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第5話 約束の五年間
あの日以来
レオンは宣言通り、
決して男の領域を強引に侵すことはしなかった。
基地では完璧な「部下」として男の機体に命を預け
私生活では「良き隣人」として
いつの間にか男の家のに馴染んでいた。
「父さん、レオンさんが数学教えてくれるって!」
中学生から高校生へと成長していく娘・美月の傍らには、
いつしか若きパイロット、橘レオンの姿があった。
仕事帰りにふらりと立ち寄り、美月の勉強を見たり、
直人と一緒に夕飯の準備をしたりする。
それは、かつて直人が一人で背負っていた「家庭」という重荷を、
レオンが半分肩代わりしているようでもあった。
「班長、すじ肉を煮込みすぎたので半分引き受けてもらえませんか」
ある日は、直人が数日前に「食べたい」とこぼした好物を、
さも偶然を装って鍋ごと持ち込む。
直人が「自分の城」だと思っていたキッチンには、
いつの間にかレオンの使うスパイスや調味料が当たり前のように並び、
生活の匂いが混じり合い始めていた。
しかし、レオンが提供したのは「便利さ」だけではない。
美月が反抗期の嵐に揉まれ、
直人と衝突して部屋に引きこもった夜。
直人がリビングで頭を抱えていると、
レオンはそっと酒の瓶を持って現れた。
「美月さん、話してくれましたよ。
班長に嫌われたくないから、
本当の理由が言えなかったみたいです。」
直人が知らない娘の一面を、
レオンが知っている。
悔しさと同時に、
レオンがいなければこの家は今頃バラバラになっていたかもしれないという、
薄ら寒いほどの依存心が直人の中に芽生えていた。
直人は、キッチンで野菜を切るレオンの広い背中を見つめながら、
ふと思うことがあった。
(……あいつ、本当に待ち続けてるんだな)
そこには一切の対価を求める素振りも、
恩を着せるような言葉もない。
ただ、直人を支えたいという狂おしいほど純粋な献身。
だが、そんな「良き隣人」の仮面が、一瞬だけ剥がれ落ちることがある。
そんな「献身に隠された情熱」
直人が直面した土曜日の午後。
美月が不在の折、
二人で古い映画を観ていた時のこと。
ソファでうたた寝をしてしまった直人の肩に、
レオンが優しくブランケットをかけた。
その時、レオンの指先が、
直人の頬を壊れ物を扱うように、
愛おしそうになぞった。
直人は薄らと意識があったが、
寝たふりを続けた。
頬に触れる指先は微かに震えていて、
どれほどの熱量を彼が押し殺しているかが
言葉よりも雄弁に伝わってきた。
「……あと、少しですね」
耳元で響いた、
レオンの小さな、
地を這うような呟き。
それは、美月が高校を卒業するまでの、
そして自分たちの「猶予」が終わるまでのカウントダウンだった。
直人は、
閉じたまぶたの裏で強く胸が締め付けられるのを感じていた。
レオンの一途な重圧に、
そして自分の中に芽生えたどうしようもない愛おしさに、
直人はただ、静かに沈み込んでいった。
自分の裾を掴んで泣いていた少年はもういない。
自分を凌駕するほどの力を持った
「一人の雄」が、五年もの間、
牙を隠して自分の隣に座り続けている。
「……ずるい奴だ」
直人は、落ちていく意識の中で独りごちた。
『便利すぎる隣人』という仮面の下で、
男が自分なしでは夜を越せなくなるまで。
レオンは静かに、
執念深く、
真島家の生活に、
着実に溶け込み続けていたのだ。
男は確信した。
この5年間で自分もまた、
この若者なしでは生きていけなくなっていることに。
一人の人間として、彼に魂を救われていたのだ。
そして、季節は巡り——。
ついに、美月の卒業と、
家を出る日が近づいてくる。
そして――約束の五回目の冬が、静かに幕を開けようとしていた。
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