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香港――。
特に疑われることもなく無事に通関した後、冰 は男二人によってタクシーへと乗せられた。窓の外を飛んでいく景色から、どうやら街中へ向かっているようだ。冰 にとっては見慣れた景色。こんな事態でもなければ懐かしささえ感じられるものだった。
(へえ、変わってないなぁ。あ! こんなところに新しい店が出来たんだ。あのビルの壁画も前と変わってる)
そんな思いで眺めていた冰 の様子があまりにも暢気過ぎると思ったのか、男たちは怪訝そうに眉根を寄せていた。とはいえ、タクシーの車内だ。『キョロキョロするな』などと威圧的なことを言うわけにもいかない。運転手に日本語が分かるはずもなかろうが、昨今は監視カメラが車載されていることも多い。後々不利になる言動は極力避けるべきと分かっているようだ。
そのままほぼ会話もないままにタクシーを降ろされたのは、地理的には把握できる街中であったものの、表通りからは離れた路地裏だった。そこで初めて男たちからまともに声を掛けられた。
「おい、今からお前を現地の人間に引き渡す。俺たちはここまでだ」
どうやらまた別の誰かに引き継がれるといったところだろうか、この男たちはこのまま帰るようだ。
「言うまでもねえと思うが、余計なことはしゃべるなよ」
「まあ心配は要らねえさ。どうせあとちょっとの命だからな」
物騒なことを聞かされながら連れて行かれたのは古びた長屋のような建物の一室、そこには別の男たちが三人で待っていた。
「ふん、一応時間通りだな。で、そいつが例のガキか」
薄暗い部屋で煙草をふかしながら男が言った。言語は英語だ。
「その通りで。後はよろしく頼みますぜ」
ここまで冰 と連れ立って来た男が短くそう返したが、英語はあまり得意でないようだ。たどたどしい以前に、早く引き渡してこの場から去りたいという感情が見て取れる。
この場で待っていた男三人は、彼らの間では広東語で会話している。
「こんなガキ一人連れて来んのに大の男を二人も寄越すたぁ、ご苦労なこった」
「こいつらも早く帰りてえみてえだし、ガキさえ預かりゃ用は無え。約束の金だけ受け取ってサッサと引き上げてもらえ」
「おい、念の為パスポートも受け取っとけよ」
そんな会話が成されている。詰まるところ自分はこの三人に売られたということだろうか。チラリと垣間見えた封筒の中身は金だろう。厚みからして多くも少なくもないと思えるそこそこな金額だ。
だが、売られたというなら金を払うのは三人の方だ。ところが三人が金を受け取ったところを見ると、もしかしたら自分はこの三人によって秘密裏に始末される――つまり殺される為にわざわざ海外にまで連れて来られたということになるのだろうか。そういえば先程も『どうせあとちょっとの命だ』などと言っていたのを思い出す。
(やっぱり僕は殺される為に拉致されたんだ……。でも分からない。殺したいほど恨まれる覚えはないんだけどな。それとも――僕に嫌がらせをしていた人物が殺したいほど憎んでいたってことなんだろうか)
嫌がらせをしていたのは十中八九同じ事務所のモデル仲間の誰かだ。だが、直接顔を見たわけではないし、声も聞き覚えがなかった。
(あれはいったい誰だったんだろう。それともまったく別の理由で連れて来られたっていう可能性もゼロじゃないけど、正直思い当たらない)
それにしても日本から男が二人も付き添ってここ香港までやって来るなんて、随分と大掛かりだ。偽造パスポートひとつにしてもそうだが、難なく通関できたということは、よほど精巧に作られていたということだ。そういえばこれまでの渡航履歴まで偽造されてあった。行き先はハワイとグアムに一度ずつ、冰 のような若い男のパスポートとしては実に尤もという出来栄えだ。
とにかくこのまま理由も分からずに黙って殺されるわけにはいかない。せめて周 や鐘崎 、紫月 といった世話になった人々へのお礼と別れの挨拶くらいはしたいところだ。
(例え殺すにしても今ここですぐというわけでもないよね。人気の無い山の中に連れて行かれるか、あるいは騒音で掻き消される廃倉庫か、はたまた夜の海にでも沈められるか。とにかくどこかへ移動することは確実だろうだろうから。仕方ない――ちょっと危険かも知れないけど、どのみち殺されるんだったら一か八かだ。仕掛けてみるしかない)
そう覚悟を決めると、冰 は三人の男たちに向かって話し掛けた。
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