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◇小品 母熊
帰りのバス車内は、行きとは打って変わって静まり返っていた。
出発直後の喧騒はどこへやら、連日の猛練習で精根尽き果てた部員たちは、各々深い眠りに落ちている。
窓硝子に額を預けて微動だにしない者、イヤホンから漏れる微かな音を子守唄代わりに目を閉じている者。
そんな沈滞した空気の中、前方の座席に座る二人の背中が、後方の部員たちの目に入った。
暁輝と、後輩の七音だ。
行きのバスでは、目に見えてひりついた距離を空けていたはずの二人が、今はごく自然に肩を並べて座っている。
(あれ、仲直りしたんだ)
周囲がそんな疑問を抱く中、バスは休憩のためにサービスエリアへと滑り込んだ。
十五分後。休憩を終えた部員たちが次々と車内へ戻ってくる。
その列の中で、ひときわ異彩を放つ男がいた。
暁輝である。
その両腕には、溢れんばかりの食べ物が抱えられていた。
揚げたての唐揚げパック、おにぎりの山、フライドポテトに、なぜかスナック菓子の袋まで。
(出た。またやってるよ)
弦楽部内では有名な話だった。
八神暁輝は、その端正なルックスに似合わず、恐ろしいほどの健食家――平たく言えば、底なしの大食いなのだ。
自席に戻った暁輝は、迷うことなく袋をガサゴソと開け始めた。
そして。
「これ、うまいよ。食べな」
隣の七音に対し、唐揚げをひとつ差し出した。
七音が少し戸惑ったように目を瞬かせる。
「それ、先輩の分じゃないんですか」
「いいから。俺は他にもあるし」
暁輝は全く気にする様子もなく、さらに畳み掛けた。
「ほら、おにぎりも。あとこれ。このグミ、なおが好きそうな味だろ」
次々と七音の前に積み上げられていく食糧の山。
それを見ていた周囲の部員たちは、一様に目を丸くして硬直した。
(ちょっと待て。今、何が起きた?)
(あの暁輝くんが、自分の食べ物を人に分けてる……?)
驚愕には理由があった。
暁輝は食べ物に関しては異常なまでにシビアで、自分の領分を侵されることを極端に嫌う男として知られていたのだ。
要するに、食い意地が張っているのである。
その彼が、惜しげもなく自分の食糧を差し出している。
「なお、細すぎるんだよ。もっと食って体力つけろ」
そう言って、さらに追い打ちの唐揚げを口元へ運ぼうとする。七音は困ったように笑ってそれを受け取った。
その光景を、後方の部員たちは呆然と見守るしかなかった。
(天変地異でも起きるのか)
(食への執着の塊みたいな暁輝くんが……?)
それから、しばらくして。
ふと前方の座席に目をやった部員たちは、再び言葉を失った。
七音が眠っていた。
窓側の席で、すっかり意識を飛ばして眠り込んでいる。その体は大きく傾き、暁輝の肩に完全に預けられていた。
当の暁輝はといえば、片手で静かにスマホを操作しながら、置物のようにじっと座っている。七音を起こさないよう細心の注意を払っているのか、微動だにせず同じ姿勢を保っていた。
後ろの席の部員が、蚊の鳴くような声で囁いた。
「あの暁輝くんがさ」
「自分の食べ物、半分近くも貢いで」
別の部員が、深く溜息をついて続けた。
「……今は、人間クッションになってる。信じられる?」
車内の視線が、一斉にその一点に集中した。
部員たちの誰もが、まるで未知の希少生物でも見るかのような、複雑で意外そうな表情を浮かべていたのである。
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