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第二楽章 10小節目 海風のカンツォーネ

 十一月下旬、季節は足早に晩秋へと差し掛かっていた。  修学旅行という学校生活の大きな節目に、七音は本土の寒さを忘れさせる南国・沖縄の地にいた。    二日目の夜。  七音は喧騒を離れ、一人でホテルの外へと歩を進めていた。  中庭は静寂に包まれ、時折、客室の窓から漏れ聞こえる同級生たちの弾んだ笑い声が、遠い世界の出来事のように響く。  南国の夜気は僅かに湿り気を帯び、頬を撫でる風はやわらかい。  揺れる椰子の葉の向こう側には、吸い込まれるような深い闇を湛えた海が広がっていた。  七音はポケットからスマホを取り出し、青白く光る画面をじっと見つめる。指先が迷うように動いた後、意を決して通話ボタンを押した。  電子的な呼び出し音が、静かな夜に数回刻まれる。  ほどなくして、鼓膜に直接届いたのは、何よりも聞き慣れたあの声だった。  七音の唇が、自然と弧を描く。 「先輩」  電話の向こうで、暁輝が慈しむように低く笑った。 「さみしくなっちゃったの?」  七音は波音を聞きながら、正直な想いを口にする。 「……そうかもしれません」  それから二人は、とりとめのない言葉を交わした。  昼間に見たエメラルドグリーンの海の透明度のこと。浮き足立った友人たちの微笑ましい騒ぎっぷり。広すぎるホテルの部屋に、一人でいると少しだけ落ち着かないこと。  暁輝は、その一つひとつを愛おしむように楽しそうに聞いていた。  やがて、暁輝がふっと思いついたようなトーンで切り出した。 「なお、歌ってよ」  七音は一瞬、呼吸を止めた。 「……え」 「俺のために。今、聴きたい」  それは、我儘というよりは切実な願いのような、体温の乗った声だった。  七音は観念したように、小さく吐息を零す。 「急ですね」 「いいから。贅沢なアンコールだと思ってさ」  七音は少し照れくさそうに首をすくめ、南国の夜空を見上げた。雲の切れ間から、いくつか鮮やかな星が瞬いている。  それから、彼はそっと唇を開いた。  やわらかな旋律。風の形をなぞるような、穏やかなメロディ。  楽器を持たない七音の歌声は、いつもより少しだけ高く、澄んだ響きとなって海風に溶けていく。  電話の向こう側で、暁輝は何も言わなかった。  ただ、受話器越しに伝わる微かな衣擦れの音と、深い呼吸の気配だけが、彼がそこにいることを証明していた。  歌が終わると、潮騒だけが支配する心地よい沈黙が落ちた。  やがて、暁輝が絞り出すように言った。 「なおが足りない」  七音は思わず、声を立てて笑った。 「なんですかそれ。パズルのピースみたいに」  暁輝は、冗談めかしながらも本音を隠さずに言う。 「早く帰ってきてよ。一緒に弾こう」  七音は星空を見上げたまま、深く、静かにうなずいた。 「……はい。すぐに」  ◇  翌日、修学旅行の最終日。  七音は友人たちと共に、活気に満ちた国際通りを歩いていた。  軒を連ねる土産物屋からは三線の音が流れ、観光客たちの活発な声があちこちから飛び交っている。  その時、七音はある小さな工芸品店の前で、吸い寄せられるように足を止めた。  店先の木箱に、色とりどりの小さなガラス細工が並んでいる。  深い海の色を閉じ込めたような琉球ガラス。その中心には、幸運を呼ぶと言われる星砂が静かに封じ込められていた。  七音は誘われるまま店内に足を踏み入れる。  棚の上には、沖縄の自然を模した様々な色彩のキーホルダーが、天井の光を受けてきらめいていた。  その中で、一際目を引く一品があった。  深い蒼から鮮やかな橙へと移り変わるグラデーション。それはまるで、水平線から太陽が昇る、夜明けの海そのもののような色合いだった。  七音はそれを手に取り、光にかざしてみる。中の星砂が、微かな振動で小さく、けれど確かに瞬いた。  ふと、一人の青年の顔が脳裏に浮かぶ。  ヴァイオリンを構える真剣な横顔。子供のように無邪気に笑う声。そして、自分を導いてくれるあの圧倒的な音。  七音は、独り言のように小さく微笑んだ。    店を出た七音の手には、丁寧に包まれた小さなガラス工房の袋が握られていた。  その中で、暁の光と海の色を写したガラスが、カチリと音を立てて静かに揺れている。  暁輝のヴァイオリンケースに、この海色の欠片が寄り添う光景を想像して、七音は満たされた気持ちで帰路への一歩を踏み出した。

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