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第一楽章 21小節目 春のリプライズ

 校門の桜が、今年もまた誇らしげに咲き誇っていた。  薄紅色の花びらの隙間から覗く空は、去年より少しだけ近くなった気がする。  七音はチェロケースの重みを肩に感じながら、慣れ親しんだ校舎へと続く坂道を歩いた。  春の風はやわらかく、けれど首筋をなでる空気には、まだ冬の名残のような冷たさが微かに混じっている。 (もう、二年生か)  校門の前では、新入生たちが初々しい姿で記念写真を撮っていた。  少し丈の長い新品の制服、期待と不安が入り混じった硬い表情。その光景を眺めていると、一年前の自分を鮮明に思い出した。  体育館の、埃の舞う光の中で初めて聴いたヴァイオリン。  あの、心臓を直接掴まれるような峻烈な音。  七音は、誰に宛てるでもなく小さく笑った。    ◇    放課後。  弦楽部の部室には、去年と全く変わらない匂いが満ちていた。  乾いた松脂の粉、古い木材の香、そして長年磨き込まれた床の匂い。  けれど、流れる空気は確実に新しくなっていた。 「朝波先輩!」  新入生の男子生徒が、目を輝かせて駆け寄ってくる。 「音楽のこと、教えてください! 先輩のチェロ、めちゃめちゃかっこよくて」  七音は、想定外の「先輩」という響きに戸惑い、苦笑した。 「そんな大したこと教えられないよ」  練習室の中は、嵐のような活気に包まれていた。  あちこちで鳴り響くヴァイオリンのチューニング、メトロノームの規則正しい刻み、そしてまだ不安定な一年生たちの弦の響き。  七音は自分の定位置に座り、チェロを構えた。弓をそっと置くと、深い低音が床を伝って部屋全体に広がっていく。  去年より、少しだけ柔らかく、それでいて芯の通った音。  自分でも驚くほど、指先が弦の振動を正確に捉えている。 (……変わったんだな)  その時、部室の古い扉が勢いよく開いた。 「おー」  聞き慣れた、少し低くて心地よい声。  七音が弾かれたように振り向くと、そこには見覚えのある、けれどどこか大人びた人影があった。  暁輝だ。  同じ制服を着ていても、もう彼は部内の人間ではない。受験という荒波を控えた「三年生」だ。 「先輩……」  暁輝は楽しそうに部室を見回した。 「一年生多いな。活気があっていいじゃん」 「今年は人気なんです」  暁輝は、七音を揶揄うように笑った。 「だろうな。……なおが影のコンマスみたいな顔して座ってるからだろ」  暁輝は七音の隣まで歩み寄り、じっとその手元を見つめた。 「弾いてる?」 「毎日」 「いいじゃん」  短い沈黙。けれど、気まずさは微塵もない。  七音はふと思い出したように、ずっと気になっていたことを口にした。 「先輩。どうですか、三年生になって。……順調ですか?」  暁輝は少しだけ視線を泳がせ、それから軽く鼻で笑った。 「まあまあ。格闘してるよ、問題集と」  そして、何でもない調子でヴァイオリンケースを軽く持ち上げた。 「でもさ。弾く時間は、意地でも捻りだす」  七音は思わず噴き出した。 「……ですよね。先輩らしいです」  暁輝は部室の奥にある、今は誰も座っていない予備の椅子を指差した。そして、一年前のあの日と同じように、当然の権利を行使するように言った。 「なお」 「はい」 「弾こう」  七音は即座にチェロを構え直した。暁輝がヴァイオリンを肩に乗せ、顎を当てる。  二人の弓が、同時に上がる。    次の瞬間、最初の音が生まれた。  暁輝の奏でる、一切の迷いがないヴァイオリンの旋律。その奔放な音色を、七音のチェロが深みのある和音で静かに、けれど力強く支えていく。  音が重なる。  視界の端で、騒がしかった一年生たちが演奏の手を止め、驚きと憧れの入り混じった表情でこちらを見つめているのが分かった。  けれど、七音の意識はもう、隣で鳴り響く音にしか向いていなかった。 (この音だ)  初めて聴いた時と同じ、魂を揺さぶる響き。  でも、去年とは決定的に違う。今は、俺の音がその隣にある。俺の呼吸が、この旋律を支えている。  春の柔らかな光が窓から差し込み、二人の影を床に長く伸ばしていく。  弦の豊かな響きが、新しい季節の幕開けを告げるように部室いっぱいに広がった。    音楽は、終わらない。  二人の新しい楽章が、今ここから始まっていく。 【第一楽章 完】

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