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第16話 琥珀の午後、「逃げ場のない聖域」
1. 覚醒の微睡と、琥珀色の光
枕元に置かれたスマートフォンの時計が、正午を大きく過ぎているのを、
直人は薄目を開けて確認した。
遮光カーテンの隙間から漏れる陽光が、
畳の上で細い帯のように踊り、埃の粒子がゆっくりと回っている。
その静謐な光景は、昨夜の嵐のような情事とはあまりにかけ離れていた。
「……ん……」
背後から伝わる、重くて岩のように硬い体温。
レオンの逞しい腕が、今もなお直人の腰を、
まるで自分の所有物であることを誇示するようにがっちりとホールドしている。
「……おい、レオン。起きろ……もう昼だぞ。……いつまで寝てんだよ」
「……あと、五分……。……直人さんが、そんなに柔らかいのがいけないんです……。……安らぎすぎて、離したくなくなる……」
寝ぼけ眼のレオンが、直人の項に鼻先を埋め、
深く、肺の奥までその香りを吸い込む。
その擽ったさと、自分を求めるあまりに無防備な執着。
直人は苦笑を漏らしつつも、
自分に向けられるこの巨大な愛に、胸の奥が熱くなるのを止められなかった。
2. 部屋に運ばれる「小さな贅沢」
内線で頼んだ軽い昼食が、離れの玄関に届けられた。
仲居は心得たもので、この部屋に流れる特別な空気を壊さぬよう、
ダイニングのテーブルに料理を並べると、一言の余計な言葉もなく静かに去っていった。
運ばれてきたのは、地元の山菜を使った冷やしうどんと、
宝石のように彩り豊かな手毬寿司。
そして、この宿の蔵で眠っていたという、キンと冷えた地元の純米大吟醸だ。
「……昼から日本酒なんて、贅沢過ぎる…」
「いいじゃないですか。僕だけの直人さんなんですから。……職務も、階級も、ここには存在しません」
レオンが慣れた手つきで、切子細工のグラスに透明な酒を注ぐ。
澄んだ液体が光を反射してキラキラと輝く。
「乾杯しましょう。僕たちの、新しい門出に」
カラン、と氷のような音を立ててグラスが重なる。
一口含めば、華やかな米の香りが鼻を抜け、
心地よい酔いが昨夜の激闘の疲れを優しく解きほぐしていく。
直人は、このまま時が止まればいいと、柄にもなく願ってしまった。
3. 日本酒片手に、極楽の湯
「……これ、最高だな」
テラスの露天風呂。
直人は縁に腰掛け、
冷えた日本酒のグラスを片手に、
湯気に煙る庭園を眺めていた。
春の柔らかな風が、火照った肌を撫でていく。
「……直人さん、肩まで浸かってください。湯冷めしますよ」
後から入ってきたレオンが、直人の背後からその身体を湯船の中へと優しく引き入れる。
肩まで浸かると、手足の先まで血が巡り、
身体の芯から緊張が解けていくのがわかる。
「昼間の温泉ってのは、なんでこんなに罪悪感と快感が同時に来るのかね……。……俺たちがこんな贅沢してていいのかよ」
「それは、あなたがそれだけ戦ってきた証拠ですよ。……日常を完全に置き去りにできる権利が、今のあなたにはある」
レオンが直人の隣に座り、自分のグラスも縁に置く。
温泉の熱と、日本酒の熱。
二つの熱が直人の身体の中で混ざり合い、
境界線が曖昧になっていく。
「……ミツキの奴、今頃どうしてるかな。……あいつ、意外と寂しがり屋だからな」
「直人さん、またミツキさんの心配ですか? ……今は、……僕のことだけ、考えてください」
レオンが直人の手からグラスを取り、
それを縁に置くと、濡れた手で直人の頬を強く、
けれど壊れ物を扱うように包み込んだ。
「……昨夜、あんなに僕をめちゃくちゃにして、……僕を狂わせたのに。……まだ足りません。あなたが欲しい…」
レオンの瞳が、温泉の湿り気を含んで艶っぽく、
それでいて暗い情熱を湛えて光る。
「……バカ、……のぼせてんのかよ。……顔が赤いぞ」
「ええ、直人さんに。……もう一生、のぼせたままでいい。……あなたの毒に当てられて、動けなくなればいい」
お湯の揺らぎが、肌と肌の摩擦をより滑らかに、
そして官能的に変えていく。
直人はレオンの首に腕を回し、
自分からも深く、深い舌を絡めた。
この安らぎこそが、今の自分にとってのすべてだった。
4. 茜色の停滞:微睡みの檻
露天風呂から上がり、
火照った身体に薄手の浴衣を羽織っただけの二人は、
そのまま主室の布団へと倒れ込んだ。
窓の外、広大な庭園の木々は、
いつの間にか燃えるような茜色に染まり始めている。
空は濃いオレンジから深い紫へと溶け込み、
世界の終わりを予感させるような、美しくも残酷な色をしていた。
「……ん……っ、レオン……やめろって……。……寝かせてくれ……」
うとうとと深い眠りに落ちそうになるたびに、
耳元にくすぐったい吐息が吹きかけられ、
首筋に熱い唇が押し付けられる。
直人は重い瞼を持ち上げ、
自分に覆い被さっている男を力なく押し返した。
だが、レオンは微動だにせず、むしろその重みを楽しんでいるかのようだ。
「……起きましたか、直人さん。……幸せそうな寝顔だったので、つい、……悪戯したくなりました」
レオンは悪びれる様子もなく、
直人の浴衣の合わせから覗く鎖骨に、
小さな「印」をまた一つ、深く刻み込んだ。
「……お前、……元気すぎるだろ……。もう夕方じゃないか。……腹も減らねえのかよ」
「ええ。最高の休日ですから。……時間を忘れて、あなたを愛で、……あなたを食むためだけの、特別な日なんです」
直人は再び意識を失いそうになったが、
今度は太ももの内側を執拗になぞる指先の感触に、
びくりと身体を跳ねさせて完全に目が覚めた。
5. 逃げ場のない「二択」
「……さて。……直人さん、そろそろ『準備』の時間ですよ」
レオンが直人の耳朶を甘く噛み、低く、逃げ場のない声を響かせた。
その声は、甘い蜜の中に鋭い針を隠し持っているかのようだ。
「……あ? ……準備って……、……何の話だよ……」
「今夜の準備です。……さあ、今日の『洗浄』はいつにしましょうか?」
その言葉に、直人は一気に顔を熱くさせた。
いくら深く愛し合っているとはいえ、
自分を「整備」されるようなその儀式には、
プライドも相まって、まだ慣れない激しい羞恥心がある。
「……あー……。……それは、……その……後で俺が、一人で浴室でやっておくよ。……お前は、……そこで大人しくしてろ。……大丈夫だ」
直人はレオンの視線を避け、
這い出すように布団から逃げようとした。
だが、その腰はすぐに大きな掌によって引き戻され、
再びシーツの上へと、有無を言わせぬ力で組み伏せられる。
「……一人で? ……そんな寂しいこと、僕が許すと思いますか?」
レオンの瞳に、昼間の穏やかさとは違う、捕食者のような冷徹で熱い光が宿る。
「……直人さん。……あなたに、逃げられない選択肢を差し上げます。……一つは、今から僕が、あなたの隅々まで、責任を持って『洗浄のお手伝い』をすること」
「……っ、……もう一つは?」
「……洗浄などせずに、……そのまま、……僕をまた受け入れること」
直人は息を呑んだ。心臓が早鐘を打ち、喉の奥がカラカラに乾く。
「……はぁ!? ……お前、……何を……っ。……不衛生だろ、……それに、……不快感があるのは俺なんだぞ……っ!」
「……僕は、……全く構いませんよ。……むしろ、……僕の痕跡で満たされたままの、汚れたあなたを、……そのまままた汚す方が、……僕の歪んだ欲望が満たされて、狂いそうになります。……それが僕の本音です」
レオンの言葉は、熱を帯びて直人の肌を直接焼くようだった。
その言葉の端々から、普段は押し殺しているレオンの「黒い情欲」が漏れ出している。
「……洗浄しないままでもいい。……むしろ、そのままでいてほしい。……さあ、直人さん。……どちらを選びますか?」
6. 屈辱の承諾と、甘美な夜の幕開け
直人は絶句した。
「洗浄のお手伝い」を選べば、明るい夕方の光が差し込む中で、
レオンの指に隅々まで弄られ、
内側の粘膜までをも観察されるような、
昨夜以上の羞恥に晒されることになる。
だが、「洗浄しないまま」を選べば、
それはそれで、レオンの理性を完全に吹き飛ばし、
今夜もまた夜明けまで一睡もさせてもらえないほどの
「報復」を受けることは、レオンの瞳を見れば明らかだった。
「……っ、……レオン、……お前……っ、……性格悪すぎだろ……!」
「……おや、……選べませんか? ……では、……僕が勝手に決めても? ……僕は後者の方が好みですが」
レオンの指が、直人の浴衣の帯をゆっくりと、残酷なほど時間をかけて解き始める。
「……待て、……待てって! ……わかった、……わかったから……っ!」
直人は真っ赤な顔を枕に埋め、消え入りそうな声で、けれど断腸の思いで絞り出した。
「……っ、……洗えよ、……お前が……。……っ、……その代わり、……っ、……絶対に優しくしろよ……。……いいな?」
「……はい。……仰せのままに、僕の班長(ボス)。……極上の、そして最も優しいケアを、約束します」
レオンは勝ち誇ったような、
けれどどこまでも深い慈愛を湛えた笑みを浮かべ、
直人を抱き上げ、バスルームへと向かった。
窓の外では、太陽が山際へと完全に沈み、
二人の「終わらない夜」が、再び静かに、
けれど苛烈に幕を開けようとしていた。
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