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第27話 不条理な情熱と、絶対的な帰還

1. 静寂の格納庫、若き獅子の咆哮 横須賀基地の喧騒が遠く、夕闇が迫る第3格納庫。 整備の終わった機体が巨人のように並ぶその片隅で、 張り詰めた糸のような緊張が漂っていた。 「……小川班長。僕は、本気です。遊びや冷やかしでこんなことを言っているんじゃない」 一ノ瀬少尉の声が、冷えたコンクリートの空間に低く響く。 普段の「あざとい若手」の仮面を剥ぎ取り、 そこにあるのは一人の男としての、剥き出しの執着だった。 「橘3佐が完璧なエリートで、僕のような若造が逆立ちしても勝てないことは、痛いほど分かっています。キャリアも、実績も、この基地での発言力も。……でも、班長を想う熱量だけは、あの人に負けていないつもりです」 一ノ瀬は、直人の目の前で一歩、また一歩と距離を詰めていく。 その瞳には、悲壮なまでの決意が宿っていた。 「僕じゃ、ダメですか。3佐のように、首筋に痕を残してあなたを縛り付けたりしない。僕なら、もっとあなたの……技術者としての自由を尊重し、対等に……」 直人は、作業服のポケットに手を突っ込んだまま、一ノ瀬の言葉を静かに聞いていた。 その表情には、怒りも困惑もない。 ただ、長年厳しい現場を生き抜いてきた男特有の、深く、静かな慈しみがあった。 「……一ノ瀬。お前が本気なのは、今ので十分伝わったよ。ありがとな」 直人は、一歩詰め寄ってきた一ノ瀬の肩を、 厚い手のひらで軽く制した。 その手は油の匂いが染み付いていて、一ノ瀬が憧れる「職人の手」そのものだった。 「だがな、はっきり言っておく。お前の気持ちに応えることは、この先一生ねえ。俺のパートナーは橘レオンだ。それは俺が自分の意志で選んだことで、誰が何を言おうと、たとえお前がどんなに立派な男になろうと、変わることはねえんだよ」 一ノ瀬が絶望に顔を歪めるのを、直人は逸らさずに見つめ続けた。 「それに……お前はレオンを『完璧なエリート』だと思い込んで自分を卑下してるようだが、あいつもそんな大層な人間じゃねえ。家じゃ子供みたいに嫉妬して、俺が少し構わねえとすぐ拗ねる。手のかかる、最高に面倒くせえ男だ」 直人は、愛しくてたまらない「ダメな愛人」の顔を思い出し、 ふっと柔らかな、けれど残酷なほど一ノ瀬には向けられない笑みを浮かべた。 「だからお前も、自分をあいつと比べる必要はねえ。お前はお前で、堂々としてろ。お前には、いいパイロットになる才能があるんだからな」 2. 「召喚」という名の、究極の愛情 「……それでも、諦めきれません! 3佐にできて、僕にできないことなんて……っ!」 若さゆえの暴走か、一ノ瀬は直人の言葉を振り切るように、 その逞しい腕を掴み、背後の壁際へと強引に詰め寄った。 至近距離で交錯する視線。 一ノ瀬の呼吸が直人の顔にかかる。 直人は一瞬、 反射的に得意の力技でこの若造をねじ伏せ、床に転がそうと考えた。 整備士の筋力は、パイロットのそれとはまた違う、 重い機材を扱うための「本物」だ。 本気を出せば、一ノ瀬など数秒で制圧できる。 だが、その時。 直人の指先に、ポケットの奥にある小さな「発信機」の硬い感触が触れた。 レオンが『万が一の時、あなたが僕を必要とした瞬間に押してください』と、 半ば強引に持たせてきた、執念の結晶のような代物だ。 (……ここで俺が自力で解決してもいいけどよ。後でレオンにバレたら……いや、あいつのことだ、モニターか何かで絶対見てるな。そうなると、『なぜ僕を頼らなかったんですか!』って、また三日三晩、朝までブツブツ文句を言われるのは目に見えてる……) 直人は、心底呆れたように溜息をついた。 自分を守るためではない。 ましてや助けを求めるためでもない。 これは、 愛する男の「メンツ」と「独占欲」を満足させてやるための、 年上の余裕。 そして、後々の面倒な小言をスマートに回避するための、効率的な判断だ。 (……ほら、レオン。お前の出番だ。格好つけて、ここに来いよ) 直人は、一ノ瀬に詰め寄られたまま、 迷いなくポケットの中でボタンを押し込んだ。 3. 3佐の降臨、あるいは「嵐」の到来 ボタンを押してから、そう時間はかからなかった。 格納庫の重いシャッターが、警報のような音を立てて跳ね上がる。 夕闇を背負って現れたのは、肩で激しく息をし、 瞳に暗い焔を宿した橘レオン3佐だった。 制服の着こなしこそ完璧だが、 その表情は「冷徹なエリート」の仮面をかなぐり捨て、 ただ愛する者を奪われそうになった一人の男の執念に満ちていた。 「……一ノ瀬少尉。僕のパートナーに、これ以上何を話す必要があるんですか?」 レオンの声は、極北の吹雪よりも冷たく、重く、 格納庫内の空気さえも凍りつかせるような威圧感を放っていた。 一ノ瀬は、その凄まじい「殺気」に近いプレッシャーに、 掴んでいた直人の腕を離し、一歩、また一歩と後退するしかない。 「……。おせえよ、3佐殿」 直人は、勝ち誇ったような、 けれどどこかホッとしたようなレオンの元へ、悠々と歩み寄った。 レオンは直人の腰をこれ見よがしに引き寄せ、一ノ瀬を射抜くような視線で睨み据えた。 「……直人さん、行きますよ。ここから先は、僕たちの時間です」 「おう、わかったよ。一ノ瀬また明日な。お疲れ。」 直人は、肩を震わせる一ノ瀬に何事もなかったかのように挨拶をして、 自分を強く抱きしめるレオンと共に、格納庫を後にした。 4. 3佐を脱ぎ、恋人に溺れる夜 その夜、宿舎。 予想通り、玄関の扉が閉まった瞬間からレオンの「可愛い(?)嫉妬」が炸裂した。 「直人さん! なぜあんなに近くに寄らせたんですか! 発信機を押すのが1分……いえ、5分は遅すぎます! あなたが彼に腕を掴まれているのをモニターで見た時、僕がどんな気持ちだったか……!」 レオンはリビングのソファに直人を押し倒すと、 子供のように顔を胸に埋め、ブツブツと文句を並べ立て始めた。 3佐としての威厳など微塵もない、あまりに無防備な姿。 「あの一ノ瀬とかいう若造……! 明日から南方の離島にでも飛ばしてやりましょうか? それとも……」 「……おい、レオン。いい加減にしろ。うるせぇよ。」 直人は溜息をつき、レオンの頬を両手で挟んで自分の方を向かせた。 「お前がうるさそうだから呼んでやったんだろ。感謝しろよ」 「感謝なんてしません! そもそも、直人さんが無防備すぎるのが……もごっ!?」 直人は、再び始まりそうなレオンの小言を、少し乱暴なキスで塞いだ。 レオンの口内を荒々しく、熱く舐め回し、その支配欲を情熱で溶かしていく。 「……黙れ、レオン。お前は俺を信じてりゃいいんだよ。お前以上の男なんて、どこ探したっていねえんだからな」 直人の男らしい、確信に満ちた宣言。 レオンはとろけたような瞳で 「……はい、直人さん……。もっと、してください……」 と、ようやく恋人の顔で甘え始めた。 5. 後日談:横須賀の荒波に揉まれて 数ヶ月後。 一ノ瀬少尉は、離島へ飛ばされることも、 更迭されることもなく、変わらず第3整備工場にいた。 レオンは「職権乱用」という野蛮な手段を選ばなかった。 その代わり、一ノ瀬の訓練スケジュールには、 レオンの監修による「極めて高度かつ過酷なプログラム」が組まれるようになった。 「……一ノ瀬、今日の整備記録の数値、コンマ2秒のズレがあるぞ。やり直しだ」 「……はい、班長!」 直人の指導も、以前よりさらに厳しさを増していた。 それは、一ノ瀬を一人の「プロ」として認め、期待しているからこその厳格さだ。 一ノ瀬は、今でも直人の首筋に残る「印」を見るたびに胸が疼く。 だが、今の彼には、その痛みを操縦桿にぶつけ、 技術を磨くことしか道は残されていない。 「一ノ瀬少尉、今日の訓練は橘3佐が直接モニタリングするそうだ。気合を入れろよ」 「……了解しました!」 冷徹なレオンと、男気溢れる直人。 基地内最強の二人に徹底的にしごかれ、 扱かれた一ノ瀬は、いつしか自分を卑下することをやめ、 誰よりも真っ直ぐに前を見据える、横須賀で最も期待されるパイロットへと成長していった。

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