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◇小品 ひとみ
※2小節目【チェロやんなよ】暁輝視点
入学式の翌日。
放課後の練習室には、春の埃っぽい光と共に、数人の新入生が見学に訪れていた。
暁輝はヴァイオリンのスケールを軽く流しながら、その様子をぼんやりと眺めていた。
見学に来る連中は、だいたい同じような顔をしている。
期待に胸を膨らませて緊張しているか、ただ楽しそうにはしゃいでいるか。あるいは、強引な勧誘に負けて友達に連れてこられただけの、所在なげな顔。
その中で、一人だけ質の違う空気を纏ったやつがいた。
チェロの前に座っている一年生。
この部で男子は珍しい。
初めて触れる楽器のはずなのに、彼は驚くほど落ち着いた動作で椅子に腰を下ろしていた。
(……あ)
暁輝の指先が止まる。
楽器への触れ方、弓を添える位置。そこに躊躇がない。
(音楽、やってるな)
すぐに分かった。
彼が引いた弓が、太い弦を捉える。
低い、地を這うような音。まだ荒削りではあるが、その響きの中心には、確かな「芯」が通っていた。
(面白い)
暁輝は無意識に立ち上がり、その一年生の方へと歩み寄っていた。
「ねえ」
声をかけると、彼がゆっくりと顔を上げた。
目が合う。
その瞬間、暁輝は思考が止まるような感覚に陥った。
瞳だった。
黒でも、ありふれた茶色でもない。窓から差し込む斜光を受けて、それは複雑な色彩を放っていた。
琥珀のような、あるいは金色の混じった深い緑のような。
角度によって万華鏡のように表情を変える、不思議な瞳。
暁輝は思わず、その目に見入ってしまった。
(……なんだこれ)
日本人にしては色が薄く、光の中では髪までが茶色く透き通って見える。
だが、彼を特別たらしめているのは、その色彩だけではなかった。
その瞳の奥に、「音」が棲んでいた。
ただ眺めているのではない。
まだ鳴っていない旋律を、頭の中で聴いている目。
譜面の行間を読み解こうとする、真摯な音楽家の目。
(……面白いやつ)
ほんの一瞬、暁輝はその視線に魅入られていた。
己の動揺を誤魔化すように、少しだけ口角を上げる。
「音楽、やってるでしょ」
口を突いて出たのは、直感そのままの言葉だった。
相手は一瞬だけ考えるような間を置いてから、静かに答えた。
「……まあ、多少」
「ギター?」
「と、ピアノを」
やっぱり、と思った。
暁輝は小さく頷き、彼が抱えているチェロに視線を落とす。
さっき彼が鳴らした低い残響が、いまだに耳の奥にこびりついて離れない。
(この音……俺のヴァイオリンと合う)
論理的な説明などできない。けれど、音楽というものは往々にして、理屈よりも先に答えを突きつけてくるものだ。
暁輝は軽く笑い、迷いなく告げた。
「チェロ、やんなよ」
一年生が、意外そうに眉を上げた。
「……なんでですか」
「俺と音が合いそうだから」
本当は、もうひとつ理由があった。
さっきの瞳だ。
あの眼差しで音を聴くやつと、一度でいいから合奏 をしてみたい。
そんな強烈な好奇心が、胸の奥で疼いた。
暁輝はヴァイオリンを軽く鳴らし、澄んだ音を部室の隅々まで届かせる。
「俺、ヴァイオリンだからさ」
相手が少しだけ呆れたように、苦笑を漏らす。
「……知ってます」
「だから」
暁輝は、誘うように目を細めた。
「きみと合わせてみたい」
その瞬間、一年生の瞳が再び光を反射した。
琥珀色の奥で、静かな熱が揺れる。
暁輝は確信した。
(絶対に、面白くなる)
こいつの音は、これから恐ろしい速度で変貌していく。
そしてきっと、その変化を誰よりも近くで聴くことになるのは、俺だ。
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