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4小節目 モーツァルトの午後
入部して1か月。
部内の空気にも、だいぶ慣れてきた。
五月上旬は初夏の陽気。
古い練習室には冷房がないので、シャツの下が少し汗ばむ。
譜面台の上に、新しい楽譜が置かれた。
”Mozart – Divertimento K138”
七音はページをめくる。
「モーツァルトか」
ヴィオラのあかり先輩が言う。
「アンサンブルの定番だよね」
2ndヴァイオリンの紗矢先輩が笑う。
「まあ最初はぐちゃぐちゃになるけど」
暁輝はもうヴァイオリンを肩に乗せていた。
◇
六月末には、弦楽部の恒例行事――
アンサンブルコンサートがある。
部員が自由にグループを作り、それぞれ曲を決めて演奏する。
校内にも公開されるので、
生徒や先生、引退した三年生も見に来るらしい。
一年生の技術底上げのため、
二年生が一年生を誘って組むのもよくあることだ。
一週間前。
部室に来るなり突然、暁輝が言った。
「朝波くん、俺とやろう」
七音は思わず聞き返した。
「……なんて?」
暁輝は真顔で続ける。
「アンコン。
一緒に弾こうよ」
それは半分、決定事項みたいな言い方だった。
結局そのまま話が進み、
気づけばこのカルテットに入っていた。
メンバーの中で一年生は七音だけだ。
正直、少しプレッシャーだった。
(うまくできるだろうか)
◇
「じゃあやろうか」
譜面台が四つ、円になる。
初めての合奏。
暁輝が弓を上げる。
ほんの少し息を吸う。
それが合図だった。
ヴァイオリンが入る。
速い。
軽い。
モーツァルトの旋律が跳ねる。
七音は一瞬遅れて弓を置く。
チェロの低音、リズム
でもすぐに分かる。
(速い)
暁輝の音が前に進む。
チェロが追いかける。
ヴィオラが和音を埋める。
しかし――
一拍。
ほんの少し、ずれる。
音が引っかかる。
紗矢先輩が弓を止めた。
「ストップ」
暁輝が笑う。
「今のやばいな」
あかり先輩も頷く。
「チェロとヴァイオリン、ケンカしてる」
七音は弓を下ろした。
「すみません」
暁輝は首を振る。
「いや、違う」
そして言う。
「聴いて」
「……え?」
暁輝はヴァイオリンを軽く鳴らす。
旋律。
軽く跳ねるモーツァルトのフレーズ。
「これ」
弓を止める。
「このあと、追いかけてみて」
七音は楽譜を見る。
もう一度。
暁輝が弓を上げる。
今度は少しゆっくり。
旋律が始まる。
七音は弓を構えたまま、まだ弾かない。
暁輝の弓を見る。
呼吸。
弓のスピード。
次の拍。
「今」
小さく言われる。
七音が弓を動かす。
チェロの音が入る。
低音が床を伝う。
その上をヴァイオリンが走る。
さっきより自然だ。
暁輝が小さく笑う。
「そう、それ」
七音は弾きながら思う。
(分かる)
この人の音。
前に進むタイミング。
弓の重さ。
フレーズの終わり。
曲が続く。
今度は合う。
ヴィオラの和音がきれいに重なる。
2ndヴァイオリンがメロディを受け取る。
音がひとつの流れになる。
暁輝が振り向く。
ほんの一瞬。
七音を見る。
少し笑う。
曲が終わる。
最後の和音が消える。
少しの沈黙。
紗矢先輩が言った。
「……ねえ」
あかり先輩も頷く。
「今の」
少し笑う。
「めちゃくちゃ気持ちよかった」
七音は弓を下ろす。
胸の奥が、火が点いたように熱い。
暁輝が七音を見る。
「な?できるじゃん」
七音は苦笑する。
「さっきはぐちゃぐちゃでしたけど」
暁輝は肩をすくめる。
「最初はそんなもん」
それから、少し笑って言った。
「でもさ」
「朝波くん、やっぱ合うな」
七音は少し言葉に詰まる。
さっきの演奏がまだ体に残っている。
弓の重さ。
音の流れ。
暁輝の旋律。
(……楽しい)
ふたたび感じたその感覚に、七音は少し驚いていた。
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