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◇小品 髪

 放課後の弦楽部。  部員たちがそれぞれの持ち場でパート練習に励む中、練習室の隅では七音が手慣れた動作でチェロをケースに収めていた。  その様子を、楽器を片付け終えた暁輝が、なんとなく眺めるともなく眺めていた。 「朝波くん」 「はい」  呼びかけに、七音が顔を上げる。  暁輝は少しだけ首を傾げ、彼の頭元を凝視した。 「髪、染めてんの?」  七音は意外そうに瞬きをして、短く首を振った。 「いや、地毛です」  暁輝は、納得したように口角を上げる。  西日に照らされた練習室の窓際。  逆光の中に立つ七音の髪は、漆黒というよりは、透き通るような柔らかい茶色をしていた。  強い光を受けると、毛先が細い金色の糸のように淡く輝く。 「すごいね」  暁輝が、感嘆を込めて言う。 「いい色。オシャレっていうか、品がある」 「……母方の祖父が、イギリス人らしくて」  七音は、どこか他人事のような、ひどく淡々とした調子で答えた。  その温度の低い反応に、暁輝はわずかに目を細める。  七音はしばらく沈黙を守っていたが、やがて視線を落とし、ぽつりと本音をこぼした。 「この色……あんまり好きじゃないんです」  暁輝は少し意外そうに、言葉の続きを待った。  七音は自分の爪先を見つめたまま、言葉を一つずつ拾い集めるようにして続ける。 「小さい頃から、鏡を見るたびに……思い出すんです。母親のこと」  自嘲気味な、小さな笑い。 「ほとんど会ったこともないんですけど」  暁輝は何も言わなかった。  安易な慰めも、同情の言葉も口にせず、ただ静かに七音を見つめていた。  それから、ゆっくりと手を伸ばす。    吸い寄せられるように、七音の髪に触れた。    指先に伝わってきたのは、驚くほど柔らかく、絹のような質感だった。  指の間を、さらさらと音もなく滑り落ちていく。暁輝は、その感触を確かめるように、そっと髪を梳いた。  不意の接触に、七音の体が微かに強張る。 「真っ直ぐだね」  暁輝は、独り言のように低く呟いた。  指の隙間を流れていく琥珀色の糸。その繊細な手応えが、暁輝の胸を妙に締め付けた。  暁輝は、ふっと穏やかに笑った。 「朝波くんっぽいよ、この髪」  七音が、弾かれたように顔を上げる。  暁輝は逸らさずに、ごく自然な響きで告げた。 「俺は好きだけどね。すごく綺麗だと思う」  その真っ直ぐな言葉に、七音は何も返せなかった。  鏡を見るのが、好きではなかった。  そこに映る自分の中に、遠くに行った母親の面影を探してしまうのが、怖かったからだ。  だから――。  そんなふうに肯定されたのは、生まれて初めてのことだった。  夕暮れの静寂の中、指先から伝わる体温だけが、やけに鮮明に心に刻まれていた。

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