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第25話 不遜な侵入者
1. 巨大基地の洗礼と「獲物」への視線
横須賀基地は、以前の基地とは比較にならないほど巨大な組織だった。
整備工場一つとっても、その広さは数倍に及び、
ひっきりなしに機体のエンジン音が唸りを上げている。
ここでは、様々な部隊から集まった血気盛んな若者たちがひしめき合っている。
特にパイロットたちは、常に死と隣り合わせの任務に就いているせいか、
その欲望や感情の発露が極めて直球で、剥き出しであることも珍しくなかった。
そんな喧騒の只中に、新しい整備班長として着任した小川直人は、
期せずして「注目の的」となっていた。
軍組織において、熟練の整備士は宝だ。
しかし、直人が浴びている視線は、単なる技術への敬意だけではなかった。
「小川班長、お疲れ様です! 今日のエンジン調整、あのアライメントの取り方、神懸かってましたよ」
「班長、次の休みに駅前に新しくできた店があるんですけど、一緒に行きませんか? 飲みに行きましょうよ」
作業を終えて工具を片付ける直人の背中に、遠慮のない誘いの声が飛ぶ。
直人は橘レオン3佐と事実上の婚姻関係にあり、共に幹部宿舎で暮らしている。
それは基地内の人事記録にも残っている既知の事実だ。
だが、この巨大な基地には、その「鉄壁の守り」すらも、
自分たちの若さと情熱で崩せるのではないかと錯覚する、怖いもの知らずの不届き者がいた。
その筆頭が、若手パイロットのホープ、一ノ瀬少尉だった。
彼は直人の「職人としての誠実さ」を、最も狡猾な方法で利用しようとしていた。
「仕事の相談なんです、班長。俺の機体、どうも左へのロールがわずかに重い気がして。……数値には出ない感覚の話なんですよ。飲みにでも行ってじっくり話さないと、俺、次の訓練でミスしそうで」
そう言って、一ノ瀬はわざとらしく肩を落とし、捨てられた子犬のような瞳で直人を覗き込む。
「……数値に出ねえ、だと?」
直人は眉を寄せた。
整備士にとって、パイロットの「感覚」は無視できない重要なデータだ。
一ノ瀬が殊勝な態度で、しかも機体の安全に関わる不安を口にすれば、
直人に「邪険に突き放す」という選択肢は消える。
「……わかった。5分だけだぞ。ここで詳しく話せ。飲みに行く必要はねえ」
「ええっ、そんな。5分じゃ足りませんよ……」
一ノ瀬は不満げな声を上げながらも、
直人が自分に意識を向けたことに、密かな勝利の笑みを浮かべていた。
直人の、油の匂いが染み付いた首筋や、
作業服越しにわかる引き締まった身体。
直人自身は
「自分のような可愛げのないオッサンが」と自嘲しているが、
その無自覚な色気が、一ノ瀬のような若い捕食者たちの本能を激しく揺さぶっていることに、
彼は全く気づいていなかった。
2. 冷徹なエリートの、あまりに熱い「監視」
その頃、事務棟の静かな執務室で、
橘レオン3佐は三枚並んだモニターのうち、右端の一枚を凝視していた。
そこには、広大な第3工場のライブ映像が映し出されている。
本来、防犯カメラの映像を私的に閲覧することは、
厳格な規律違反だ。
だが、レオンは
「新任整備班長による部隊適応状況のモニタリング、および事故防止のための動線確認」
という、いかにも幹部らしい正当な名目で、
閲覧権限を自分の端末に引き込んでいた。
(直人さんは、本当に分かっていない……)
レオンは、指先でデスクの端をトントンと叩きながら、苦々しく呟いた。
モニターの中の直人は、一ノ瀬の機体の主翼の下で、熱心に説明を聞いている。
その際、一ノ瀬がわざとらしく直人の至近距離まで顔を寄せたり、
説明の拍子に肩を触れ合わせようとしているのを、
レオンは高精細なレンズ越しに全て見抜いていた。
(あの一ノ瀬という男……。視線が機体ではなく、直人さんの腰に注がれている。万死に値しますね)
レオンの目には、汗を拭う直人の腕のラインも、
屈み込んだ時に強調される腰の曲線も、
全てが世界で最も価値のある芸術品のように映っていた。
同時に、それは人を狂わせ、理性を蒸発させる「劇薬」でもあった。
橘レオンという男は、これまでの人生を鉄の自制心で支配してきた自負がある。
どんな困難な任務も、冷徹な判断力でクリアしてきた。
だが、小川直人という存在が絡んだ瞬間に、
その強固な自制心は、砂の城のように脆く崩れ去るのだった。
(僕の自制心ですら粉々になったんだ。あんな若造たちの薄っぺらな自制心など、直人さんの魅力の前では一瞬で蒸発してしまう。……やはり、もっと徹底的に『虫除け』を施すべきでしたか)
レオンは、手元の高級万年筆を、
指先が白くなるほど強く握りしめた。
モニターの中の一ノ瀬が、直人の耳元で何かを囁き、
直人が困ったように笑う。
その光景が網膜に焼き付くたび、
レオンの胸の奥で、ドロリとした黒い嫉妬が渦を巻いた。
「……見ていなさい。あなたが今夜、誰の腕に抱かれ、誰の名前を呼ぶことになるのか。思い知らせてあげますよ」
レオンは、氷のような微笑を浮かべ、内線電話へと手を伸ばした。
一ノ瀬の明日のスケジュールに、嫌がらせに近いレベルの「座学講習」を追加するために。
3. 宿舎の夜、甘えと「エチケット」の攻防
夜。
横須賀の潮風が窓を叩く中、直人が幹部宿舎の自室に戻ると、
そこには既に身支度を整え終え、異様なほどの熱気を孕んだレオンが待ち構えていた。
「直人さん、おかえりなさい……。遅かったですね」
「……うおっ!? びっくりさせんなよ」
玄関に入るなり、レオンは大型犬のような勢いで直人に縋り付いた。
そのまま、直人をリビングのソファへと押し倒す。
レオンの腕の力は、直人が本気で抵抗しなければ逃げられないほどに強かった。
「……また、あの一ノ瀬という若造に捕まっていたんでしょう。僕には分かります。あなたの髪から、彼と同じ機体の匂いがする」
「……はあ? お前、どんな嗅覚してんだよ。あいつは仕事の相談をしてきただけだ。熱心な若手だよ。お前が気にしすぎなんだって」
直人は困ったように笑い、レオンの整った髪を乱暴に撫でた。
直人にとって、レオンという男は
「自分を選んでくれた、分不相応なほど有能なパートナー」だ。
だからこそ、レオン以外の男に自分が靡くなどという想像は1ミリもしていないし、
ましてや他人が自分を性的な対象として狙っているなどとは、露ほども思っていない。
「俺が、お前以外の男を相手にするわけねえだろ? お前以上の男なんて、この基地のどこを探したっていねえよ。……ほら、離せ。重てえんだよ」
「……ダメです。靡かなくても、あなたが他の男にその笑顔を見せるだけで、僕の心は削れるんです。今すぐ、あなたの中に僕を補充させてください」
レオンは、直人の首筋に深く顔を埋め、執拗にその匂いを吸い込んだ。
その渇望するような仕草に、直人は毒気を抜かれ、呆れ果てた溜息をつく。
「……わかった。わかったから。一旦、離せ。シャワー浴びてくる。一日中、油と汗にまみれてたんだ。まずは身綺麗にさせろ」
「……待てません。別にそのままでも、僕は構わないと言っているのに。むしろ、整備場で他の男に晒されたその姿を、僕が上書きして消し去りたい」
「馬鹿言え。こっちはエチケットとして譲れねえんだよ。汚ねえままでお前に抱かれるなんて、俺のプライドが許さねえ」
直人は、これが自分なりの誠実さだと言わんばかりに、
レオンの腕を巧みに潜り抜けて脱衣所へと逃げ込んだ。
4. 浴室の「洗浄」という名の愛撫
直人がシャツを脱ぎ捨て、浴室の扉を開けた瞬間。
背後に気配を感じる間もなく、誰かが強引に中へ踏み込んできた。
「……おい! レオン!? お前、何して……っ」
「直人さんが『洗浄』を譲れないと言うのなら、僕が手伝います。一人でやるより、僕が細部まで磨き上げたほうが、より完璧に綺麗になる」
レオンは既に、一分の隙もない制服を脱ぎ捨て、
その鍛え上げられた肢体を晒していた。
狭いシャワーブースの中で、二人の肌が密着する。
湯気の熱気と、レオンの放つ独占欲の熱気が混ざり合い、直人の思考を麻痺させていく。
「……っ、洗浄とか言うな! 恥ずかしくねえのかよ……!」
「恥ずかしくなどありません。僕は、僕の所有物を最高の状態にメンテナンスしたいだけですから」
レオンはシャワーヘッドを手に取り、直人の肩から背中にかけて、熱い湯を流した。
そして、たっぷりと泡立てたソープで、直人の身体をなぞり始める。
それは決して、汚れを落とすための手つきではなかった。
指先が直人の鎖骨をなぞり、乳首を指の腹で転がし、引き締まった腹筋を通り抜けて、その下の「核心」へと向かう。
「……あ、っ……レオン……お前……」
「ここも、念入りに洗わなければいけませんね。……今日は一ノ瀬少尉に、何度もこの腰を見られたのでしょう?」
レオンの指が、直人の臀部の割れ目に滑り込み、奥深くを穿つように動く。
直人は壁に手をつき、荒い息を吐きながら、その執拗な「洗浄」に身を任せるしかなかった。
「……ふう……、っ。本当にお前には、……一生勝てる気がしねえよ」
直人は、鏡越しに自分を射抜くようなレオンの熱い瞳を見て、
半分諦めたように、けれど至福の表情で目を閉じた。
自分をダメにするのは、他の誰でもない。
この、自分にだけは自制心の欠片も見せない有能すぎる男なのだと、
直人は深く自覚しながら、横須賀の夜へと溶けていった。
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