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◇小品 酔いどれのコントラプンクト
ある夜。
日課になりつつある、暁輝と七音の穏やかな食後の一杯。
琥珀色の杯を揺らし、まったりとした会話を楽しんでいたその時、玄関の扉が派手な音を立てて開いた。
朝波家の(一応の)主、アサケンである。数ヶ月ぶりの帰還を果たした彼は、リビングの扉を蹴破らんばかりの勢いで入ってくると、テーブルに並ぶ二人のグラスを見て目を丸くした。
「お前ら、子供のくせに一丁前に酒飲んでんのか」
「父さん、俺たち成人だよ。一丁前も何もない」
七音が呆れ顔で返すと、父は悪ガキのような不敵な笑みを浮かべた。
彼はキッチンの棚をガサゴソと漁り、秘蔵のウイスキーボトルを一本引っ張り出してきた。そしてグラスを三つ、叩きつけるように並べると、黄金色の酒をなみなみと注ぐ。
「ほれ、飲もうぜ。これはそこらの安酒とは格が違うんだ」
「アサケンさん、いきなりなおにストレートはちょっと……」
暁輝の制止を聞いたアサケンは、ムッとした顔で七音のグラスにドボドボと水を注いだ。
それが、朝波家伝統の「無秩序な夜」の幕開けだった。
この三人が揃えば、話題が音楽に流れるのは必然。
気づけば父は愛用のギターを抱え、若き二人に「ギタリストの魂」を熱く説き始めていた。
「いいか、弦を弾くんじゃない、魂を抉るんだよ!」
暁輝は興味津々といった顔で相槌を打つが、酒が回って饒舌になった七音は容赦ない。
「父さんのそれは理論じゃなくてただの精神論だよ。和声の解決が強引すぎる」
「ハッ! 理論で飯が食えるかよ。お前は頭が固いんだ、七音」
親子二人の、血を分けた「音楽討論」が火花を散らす。
宴もたけなわ、そろそろお開きかと思われたその時。
再び玄関が騒がしくなり、リビングの扉が今度は「音もなく」開いた。
朝波家の真の主、七音の祖母の帰還である。
国内外を気ままに飛び回る彼女は、暁輝も数回しか会ったことのない伝説の女傑だ。
祖母は、テーブルに散らばったグラスと三人の赤い顔を見て、コロコロと鈴を転がすように笑った。
「あらあら! 七音、もうハタチになったのね。おめでとう!」
彼女は迷いのない手つきでキッチンの奥から一升瓶を取り出した。
「あたしのとっておき、開けてあげるわ」
「あの、お祖母様、もう結構飲んでるので、これ以上は……」
暁輝が咄嗟に止めに入るが、祖母は本気で何を言われているのか分からないという顔をした。彼女にとって、酒とは「飲むもの」ではなく「流れるもの」なのだ。当然のように並べられた猪口に、芳醇な大吟醸がタプタプと注がれていく。
「あ。これ、おいしい」
最初に口をつけた七音が、感嘆の声を漏らす。初めての日本酒が、どうやら彼の中の「朝波の血」を目覚めさせてしまったらしい。
「だろ? これ高いんだよ。今日はついてるな!」
アサケンこと七音父も嬉々として猪口を煽り、祖母は既に自分の三杯目を注いでいる。
暁輝はすべてを諦め、滅多にお目にかかれない名酒の相伴に預かることにした。
そこからは、もはや泥沼の再会セッションだった。
暁輝とアサケンが音楽の未来を語り合う横で、七音がキャンキャンと(しかし極めてロジカルに)吠える。祖母は菩薩のような笑みを浮かべながら、空いた猪口に間髪入れず酒を継ぎ足していく。
数時間後。
朝波家のリビングには、床に転がる三体の「屍」があった。
アサケンはギターを抱えたまま爆睡し、暁輝はソファでぐったりと項垂れ、七音は暁輝の膝に頭を預けて「展開部が……」と寝言を呟いている。
ただ一人、頬をほんのりと桜色に染めただけの女傑が、その惨状を見てのほほんと首を傾げた。
「いやだわ、みんな。男の子なのに情けないわねぇ」
彼女は鼻歌を歌いながら、最後の一滴を自分の猪口に注ぎ、月明かりを透かして優雅に飲み干した。
朝波家のピラミッドの頂点に君臨するのは、間違いなくこの祖母だった。
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