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◇小品 八神家のおかしな晩餐会①

 ある日の夕食後。七音がソファで食休みをする横で、暁輝がタブレット端末を開き、何やら作業を始めた。朝波家ではすっかりお馴染みの光景だ。  暁輝が見つめる画面には、英語の文章がみっしりと並んでいる。彼は海外の専門的な文献を、辞書をほとんど引かずに読み解くことができるのだ。  七音の口から、ずっと気になっていた疑問がぽろりと漏れ出した。 「先輩って、」  暁輝が読み進める手を止めて、七音の方を見る。 「英語、話せるんですか?」  あまりに子供じみた質問に、七音はすぐに気恥ずかしくなって肩を縮めたが、暁輝は笑いながら答えた。 「そうだね。日常会話くらいなら、ある程度は。専門分野やビジネスの話になると、単語を調べないとキツいけど」  自慢げな様子は微塵もない、いつも通りの淡々とした口調だった。 「すご……。俺、何言ってるのかはなんとなく分かりますけど、話したり書いたりは全然です」 「なおは耳がいいから。訓練すれば、すぐに話せるようになるよ」  そう言って笑う暁輝の表情に、一点の曇りもない。  暁輝は国内トップクラスの大学で優秀な成績を収め、理数系が専門で、語学も堪能、そのうえ音楽の才能まである。七音は、物語のヒーローのような彼のプロフィールを頭の中で並べながら、尊敬よりも先に、彼がこれまで積み重ねてきたであろう血の滲むような努力に思いを馳せた。  ◇  大学生の暁輝は、一週間のほとんどを恋人である七音の家で過ごしている。彼の家は音楽をするには最高の環境だし、なにより家族が不在がちなため、二人きりで()()()()楽しむにはうってつけなのだ。  約二週間ぶりに、暁輝は自宅へ帰った。駅から緩やかな坂を上った先にある、大きな窓が印象的な邸宅。暁輝は、あの日当たりの良い窓の下で、姉と共に幼少期の多くの時間を過ごした。  荷物を取りに寄っただけなので、自室で用を済ませてさっさと階下へ降りる。ふと気配を感じてリビングを覗くと、ソファで横たわっている人物に気づいた。 「あ、母さん」 「うおっ!?」  母と呼ばれたその人物は、暁輝の声に驚いて跳ね起きた。「帰ってきたなら言ってよー」と不満げに零している。  寸分の隙もなくセットされたショートヘアに、洗練されたオフィスカジュアル。しかし、その顔立ちだけが酷くくたびれていた。彼女こそが暁輝の母、八神 舞である。  暁輝は、しわしわになった母に水を差し出しながら声をかけた。 「なんか母さん、久しぶりに見た。今は名古屋にいるんじゃなかったっけ?」 「本社で会議があって、三日くらいこっちに居られることになったのよ」  舞は大手広告代理店で二十年以上働く「バリキャリ」であり、現在は上級管理職として全国を飛び回る猛者だ。親子は義務的に近況を語り合った。仲が悪いわけではないが、一緒に過ごした思い出は決して多くない。  暁輝が辞去しようとした時、母が思い出したように言った。 「暁輝くん!明後日、お父さんが帰ってくるから空けておいてね」 「……随分と急だね」  父は海外赴任中で、もう一年ほど顔を見ていない。 「なんか、こっちで仕事があるとか言ってたわよ。夜、家族で食事したいらしいから、お姉ちゃんにも言っておいてね。以上!」  言い切るなり、母は再びソファに崩れ落ちた。相当な激務なのだろう。  明後日と言われ、暁輝は七音と出かける約束をしていたことを思い出した。反故にするのは忍びないが、一年ぶりの父を後回しにするのも親不孝だ。  暁輝は少し考え、悪戯っぽく口角を上げると、母に声をかけた。 「母さん。……一人、連れて行ってもいい?」  ◇  色とりどりのネオンが眩しい中華街。香ばしい香りを漂わせる路面店に人々が吸い寄せられ、怪しげな占いの店には行列ができている。  七音は、持っている中で一番上等な服を身に纏い、歴史ある名店の前に立っていた。隣には、小綺麗な格好をした暁輝。七音は詳しい経緯を聞かされないまま、ここまで連れてこられたのだ。 「先輩、ここ、すごく格式高いお店ですよ……?大丈夫なんですか?」 「うん、予約してるから入ろう」  案内に従い、入り組んだ通路の奥にある個室の扉が開かれる。  そこには、七音が全く予想していなかった先客がいた。 「暁輝くん。女の子を待たせないでくれる?」  グラスを優雅に傾けているのは、姉の光理だ。そこにいるだけで周囲が華やぐような、圧倒的な美貌。彼女は七音に気づくと、弾かれたように立ち上がって飛びついてきた。 「七音じゃない!どうしたの?会えて嬉しい!」  わしゃわしゃと髪を掻き乱されながら、七音が「なんで光理さんが」と疑問を漏らす。その混乱した様子を見て、光理はすべてを悟った。 「……暁輝くん。きみ、本当に悪い男だね」 「どうもありがとう」  麗しい姉弟がにっこりと笑い合うのを戦慄しながら眺めていると、再び扉が開き、一組の男女が入ってきた。 「やあ、遅くなってしまったかな」 「父さん、久しぶり」  ――父さん。その言葉を聞いた瞬間、七音の思考は停止した。  入ってきたのは、仕立ての良いスーツを完璧に着こなした上品な壮年男性だった。若い頃はさぞ浮名を流したであろう、成熟した色気を醸し出している。その後ろには、凛としたショートヘアの女性。  暁輝がニヤリと笑い、場を支配するように声を張り上げた。 「父さん、母さん。こいつが、話してた奴。名前は七音」  紹介された七音は、反射的に深々と頭を下げたが、その魂は既に宇宙の果てまで飛び去っていた。

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