
「ゲイビ」
「あんたそっちも見てんの?」
「当たり前じゃん。雪丸のログは全部追うから。いち、にぃ、さん……うわ、本当に6Pだ」
こんなに6Pという意味がわからない単語を何度も聞く日があるだろうかと道慈は思った。スマブラじゃねーんだぞ。
「どれ? うわ……えっぐ。ちょっと私無理」
「待ってでも……やっぱ雪丸はちんこ咥えてもアナル掘られても美しいわ」
「まあ顔がいいのは認めるけど」
「雪丸って感度すごい良いのかな。どのビデオでもめちゃくちゃ感じてんだよね」
無意味に買う気のないカップ麺の成分表示を眺めていた手が止まる。風呂場で完全に消し去ったはずの光景が再び頭に蘇った。確かに、下手したら女よりも敏感なんじゃとないかと思うことがあった。
「ほら、こことか身体すごいびくびくしてる。これ演技だったらすごくない?」
「ごめん動画まじきつい」
耳を塞ぎたくなるような会話なのに、一方で道慈の頭には複数の手に良いようにされて蓮の刺青に汗を滲ませる姿が浮かんでいた。
手にしたカップ麺が音を立てて割れる。道慈は無言でひしゃげたカップ麺をカゴに入れる。
同じコンビニ内に商品を破壊している男がいるのも知らずに、女たちの会話は続いた。
「前立腺マッサージ習おうかな。雪丸のために」
「いや会う予定ないでしょ」
「雪丸は誰にでも手出すから、接触できさえすれば勝ちらしい」
「なにそれ性病とか持ってそう」
「雪丸の性病なら全然もらう」
「怖すぎ」
以前彼女ができた時に雪丸をぞんざいに追い出したことを思い出す。俺がストーカーにあってもいいのかとかなんとか喚いていたが、今更ながら追い出していた間何事もなく生きていたことに安心する。
雪丸の振る舞いが原因とはいえ、男が聞いていても怖気が走る会話だった。変態のファンは変態しかいないのだろうか。
ついに聞いてられなくなり、道慈はすいません、と声をかけてビールの冷蔵棚を開けた。
女達は突然現れた巨体に目を丸くしながら慌てて携帯をしまい、そそくさと去っていった。ビールのロング缶を数本と、ストロング缶を数本カゴに入れる。
風呂で頭を冷やしたと言うのに雪丸の話に耐えきれず、逃げてきた先でも結局この話題だ。呪われてるのだろうか。
そもそもなぜ誰も雪丸の暴走に突っ込まないのか。なぜ誰も止めないで普通に受け入れているのか。
そこまで考えてから、自分ですら雪丸がAVを始めて以来止めたことがないことに気づいた。家族がいない雪丸を止められる人は、彼女くらいであろうか。しかし雪丸に特定の人がいる話は聞いたことがない。いつもいろんな女と絡みすぎていてもはや覚えきれない。雪丸と一番接している人間は道慈だろう。ほぼ同居している状態だ。
もしかしたら自分がどこかで止めたほうがいいのだろうか。
とはいえどんな仕事をするかは雪丸が決めることだ。道慈が何かを言える立場ではない。今に至ってはもはや片棒を担ぐような真似までしている。
ただ、他人が雪丸の乱れた姿を見てあれこれ言うのが不快でしょうがなかった。だからこそ今道慈が雪丸を止めたとして、それが雪丸のためなのか道慈のためなのか、はっきりと言える自信がなかった。
本人がしんどいならまだしも、ただただ無邪気に楽しんでいるだけだ。もとより普通の感覚の持ち主ではない。
理性では分かっているのに、腹の底に蟠った不快感が夜風の中を歩いても消えなかった。
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