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 (ひょう)演じる娘が恋人との駆け落ちに向けて、一人自室で荷造りをする場面が始まった時だった。演技に目を向けていた鐘崎(かねさき)の父・僚一(りょういち)が何やら異変を感じ取ったようにして密かに隣の飛燕(ひえん)へと耳打ちした。 「おい――、妙な臭いがせんか?」  飛燕(ひえん)もまた同様の気配を感じていたようだ。 「ああ、ガス漏れのような……というよりガソリンが気発したような臭いだ」  いったいどこから漂ってくるというのか――。  二人は観客の邪魔にならないよう控えめながらも鋭く周囲を窺う。どうやら異臭は後方の席の方から流れて来ているようだ。チラリと後ろに目をやると、出入り口付近の扉に近い辺りの客たちが数人、『何か臭わない?』というような顔をしてざわつき始めているようだった。  ――と、次の瞬間だった。  舞台に立つ(ひょう)の頭上から突如プラスチック製と思われる大きな容器が落下。(ひょう)には当たらなかったものの、ステージに転がり落ちたと同時に容器からは大量の液体が流れ出した。それとほぼ同時に客席後方から凄まじい火の手が上がった。悲鳴と共に火の手はみるみると客席通路を這うようにして一気に燃え広がっていく。 「飛燕(ひえん)! ガソリンだ! 観客を避難させろ! 俺は(ひょう)を――」  火の手は通路に流れたものが呼び水の如く、瞬く間にステージ上にこぼれた容器を目指す。 「皆、左右の扉へ!」  飛燕(ひえん)が大声を上げて観客たちを誘導、僚一(りょういち)は素早く駆け上がると、ステージ上の(ひょう)を抱き抱えるようにして舞台袖へと転がり込んだ。その直後、ポリタンクからあふれ出た液体に引火して、舞台は一瞬で炎の海と化した。僚一(りょういち)の機転により間一髪で(ひょう)が炎に包まれることは避けられたものの、ホール内は瞬く間に炎上し、まるで地獄絵図の如く悲鳴で埋め尽くされていった。  二部に出演する為、控え室で待機していた鐘崎(かねさき)紫月(しづき)らの元にもきな臭い異臭と悲鳴が轟き、驚いて駆け付けたホールは烈火から逃げ惑う人々の悲鳴で大混乱と化していた。また、僚一(りょういち)(ひょう)を抱えて転がり込んだ袖とは反対側のフィッティングルームを使用していた(ジォウ)は、この後のデュエットダンスに向けて地下からせり上がる奈落が稼働するスタンバイ位置へと向かっている途中だった。その為、直接の被害は免れたものの、この瞬間にステージ上にいるはずの(ひょう)のことが即座に脳裏を過ぎる。爆炎の音とホールに響き渡る悲鳴を聞いてすぐさまステージへと向かったものの、そこには目を疑うような光景が広がっていた。  燃え盛る炎に包まれたステージ上に(ひょう)の姿を見つけることもできずに、無事を確かめることも叶わないままで勢いを増す火の手に行く手を阻まれた。 「(ひょう)! (ひょう)ーーー!」  業火の中、愛しき者を呼ぶ悲鳴すら掻き消されていく――。

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