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◇小品 なおの写真①コンバス
【第一楽章 夏頃のエピソード】
その日の練習は、いつもより少しだけ、空気がゆるかった。
月に一度くらい訪れる、弦楽部の恒例行事。
「楽器交換しよー!」
誰かがそう高らかに宣言すると、部室の静寂は一気に弾け、お祭り騒ぎのような賑やかさに包まれる。
部員たちは一斉にケースを開け、普段は触れることのない「隣の楽器」を求めてわいわいと集まり始めた。
「ヴィオラ弾いてみたい」
「ヴァイオリン貸して!」
あちこちで弓と楽器が入れ替わり、不慣れな音がそこら中で跳ねる。
その奔放な流れの中で、七音の目の前にどん、と重厚な楽器が据えられた。
「朝波くんは、コントラバスね!」
有無を言わさぬ勢いに押され、言われるままに巨大な木製の筐体を受け取る。
「でかいですね」
自分の背丈ほどもある楽器を見上げ、思わず笑みがこぼれた。
慎重に楽器を持ち上げ、身体の横に構えてみる。重い弓をそっと弦に乗せると、心臓の奥まで響くような、地を這う深い低音が部室の床を震わせた。
その瞬間だった。
「朝波くんかっこいい!」
「めっちゃ映える」
「やば、モデルみたい」
近くにいた女子部員たちが、一斉に色めき立つ。
「ちょっと楽器にもたれてみて」
「そうそう、その感じ!」
気づけば、何台ものスマホのレンズがこちらを向いていた。
カシャカシャと連続するシャッター音。連写の響き。中には動画を回し始める者までいる。
七音は、逃げ場を失ったまま神妙な顔でコントラバスの傍らに立っていた。
(……なんでこうなるんだ)
とはいえ、部内における男子の立場は、数的に見ても強くない。逆らっても勝ち目がないことは重々承知しているので、とりあえずされるがままに黙って立っておくことにした。
その様子を満足げに眺めながら、部長がスマホの画面を覗き込む。
「この写真さ」
彼女はにやりと企むような笑みを浮かべた。
「動画チャンネルのアイコンにしていい?」
七音は、それだけは断固として拒否すべく間髪入れずに答えた。
「嫌です」
「そんなあ」
女子たちの笑い声が部室に響く。
結局、アイコン採用は免れたものの、手元には大量の「コントラバスと七音」の写真が残されることになった。
◇
数日後の放課後。部室での一幕。
「暁輝くん見て見て」
二年の女子部員が、暁輝にスマホを差し出した。
「朝波くんとコンバス、激メロ」
暁輝が、ふいと動きを止めて画面を覗き込む。
そこには、夕暮れの光の中でコントラバスに軽く寄りかかる七音の姿があった。すらりとした体躯と、重厚な楽器のシルエットが美しく並び、無意識のポーズが思った以上に様になっている。
暁輝はしばらく何も言わず、食い入るようにじっと画面を見つめていた。
「いいでしょ?」
女子が楽しそうに追い打ちをかける。
「かっこよくない?」
暁輝は視線を画面に固定したまま、静かに、けれど有無を言わせぬトーンで言った。
「この写真」
一拍置いて、続ける。
「送って」
近くで自分のチェロの弦を拭いていた七音が、驚いて振り向く。
「なんで?」
暁輝は、ごく普通の、明日の天気を話すような調子で答えた。
「欲しい」
「いや、なんで」
「いいじゃん」
さらに、彼は当たり前のように畳み掛けた。
「他にもあるやつ、ぜんぶ送って」
部室が一瞬だけ、真空になったように静まり返った。
女子部員たちが顔を見合わせ、それから同時に、意味深な笑みを浮かべてにやにやし始める。
「……え」
七音は、向けられる視線の熱さに困惑し、顔を伏せた。
理由はよく分からない。
ただ、なぜか。
暁輝のストレートすぎる言葉に、心臓がいつもより少しだけ速く脈打ち、猛烈に恥ずかしかった。
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