96 / 103

◇小品 化石のシンギュラリティ

 暁輝が高校生で七音と出会った当時。  放課後の部室で、暁輝が「連絡先交換しよう」と声をかけた。その時、七音のポケットから出てきたのは、令和の現役高校生が持っているとは信じがたい二つ折りの機械――いわゆるガラケーであった。 「なお。それはもしかして遺物?」 「いえ、携帯電話です。おかしいですか?」 「おかしいっていうか、メッセージアプリも使えないだろ。連絡、全部メールなの?」 「はい。電話とメールができれば十分ですし」  文明の利器を拒絶するような七音の淡白さに、暁輝は危機感を覚えた。このままでは、この稀有な才能を持つ後輩と、スムーズに「音」のやり取りもできない。  結局、暁輝は七音に対し『スマホに変えるべき10の理由』を、論文発表のごとく丁寧にプレゼンした。その甲斐あって、翌週には七音がピカピカの最新スマホを「これ、どうやって点けるんですか」と困惑しながら携えて登校し、暁輝を安心させたのだった。  ◇  スマホデビューから一ヶ月後。 「なおさあ、メッセのアイコン、いつまで初期設定のままなの? 変えればいいのに」 「……あいこん?」  七音は、未知の言語を耳にしたかのように首を傾げた。 「自分らしい画像に変えれば、誰からの連絡かすぐ分かるだろ。自分で撮った写真とかさ」 「しゃしん、ですか……」  暁輝は嫌な予感がして、七音のスマホのカメラロールを覗き込んだ。  案の定、そこには「画像がありません」の無慈悲な文字。 「スマホで写真って、どうやって撮るんですか。どこにシャッターがあるんですか」 「そこからかよ」  暁輝は、可哀想なものを見る目で七音を見守りつつ、カメラアプリの起動からシャッターの押し方までをレクチャーした。七音の『デジタル・レベル』が1上がった。 「早速、撮ってみます!」  鼻息荒く宣言した七音は、スマホを両手で掲げて、獲物を狙う猫のように校内をちょこまかと動き回り始めた。  三十分後、満足げな顔で戻ってきた七音からスマホを受け取り、暁輝は画面をスクロールする。  そこには、七音の視界に映った「日常」が脈絡なく並んでいた。  誰もが嫌う数学の問題集。黒板の片隅の落書き。裏庭にいる毛艶の良い黒猫。練習室の床に置かれた譜面台。 (手当たり次第だな……)  苦笑いしながら画面をめくっていた暁輝の手が、ある一枚で止まった。  それは、ヴァイオリンを構える暁輝の姿だった。  窓からの光を浴び、凛と背筋を伸ばして弓を運ぶ瞬間。画面越しでも、その弦が震える音が聞こえてきそうなほど、鮮烈な一枚。 「いつの間に撮ったんだよ。てか、俺を撮ってどうすんの」  少し照れくさく思いながら尋ねると、七音は当然のことを言われた、という顔で答えた。 「先輩が、忘れたくないものを撮りなさいって言ったから」  その真っ直ぐな言葉に、暁輝は一瞬目を丸くした後、降参したように破顔した。  ◇  それから三年後。  七音の家の防音室。暁輝の目の前で、七音はPCのモニターに向かっている。  画面には複雑なDAWの編集画面が広がり、七音は迷いのない手つきで機材を操作している。かつてカコカコとガラケーを弄っていた少年は、今や最新の動画編集ソフトまでも操り、独り言を呟きながら緻密な音を編み上げていた。 (進化しすぎだろ)  スマホでの検索の仕方がわからず、指を震わせていた頃の七音を思い出し、暁輝は少しだけ寂しさを感じた。雛鳥が、自分の教えられない空の先へと飛び去ってしまったような――。 「……先輩!! 大変です、パソコンが、うんともすんとも言わなくなった!」  突然、七音が椅子を蹴立てて叫んだ。 「画面が固まった! 俺の三時間の作業が! 先輩どうしよう、これ爆発しますか!?」  半泣きでキーボードをめちゃくちゃに連打する七音。  その「相変わらず」な様子を見て、暁輝はなぜか深い安堵を覚え、優しく、けれど少し笑いを含んだ声で言った。 「落ち着け、なお。再起動してみよう。CtrlとAlt、それからDeleteだよ」  デジタルを極めても、中身はあの頃の「化石」のまま。  暁輝は、自分に縋ってくる七音の頭を、昔と同じようにわしゃわしゃと撫で回した。

ともだちにシェアしよう!