4 / 76
◇小品 髪
放課後の弦楽部。
部員たちがそれぞれの持ち場でパート練習に励む中、練習室の隅では七音が手慣れた動作でチェロをケースに収めていた。
その様子を、楽器を片付け終えた暁輝が、なんとなく眺めるともなく眺めていた。
「朝波くん」
「はい」
呼びかけに、七音が顔を上げる。
暁輝は少しだけ首を傾げ、彼の頭元を凝視した。
「髪、染めてんの?」
七音は意外そうに瞬きをして、短く首を振った。
「いや、地毛です」
暁輝は、納得したように口角を上げる。
西日に照らされた練習室の窓際。
逆光の中に立つ七音の髪は、漆黒というよりは、透き通るような柔らかい茶色をしていた。
強い光を受けると、毛先が細い金色の糸のように淡く輝く。
「すごいね」
暁輝が、感嘆を込めて言う。
「いい色。オシャレっていうか、品がある」
「……母方の祖父が、イギリス人らしくて」
七音は、どこか他人事のような、ひどく淡々とした調子で答えた。
その温度の低い反応に、暁輝はわずかに目を細める。
七音はしばらく沈黙を守っていたが、やがて視線を落とし、ぽつりと本音をこぼした。
「この色……あんまり好きじゃないんです」
暁輝は少し意外そうに、言葉の続きを待った。
七音は自分の爪先を見つめたまま、言葉を一つずつ拾い集めるようにして続ける。
「小さい頃から、鏡を見るたびに……思い出すんです。母親のこと」
自嘲気味な、小さな笑い。
「ほとんど会ったこともないんですけど」
暁輝は何も言わなかった。
安易な慰めも、同情の言葉も口にせず、ただ静かに七音を見つめていた。
それから、ゆっくりと手を伸ばす。
吸い寄せられるように、七音の髪に触れた。
指先に伝わってきたのは、驚くほど柔らかく、絹のような質感だった。
指の間を、さらさらと音もなく滑り落ちていく。暁輝は、その感触を確かめるように、そっと髪を梳いた。
不意の接触に、七音の体が微かに強張る。
「真っ直ぐだね」
暁輝は、独り言のように低く呟いた。
指の隙間を流れていく琥珀色の糸。その繊細な手応えが、暁輝の胸を妙に締め付けた。
暁輝は、ふっと穏やかに笑った。
「朝波くんっぽいよ、この髪」
七音が、弾かれたように顔を上げる。
暁輝は逸らさずに、ごく自然な響きで告げた。
「俺は好きだけどね。すごく綺麗だと思う」
その真っ直ぐな言葉に、七音は何も返せなかった。
鏡を見るのが、好きではなかった。
そこに映る自分の中に、遠くに行った母親の面影を探してしまうのが、怖かったからだ。
だから――。
そんなふうに肯定されたのは、生まれて初めてのことだった。
夕暮れの静寂の中、指先から伝わる体温だけが、やけに鮮明に心に刻まれていた。
ともだちにシェアしよう!

