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15小節目 遠くにある音

 文化祭が終わり、校内はようやくいつもの空気に戻っていた。  初冬の風は冷たいが、日差しはまだ柔らかい。  七音と暁輝は、部活の前に校舎の廊下をのんびり歩いていた。 「今日は寒いですね」  七音が言うと、暁輝はポケットに手を入れたまま肩越しに振り返る。 「まあ冬だし」  少し歩いたところで、暁輝が唐突に話し始める。 「カツサンドってさ、分厚いカツよりも、一周回って薄いカツの方がうまいよな」  七音は少しだけ首をかしげる。 「へえ」 「わかるだろ?」 「わかんないです」  暁輝は納得いかない顔をした。 「絶対そうだって。パンとのバランス」 「どこ情報ですか」 「俺」  七音は少し笑う。      そのとき、後ろから声がした。 「朝波!」  振り向くと、同級生の男子が小走りで近づいてくる。 「ねえ、ちょっと聞いていい?」 「何?」  彼は少し興奮した様子で声を潜めた。 「朝波のお父さんってさ、  あの”EMBER”のギタリストのアサケンってマジ?」  七音は一瞬だけ目を瞬かせる。 「……なんで知ってんの?」 「いや、誰かが話してるの聞いちゃってさ」  男子は身を乗り出すように続けた。 「俺、ファンなんだよ。アサケン」  七音は少し困ったように笑う。 「そうなんだ」 「家ではどんな感じなの?」  その質問に、七音は少し言葉を探した。  それから視線を廊下の先へ向けたまま答える。 「……あんまり帰ってこないから。正直、よく分からない」  男子は慌てて手を振った。 「あ、ごめん! 急に変なこと聞いて」 「いや、大丈夫」  七音がそう言うと、男子はほっとしたように笑う。 「でもさ」  少し楽しそうに続けた。   「アサケンの息子なら納得だよ」 「え?」 「文化祭の曲、めちゃくちゃ良かったじゃん」  七音は返事ができなかった。  彼は満足したようにうなずく。 「いいなー。今度ライブ行くんだよ、EMBERの」  そう言って軽く手を振り、廊下の向こうへ去っていった。    廊下に静けさが戻る。  二人はしばらく黙ったまま歩き続けていたが、やがて七音がぽつりと口を開いた。 「……聞いてましたよね」  暁輝は少し苦笑する。 「ごめん。聞いちゃった」  七音は窓の外へ目をやる。冬の空は薄く曇っていた。   「父親、ほとんど家にいないんですよ」  少し迷うように言葉を選びながら、七音は歩きつつ続ける。 「ツアーとかレコーディングとかで」    軽く笑った。 「有名人らしいです」  けれど、その笑いはどこか苦かった。 「小さい頃は、父親のことを知りたくて」  七音は廊下の床を見ながら言う。 「音楽、めちゃくちゃやりました」  ピアノも、作曲も、理論も。  とにかく音楽なら何でも手を出した。 「でも」  少し間を置く。 「あの人みたいには、全然なれなくて」  七音は小さく息を吐いた。 「なんか……すごい人の影だけ見てるみたいで」  それ以上、うまく言葉が続かなかった。  暁輝は何も言わない。  ただ隣で静かに聞いている。  しばらくして、七音が苦笑した。 「……変なこと話してすみません。忘れてください」  暁輝は答えなかった。  二人はそのまま並んで歩き続ける。  初冬の空気が、静かに廊下を流れていた。  

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