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第26話
胸の上で眠りについた雪丸の中から、道慈は慎重に自身を引き抜いた。呻き声を上げた雪丸を横に寝かせて、ゴムを外して縛る。ゴミ箱に投げ捨てながら、道慈は急に現実に戻ってきたような気分になった。
今日で終わりにするどころか普通に幼馴染とセックスしてしまった。それだけはしないようにしようと思っていた矢先に、雪丸に都合のいい条件を提示されてまた欲に負けた。したこと自体は後悔していないが罪悪感があった。
道慈は無言で顔を覆った。
雪丸がどうしたいのか分からない。ただ性欲に任せて動いているのかと思いきや、早鐘を打つ鼓動の音を聞かせてこちらの動揺を誘ってきたり、触れると赤面して、最中に好きだと言ってくる。
これで気持ちが無かったらもはやサイコパスだろう。
この雪丸の気持ちに対して道慈の心が傾きかけているのが問題だ。幼馴染の同性の男を、それもすでに何人も女を抱えているような男を、そういう対象として認識し始めているのがまずい。
雪丸の全てがイレギュラーだった。
今まで男に手を出した事もなければ、彼氏がいる女に手を出した事もない。どちらも生理的に受け付けなかった。それなのに今回はあろうことかたくさん女がいる男に手を出してしまった。
もともと浮気を浮気とも思っていないような倫理観の欠如した人間だ。体だけの関係と割り切っているならまだしも、雪丸の場合は愛情も一緒くたになっている。
その中に男が一人や二人混ざっていたとしても、雪丸からしたら多ければ多いほど良いくらいの感覚なのかもしれない。
考えれば考えるほど雪丸の意図が分からない。気のある素振りを見せて、道慈が嫌ならと言うことを聞いて、道慈じゃなきゃ嫌だとだだをこねて。
こんなふうにされて雪丸の女たちは自分を雪丸の特別だと勘違いして、ずぶずぶと沼にハマって抜け出せなくなっていくのかもしれない。実際特別だと思って期待して、裏切られて、それなのに自分を裏切った男の腕の中で慰められている女を何人も見てきた。
そして恐ろしいことに自分がその沼に片足を突っ込みかけている。自分だけは特別なんじゃないかと勘違いしかけている。
今ならまだ引き返せる。無かったことにできるはずだ。雪丸の真意を知って、期待にそぐわない答えを受けてもふざけんなの一言で済ませられる。
寝返りを打って肩にくっついてきた身体を抱き寄せる。当然のように雪丸の足が道慈の足の上に乗ってきた。汗で湿った金髪を解くように撫でる。
こんなことを男相手にしている時点で既にまともではないだろう。
キッチンで夕飯を作っていると、シャワーから出た雪丸がやってきた。ボクサーパンツだけを身につけ、自然と腰を抱いてきた身体を肘で押す。
「油飛ぶぞ」
「チャーハン?」
「ああ」
雪丸がワカメスープもと言うので鍋に水を入れて火にかける。乾燥わかめを水に浸してから、胡麻を取り出す。
「撮影何時からなんだ?」
「ああ、無くなった。松田の彼女が風邪引いたらしい。もう一回する?」
Tシャツの裾から侵入してきた手を抓ると、いてっと声を上げてすぐに出て行った。
「一応確認するがお前ゲイビ辞めんだよな? 嘘だったらぶっ飛ばすぞ」
「やめるって。良いじゃんちょっと触るくらい」
「あとお前俺のこと好きなのか?」
雪丸が首を傾げてじっと見つめてくる。
「道慈は? 俺の身体ちょっとは好きになった?」
道慈は混ぜ合わせた炒飯の火を止め、鍋の中に水で戻したワカメを入れ、中華スープの素と白胡麻を適当に振りかけた。
「今身体の話してねぇよ」
雪丸は考えるように視線を上げてから、首を傾げた。
「好きって言ったら、どうすんの?」
「とりあえず、家からは追い出す」
「好きじゃない」
雪丸は食い気味に答えた。
「じゃあこの手はなんなんだよ」
腰に回っている手を掴むと、雪丸が腕に濡れた頭を押し付けてきた。
「触りたいから触ってるだけ」
鍋の火を止めて、雪丸の腕を掴んで向き直る。雪丸の目がにわかに揺れた。
「あのな、雪丸。俺はお前みたいに複数と付き合う趣味もねぇし、誰とでもセックスするわけじゃねぇんだよ」
「……うん」
「お前がたくさん女作って恨まれようが刺されようがお前の勝手だけど、俺はそのたくさんの中に入る気はねぇから」
雪丸は曖昧な顔で頷いた。
「わかったら、今週中に荷物まとめろ」
「なんでそうなんの!?」
雪丸が絶望的な顔で叫んだ。彼女ができた時よりも驚いている。
「一緒に生活してたら俺が手出しそうだからだめだ」
「……また気持ち悪くなったのかよ」
1日1発……いや、週……いや、月1くらいなら殴っても良いぜ。目立たないところ。
口を引き攣らせて続けた雪丸に、一瞬本当に一発殴ろうかと思った。この話の流れで殴りたくてうずうずしている奴に見られるとは思ってもみなかった。
「まぁいいや。ならしばらくは顔見せねぇよ」
目を伏せて話を終わらせようとした雪丸の肩を掴む。裸の肩がぴくりと反応した。
「よくねぇよ。勝手に終わらせんな」
「……なに?」
「意味わかってねぇだろ」
雪丸が訝しげに眉を顰めた。裸の腰を抱き寄せて片手で顎を掴む。細い顎は簡単に片手で覆えるが、女よりはよほどしっかりしている。雪丸が無抵抗のままごくりと唾を飲みこむのが、顎の下の薄い皮膚の動きでわかった。
「こうやって触りたくなるからだめだっつってんだよ」
「……道慈が?」
「ああ」
「俺を?」
「……ああ」
雪丸の耳が僅かに赤く染まった。わかりやすい。何故今まで気づかなかったのか不思議なくらいだ。
「……触りゃ良いじゃん」
「人のもんに手出す趣味ねぇよ」
身体を離し、飯を皿に盛る。スープも椀に入れて白胡麻を振ってから雪丸に渡すと、雪丸がおとなしく運び始めた。
「それって、俺に女がいるからダメってこと?」
「よくわかったな」
「もうやったのに?」
「今回はしょうがねぇ」
「しょうがねぇのか……?」
雪丸は理解しきれないようだった。道慈の中で人の物に手を出す忌避感よりも雪丸のゲイビの方が嫌悪感として大きかっただけなので、雪丸がわかるべくもない。
雪丸は確認するように聞いてきた。
「俺が女と縁切ったら、触ってくれんの?」
「そういうこと聞いてくんな」
道慈は首を振った。そもそも雪丸に何かを言える立場じゃない。
こんなことを簡単に雪丸は聞いてくるが、本当に雪丸が女と縁を切れるとも思っていなかった。中学以来雪丸に女がいないところを見たことがなかった。おそらく早くに家族を亡くした雪丸にとって、複数の女から愛情を得ることが生きる支えになっているのだろう。
そろそろ落ち着いても良い年な気もするが、こればっかりは本人次第だろう。
「飯食ったら、今日は家帰れよ」
雪丸は道慈のマンションを出て、ぼんやりと歩いていた。迎えもタクシーも呼ばないまま、いつも車で通る道をスニーカーで踏みしめる。歩きタバコ禁止の看板を眺めながら、ポケットからタバコを取り出して火をつける。対面から歩いてきた子連れの女がタバコを認めて眉を顰めて足早に通り過ぎていった。
道慈とセックスした。そのあと家を追い出された。
今週中に物を取りにこいとだけ言われた。喧嘩をしたわけでも道慈に彼女ができたわけでもないのにこんなことを言われるのは初めてだった。
道慈は真面目すぎる。既にセックスした後なのに、女がいることを理由に追い出されるなんて。
一回やってしまったら二回も三回も一緒だ。誰がなんと言おうが、既に女がいる男に手を出している事実は変わらないのに今更何を言っているのか。
近づいたと思った瞬間に距離を取られて、感情が追いつかない。
今日は道慈とセックスできて嬉しかったし幸せだった。
触りたくなると言ったのもはっきりとこの耳で聞いた。真剣な顔も、顎を掴む手の温かさも、腰を抱く腕の硬さも、まだ身体が覚えている。思い出すだけで腰が疼く。もっと触ってほしかった。
道慈が自分から感情だけを理由に触ってきたのは初めてだった。それだけで昇天できそうだった。
道慈の言い方は、単純に考えたら女と別れさえすれば道慈が触ってくれるということだ。言質は取れなかったがそういうことだろう。
しかし問題があった。
自分から女と別れたことがなかった。今まで別れる必要もなければ別れたいと思ったこともなかったので振ったことがない。自分のことを好きな女は何をしても可愛い。刺されても、ガソリンを撒かれても、理由が好きが高じてやってるだけなら可愛くみえる。流石に頭おかしいとは思うが。
今まで散々世話になった女達を突き放すのも心苦しい。
女と別れてから道慈を口説くのは世間一般的にみたら筋が通っているのかもしれないが、そんな筋の通し方は雪丸のやり方じゃない。
女とも別れたくないし道慈にも触ってほしい。しかし道慈はクソ真面目なので自分が誰かの浮気相手になるのは耐えられないのだろう。
自分が折れることでしか先には進めないだろう。
しかし女と別れることは雪丸にとってリスクだった。周りに女がいなくなったら、雪丸は今よりさらに道慈に依存してしまう。
道慈が触りたいと思ったのが今の雪丸なら、それは女に求められてある程度安定していて、どろどろとした執着を心の奥底にきれいに隠した雪丸だ。
道慈は何もわかっていない。まともな奴がまともじゃない奴のことをわかるわけがない。
「ああ……でももう一回……いやあと五回、……いや百回くらいやりてぇ……くそ……」
物理的に距離を取られた上に時間まで置いてしまったら道慈はすぐに彼女を作ってしまう。これまでの経験上わかる。
雪丸に選択肢は無かった。このまま距離を置かれて知らぬ間に彼女を作られて、結婚までされてしまったらもう付け入る隙がない。
女と別れたとて道慈の一番になれる保証なんてないし、最悪空振りで終わる可能性もある。しかし道慈の欲が消えないうちに動かないといけない。道慈のストッパーを外してやれば、この身体にハマってくれる可能性も無くはない。意識されたことすらなかった今までと比べたら大いなる進歩だ。
そう自分に言い聞かせながら、雪丸は心の中の不安をぬぐいきれなかった。まるで進んでいるように見えて後退しているような。道慈以外全部捨てて、挙句にもし親友でも何者でも無くなったらどうすればいいのだろう。
一番になる計画だったはずなのに、一番が一体何なのか分からなくなっていた。
短くなったタバコを地面に落として踏む。捩れてひしゃげたフィルターがアスファルトの上に残った。
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