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◇小品 台所のストラヴィンスキー
【第三楽章 秋のエピソード】
9月。
夏休みが明けた七音は、学校の授業に東條のレッスン、そして受験対策の塾と、分刻みの忙しい日々を送っていた。
対照的に、まだ大学生の夏休みを満喫中の暁輝は、心配を口実に頻繁に七音の自宅へ様子を見に行っていた。
ある残暑の厳しい夕方。暁輝が七音の家に向かって歩いていると、スマホが短く震えた。
『おなかすきました』
七音からの、力尽きたようなメッセージだった。
七音を育てた同居の祖母は、七音の父と同様にどこまでも自由な人だ。
今は北欧へ避暑に出かけて不在だという。
(先月も軽井沢に行っていなかったか?)
自由すぎる一族に内心でツッコミを入れながら、暁輝は通りがかったスーパーへ滑り込んだ。
冷房の効いた店内で食材を眺めていると、ふと、以前七音が振る舞ってくれた「あの焼きそば」の味を思い出した。
(……負けてられないな)
謎の闘争心に火がついた暁輝は、一度伸ばした惣菜への手を引き戻し、生鮮コーナーへと引き返した。
野菜と肉をカゴに放り込み、勇み足で七音の家へと向かう。
やってきた暁輝を出迎えた七音は、彼の手にある重そうな袋を見て瞬きを繰り返した。
暁輝は挨拶もそこそこにキッチンへ直行する。
七音も、吸い寄せられるようにその後を追った。
ダイニングテーブルの上に転がっているインスタントうどんの空き容器を見つけ、暁輝は露骨に呆れた顔をする。
「なお。お前、こればっかり食べてるの?」
「う。手軽なので……」
袋から取り出されたのは、出来合いの料理ではない。
玉ねぎ、人参、キノコ、ベーコン。それにたっぷりのひき肉。
「え、先輩? 作るんですか?」
「そう。なおには特別に、俺の手料理を食べさせてやろう」
不敵に笑った暁輝は、おもむろに包丁を握った。
普段、ヴァイオリンの指板の上を器用に滑るその指先が、今は慎重すぎる動作で食材を解体していく。
「なおは野菜を食べなきゃダメだ。肉ももっと摂って、体力をつけないと……」
「……先輩、玉ねぎが細かすぎて消えそうです」
「何も言うな。これが『計算された食感』なんだよ」
ぶつぶつと独り言を言いながら調理を進める暁輝を、七音は可笑しそうに見つめた。
時折、暁輝はフライパンの前で眉間にシワを寄せた。
「おかしいな……。調味料の比率は間違っていないはずなのに、思ったように調和しない」
「音楽じゃないんだから。ちょっとお砂糖入れると落ち着きますよ」
七音に指摘され、「……そう?」と半信半疑で味を整える暁輝。
ステージ上のマエストロらしからぬ迷走ぶりに、七音は何度も吹き出しそうになった。
三十分後。
テーブルに並んだのは、湯気を立てるミートソーススパゲティと、彩り豊かな野菜スープ。
「先輩! おいしいですよ、これ!」
七音は頬を上気させ、一口食べるごとに目を輝かせてパクパクと食べ進めた。
暁輝は、その様子を自分では一口もつけずに満足げに眺めていた。
「俺が誰かに料理を振る舞ったの、なおが初めてだよ」
七音はパスタを巻く手を止め、驚いたように目を見開いた。
「え。……それは、光栄です」
照れ隠しにそう言って笑うと、暁輝の目尻がさらに優しく下がった。
「アイスも買ってあるからさ。もうちょっと勉強頑張ったら、一緒に食べよう」
嬉しそうに微笑む七音を見つめながら、暁輝は胸の内に、言葉にできないほどの愛おしさが湧き上がってくるのを感じていた。
外はまだ残暑の熱が残っているが、このキッチンだけは、秋の訪れを告げるような穏やかで温かい空気に満たされていた。
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明日から第四楽章です。最終章になります。
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