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◇小品 化石のシンギュラリティ
暁輝が高校生で七音と出会った当時。
放課後の部室で、暁輝が「連絡先交換しよう」と声をかけた。その時、七音のポケットから出てきたのは、令和の現役高校生が持っているとは信じがたい二つ折りの機械――いわゆるガラケーであった。
「なお。それはもしかして遺物?」
「いえ、携帯電話です。おかしいですか?」
「おかしいっていうか、メッセージアプリも使えないだろ。連絡、全部メールなの?」
「はい。電話とメールができれば十分ですし」
文明の利器を拒絶するような七音の淡白さに、暁輝は危機感を覚えた。このままでは、この稀有な才能を持つ後輩と、スムーズに「音」のやり取りもできない。
結局、暁輝は七音に対し『スマホに変えるべき10の理由』を、論文発表のごとく丁寧にプレゼンした。その甲斐あって、翌週には七音がピカピカの最新スマホを「これ、どうやって点けるんですか」と困惑しながら携えて登校し、暁輝を安心させたのだった。
◇
スマホデビューから一ヶ月後。
「なおさあ、メッセのアイコン、いつまで初期設定のままなの? 変えればいいのに」
「……あいこん?」
七音は、未知の言語を耳にしたかのように首を傾げた。
「自分らしい画像に変えれば、誰からの連絡かすぐ分かるだろ。自分で撮った写真とかさ」
「しゃしん、ですか……」
暁輝は嫌な予感がして、七音のスマホのカメラロールを覗き込んだ。
案の定、そこには「画像がありません」の無慈悲な文字。
「スマホで写真って、どうやって撮るんですか。どこにシャッターがあるんですか」
「そこからかよ」
暁輝は、可哀想なものを見る目で七音を見守りつつ、カメラアプリの起動からシャッターの押し方までをレクチャーした。七音の『デジタル・レベル』が1上がった。
「早速、撮ってみます!」
鼻息荒く宣言した七音は、スマホを両手で掲げて、獲物を狙う猫のように校内をちょこまかと動き回り始めた。
三十分後、満足げな顔で戻ってきた七音からスマホを受け取り、暁輝は画面をスクロールする。
そこには、七音の視界に映った「日常」が脈絡なく並んでいた。
誰もが嫌う数学の問題集。黒板の片隅の落書き。裏庭にいる毛艶の良い黒猫。練習室の床に置かれた譜面台。
(手当たり次第だな……)
苦笑いしながら画面をめくっていた暁輝の手が、ある一枚で止まった。
それは、ヴァイオリンを構える暁輝の姿だった。
窓からの光を浴び、凛と背筋を伸ばして弓を運ぶ瞬間。画面越しでも、その弦が震える音が聞こえてきそうなほど、鮮烈な一枚。
「いつの間に撮ったんだよ。てか、俺を撮ってどうすんの」
少し照れくさく思いながら尋ねると、七音は当然のことを言われた、という顔で答えた。
「先輩が、忘れたくないものを撮りなさいって言ったから」
その真っ直ぐな言葉に、暁輝は一瞬目を丸くした後、降参したように破顔した。
◇
それから三年後。
七音の家の防音室。暁輝の目の前で、七音はPCのモニターに向かっている。
画面には複雑なDAWの編集画面が広がり、七音は迷いのない手つきで機材を操作している。かつてカコカコとガラケーを弄っていた少年は、今や最新の動画編集ソフトまでも操り、独り言を呟きながら緻密な音を編み上げていた。
(進化しすぎだろ)
スマホでの検索の仕方がわからず、指を震わせていた頃の七音を思い出し、暁輝は少しだけ寂しさを感じた。雛鳥が、自分の教えられない空の先へと飛び去ってしまったような――。
「……先輩!! 大変です、パソコンが、うんともすんとも言わなくなった!」
突然、七音が椅子を蹴立てて叫んだ。
「画面が固まった! 俺の三時間の作業が! 先輩どうしよう、これ爆発しますか!?」
半泣きでキーボードをめちゃくちゃに連打する七音。
その「相変わらず」な様子を見て、暁輝はなぜか深い安堵を覚え、優しく、けれど少し笑いを含んだ声で言った。
「落ち着け、なお。再起動してみよう。CtrlとAlt、それからDeleteだよ」
デジタルを極めても、中身はあの頃の「化石」のまま。
暁輝は、自分に縋ってくる七音の頭を、昔と同じようにわしゃわしゃと撫で回した。
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