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◇小品 バズ

【七音一年生の初夏~】  六月の上旬。  窓の外では、初夏の風が校庭の木々を鮮やかに揺らしていた。  アンサンブルコンサートに向けた練習が熱を帯びる時期、弦楽部の部室では、なぜか一台のスマホを囲んでちょっとした騒ぎが起きていた。 「動画チャンネルやろう」  突如として言い出したのは、新しいもの好きの部長だった。  あまりの宣言に、各々楽器を触っていた部員たちが顔を上げる。 「弦楽部チャンネル」  部長は得意げにスマホを掲げた。  七音が不思議そうに首をかしげる。 「動画ですか?」 「そう。文化祭とか定期演奏会の宣伝にもなるし、演奏動画って意外と見られるんだよ」  隣のヴァイオリンの女子が興味深そうに覗き込む。 「部活チャンネルって最近増えてますよね」 「でしょ?」  部長は誇らしげに胸を張った。 「ちなみに、学校の許可はもう取ってある」  部室がざわつく。 「え、マジですか」 「どうやって」 「顧問と校長にプレゼンした。文化祭と定期演奏会の集客に、ひいては入学希望者の増加につながりますって。まあ、半分勢いだけど」  部員たちの間で小さな笑いが起きた。  七音は少し考えてから、核心を突く質問をした。 「でも……誰が弾くんですか」  その瞬間、部内の視線が一斉に、部室の奥でヴァイオリンを磨いているコンマスの暁輝と、チェロを抱えて座る一年の七音に注がれた。  部長がにやりと笑う。 「そりゃ、我が部のコンマスとエースでしょ」  七音は即座に否定した。 「いや、エースじゃないです」 「でも朝波くん、ほんとに上手いもん」 「二人が並ぶと絵になるし」  外野の盛り上がりを余所に、暁輝が何でもないことのようにぽつりと言った。 「なお、弾けばいいじゃん」  それは、まるで新しい譜面でも渡すかのような軽い提案だった。  ◇  その日の放課後。  旧校舎の部室で、スマホが三脚に固定された。 「録画してる?」 「してる!」  暁輝がヴァイオリンを肩に乗せる。 「曲なに?」  誰かが聞くと、暁輝は迷いなく言った。 「チャルダッシュ」  七音が顔を上げる。 「いきなりですか」 「いいじゃん。派手だし」  暁輝は軽く弓を鳴らす。  モンティの『チャルダッシュ』。  緩急の激しいこの曲は華があり、二人のテクニックを披露するにもうってつけだった。  暁輝が楽しそうに弓を上げる。 「なお、ついてきて」 「雑」  誰かが笑い、録画が始まった。  演奏が始まる。  最初はゆっくり。ヴァイオリンの旋律が静かに流れる。七音がチェロを重ね、重厚な低音がそれを支える。  やがて曲は加速し、テンポが跳ね上がった。ヴァイオリンが疾走し、チェロが必死に追いかける。  弓が目に見えぬ速さでしなり、後ろで見守る部員たちが息を呑む。 「速!」 「やば」  最後のフレーズ、暁輝が笑っている。  七音もつられて笑う。  そして――最後の一音。二人の弓がぴたりと止まった。  ◇  数日後の昼休み、部室に部長の絶叫が響いた。 「やばい!」  七音が顔を上げる。 「どうしたんですか」  部長が突き出したスマホの画面には、信じられない数字が出ていた。  ――15万回再生。  七音が固まる。 「……え?」 「バズってる」  部室が騒然となる。 「マジで?」 「コメントめっちゃ来てる」  暁輝はどこか他人事のようにスマホを覗き、「へえ」とだけ漏らした。  部長が画面をスクロールする。 「見てこれ」 『このヴァイオリン誰?』 『高校生????』 『チェロの安定感すごい』 『二人の目が合う瞬間やばい』 『なんでこんなに楽しそうなの』 『ヴァイオリンの子の笑い方メロい』 『かっこよすぎ』 『後ろのざわつきがリアル』 『青春すぎる』  部室が笑いに包まれる中、七音は呆然と画面を見ていた。 「……こんな見られるんですか」  暁輝が言う。 「いいじゃん」 「他人事ですね」  暁輝は少し笑って、楽しそうに続けた。 「なお、次なに弾く?」 「もう次ですか」 「波に乗らなきゃでしょ。じゃあ……ツィゴイネルワイゼン」  にやりと笑う暁輝に、七音は顔をしかめる。 「難易度上げすぎです」 「なおならいける」  楽しそうな暁輝の横で、スマホの画面は今もコメントで流れ続けていた。   【おまけ:余波】  文化祭当日。  校内は模擬店の匂いと音楽が混ざり、どこか落ち着かない熱気に満ちていた。  七音と暁輝は二人で催しを物色していた。 「なんか……人多くないですか」  七音が言うと、暁輝は焼きそばを啜りながら「文化祭だし」と全く気にしていない様子だった。  その時、「すみません!」と他校の女子生徒に呼び止められた。 「写真いいですか?」 「……え?」  七音が戸惑う中、女子はまっすぐ暁輝を見つめる。 「演奏動画見見たんです!」 (……弦楽チャンネル)  気づけば周囲に人が増えていた。 「ヴァイオリンの方ですよね?」 「めっちゃかっこよかったです」  次々にスマホが向けられ、七音が固まる横で、暁輝は焼きそばを持ったまま「なんだろうね」と普通に笑い、写真に収まっていた。  その異変の理由は、本番直前の体育館で判明した。  舞台袖から客席を覗いた七音は、声を失う。 「……多い」  体育館は立ち見が出るほどの超満員。  部長が満足げに腕を組んでいた。 「去年の二倍……、いや三倍以上の集客だね。目論見通りだわ」  暁輝が横で笑う。 「成功じゃん」 「だから言ったでしょ? じゃあ頑張って」  司会の声が響く。 「続いては、本校弦楽部による演奏です」  暁輝がヴァイオリンを構え、七音を見る。 「なお、頑張んなきゃね」  にやにやしている暁輝に、七音は顔をしかめた。 「プレッシャーかけないでください」 (……バズってるらしい)  その言葉が少しだけ重く感じられたが、暁輝の「楽しもう」という一言で、七音は少し笑って頷いた。  光の差し込むステージへ、二人は足を踏み出した。

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