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◇小品 銀の鋲

 三月下旬。  受験の重圧から解き放たれ、大学生活への期待に胸を膨らませていた頃。  七音は、リビングのソファに座る暁輝の横顔を見て、文字通り目を丸くした。 「ピアスしてる!!」  暁輝が長い指先で耳たぶに触れる。  そこには、普段は見られないシルバーの小さなピアスが鈍く光っていた。  中学の頃に勢いで開けたというピアス穴。  演奏の邪魔になるからと、普段は透明な樹脂製すら通していないはずの「秘密の場所」が、今は雄弁にその存在を主張している。 「昨日、姉ちゃんに誕生日祝いでもらったんだよ。どう?」  少しだけ首を傾け、茶目っ気たっぷりに決め顔を作る暁輝。 「……かっこいい。めちゃくちゃ、似合ってます」  七音は正直に感嘆を漏らした。  それからというもの、映画を観ている間も、夕食のパスタを啜っている間も、七音の視線は磁石に吸い寄せられるように暁輝の耳へと釘付けになった。  翌朝。  春の柔らかな日差しの中で微睡んでいた暁輝は、枕元で鳴った「ガサガサッ」という威勢のいい音で目を覚ました。 「先輩!見て!」  目の前に突き出されたのは、お馴染みの翌日配送通販サイトの紙袋。  中からは、仰々しいパッケージのピアッサーが二つ、転がり落ちてきた。 「え、どうしたのそれ」 「俺もピアス開けます」  鼻息荒く宣言する七音に、暁輝の眠気は一瞬で吹き飛んだ。  また七音が謎の行動力を発揮している、と暁輝はため息をついた。  さて、どう諭そうか。 「なおはそのままでかわいいよ」 「かわいいって言われても嬉しくないです」  失敗した。 「……安定するまでは痛みもあるし、感染症のリスクもあるし。よく考えてから決めない?」  暁輝が優しく言うと、七音は煌めく瞳でじっと暁輝を見つめた。  また背後に子犬を背負っている。こいつ、わかってやっているのか。  暁輝は根負けした。 「……わかった。俺が開けてあげるから」  七音は目を輝かせて、暁輝の膝の間に座った。  保冷剤で七音の柔らかい耳たぶを冷やし、丁寧に消毒を施す。 「開けるよ?」  七音が頷いたので、暁輝は迷いを断ち切るようにピアッサーのレバーを押し込んだ。  パチンッ、という乾いた音とともに、七音が「んっ」と小さく声を漏らす。  白く、柔らかな皮膚を、自分の手で貫くという背徳感。  暁輝はなぜか、とんでもなく「いけないこと」をしている気分に陥った。  心の中で般若心経を高速詠唱しながら、もう片方の耳にも穴を穿つ。  できあがった自分の姿を鏡で見て、七音はご満悦だった。  嬉しそうに暁輝を見て、「おそろいですね」とにこにこする七音がかわいくて、暁輝はとりあえず襲った。  案の定、七音のピアスホールは膿んでしまって、毎日暁輝が消毒することになるのだった。

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