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「それにしても――(ひょう)の衣装に泥を付けたのはいったい誰の仕業かということだ。遼二(りょうじ)紫月(しづき)のジャングルコンセプトがああまで被ったのも腑に落ちない」  ショーの結果は万々歳だったものの、肝心なそれを放り置いておけるものでもない。犯人探しなど(ジォウ)鐘崎(かねさき)がちょっと調べればすぐにも割れるだろうが、問題はその犯人が内部犯だった場合だ。 「うちの事務所内にそんなことをするヤツがいるとは思いたくねえんだがな――」  正直なところ(リー)(リゥ)綾乃木(あやのぎ)といったマネージメントスタッフは疑う余地もない人格者揃いだ。レイとしても心から信頼をおける者たちといえる。とすれば、モデル仲間がやったとしか考えられない。 「ジャングルコンセプトについてはショーの直前まで他所(よそ)の事務所が知り得たはずもない。衣装のデザインを考えるにしても時間を要するしな。とすれば、事前に誰かがコンセプトを漏らしたということになるわけだ」  長いファッション業界の歴史の中では、大きなショーの前にデザインが流出したりという事案が皆無だったわけではない。金を積まれて情報を売ってしまったり、事務所同士、デザイナー同士で失脚を狙ったスパイ行為なども少なからずあったことは事実だ。これについてはある意味想定内と諦めざるを得ないが、衣装に泥を掛けて使い物にならなくするなどといったことは類稀だ。しかも、それを実行できた人物は自ずと限られてくるということから、頭の痛い話なのである。 「あの時間、(ひょう)のフィッティングルームに入れた可能性が高いのはうちの事務所の人間だけだ。他所(よそ)の事務所はステージ本番直前になるまでフィッティングルームを使うことができねえわけだし、仮に上手く潜り込んだとしても万が一犯行の現場を見られた場合、業界内では相当な問題になる。今後二度とあのショーには出場できなくなるのは必至だ」  他所(よそ)の事務所が賞欲しさの為とはいえ、そんなリスクを犯すとも思えない。とすれば、自分たちの事務所の誰かがやった可能性しか考えられないわけだ。 「内部の者の仕業だとすれば、考えられる原因はおそらく嫉妬だろう。カップリングモデルに抜擢された(ひょう)を妬んでのことだと思える」  抜擢した責任は自分にあるし、事実関係を明らかにすべきとは思うが――と言いながらも、 「(ひょう)には嫌な思いをさせちまって申し訳ないが、俺個人としては今回の犯人を探すことはしないでおこうと思うのだ」  レイは苦い顔つきで頭を下げた。 「放っておいてもいずれ明らかになる時が来るだろう。その前に反省して自ら名乗り出る――もしくは名乗り出る勇気がなかったとしても、本人にとってはやっちゃならねえことをやったという罪悪感が少なからずあるはずだ。自らの過ちを深く悔いて反省し、今後は二度とそんな卑怯なことをしない人間になってもらいたい。妬む前に自分を磨く為の努力をして欲しい――そう思うのだ」  レイの言いたいことは(ジォウ)ら皆にもよく分かる気がしていた。ここで大騒ぎにして犯人を炙り出したところで、その犯人が事務所内のモデル仲間から軽蔑の目で見られるのは必至だろう。まだ若い者揃いのモデルたちだ。この先の信頼を一瞬で失ってしまうことは目に見えている。それよりも当事者には反省して悔い改め、やり直す機会を与えてやりたいと思うのは事務所代表としての親心なのだろう。  (ひょう)にもその意は充分に伝わったのか、それ以前にそもそも心根のやさしい彼だからなのか、自分もレイさんの思いと同じですと言ってくれた。 「犯人を探すだなんて――そんなことはしたくありません。それに、事務所の誰かを疑うなんて申し訳ないです。まったく知らない外部の人がやったかも知れないのに、大騒ぎにして事務所内の輪を乱したくはないです」  実のところ、(ひょう)はこれまで幾度かこのギムナジウム内で小石をぶつけられたり嫌味を言われたりしてきたわけで、もしかしたら犯人はモデル仲間の誰かかも知れないという見当はついていたものの、敢えてその人物を血祭りに上げるようなことは気が進まないのだ。自分が妬まれていることも羨ましがられていることも承知だが、実際に光栄極まりない抜擢を授けてもらえたことは事実だ。嫌がらせはその有り余る大抜擢に付随する当然の副産物として受け止め、自分はすべき努力のみに目を向けて精進したい。(ひょう)はそう思うのだった。  まさかこの温情あふれる決断が甘かったと後悔させられることになろうとは、この時の誰もが想像できずにいた。やはり悪いことは悪いのだと、きちんとケリをつけるべきだった――そんなふうに焦らされる事態が待っていようとは予測すらできなかったのである。

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