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 あの女――白蘭(バイラン)か!  広いホールだ。ステージまでは距離がある。黒煙は白煙に変わり、火の勢いは衰えていたが、周(ジォウ)らの目には更に恐ろしい光景が――。  白蘭(バイラン)が手にしていた容器の蓋を開けて、奈落へ液体を注がんと傾けている。  女の手にはジッポ式のライター。  容器の中身は聞かずともガソリンであろうことが明らかだ。とすれば、この大惨事の元凶もまた、この女の仕業だったということだ。  本気で焼き殺すつもりか――周(ジォウ)はまさに自らが焔(ほむら)となった如くに怒りと焦燥で修羅と化した。 「冰(ひょう)ーーーーーッ!」  火傷で潰れ掛かった喉を更に焦がし尽くす勢いで周(ジォウ)の絶叫がホール内に轟いた。まるでその背には大きな漆黒の翼が生えたかのようにしてステージ上へと駆け上がり、女の手にしていたポリタンクから今にもこぼれ落ちんとしていた液体を自らの背で受け止めるべく奈落へと飛び降りると、そのまま下にいた冰(ひょう)の上に身を盾にして覆い被さった。と同時にその背中へとガソリンが降り注がれる――。次の瞬間、火の点いたライターが女の手から離された。 「周焔(ジォウ イェン)ーーーッ!」  鐘崎(かねさき)が絶叫と共に女へと飛び掛かり、空中に舞ったライターを掴み取ろうと手を伸ばす。ジッポ式のそれは火が点いたままで鐘崎(かねさき)の手をすり抜け、奈落へと真っ逆さまに落ちる寸前だった。 「遼(りょう)! 伏せろッ!」  客席通路から一本の木片が一直線に飛んで来て、寸でのところでライターを弾き飛ばし――その瞬間に火は掻き消されて床へと転がった。木片は紫月(しづき)が来る途中で拾って来たそれだったのだ。  時間にしてわずか一瞬のことだったが、誰の目にもすべてがスローモーションのように映っていたに違いない。  周(ジォウ)が奈落へ飛び込む瞬間も、  鐘崎(かねさき)が女に飛び掛かって取り押さえた瞬間も、  その手で掴み取ろうとしたライターに届かずに絶望を覚えた瞬間も。  そして、その絶望を薙ぎ払うかのように紫月(しづき)によって放たれた木片がライターを弾き飛ばした瞬間も――すべてが永遠の如く感じられていたに違いない。  我が身を捨てて愛する者の盾にならんとした周(ジォウ)と、彼らを救わんと同じく捨て身の覚悟で女の企てを阻止した鐘崎(かねさき)と紫月(しづき)も――皆の固い友情と絆がまるで奇跡のように実を結び、奈落でガソリンを浴びた周(ジォウ)らに引火することなく最悪の事態は防がれたのだった。 「冰(ひょう)ッ! 冰(ひょう)! もう大丈夫だ! 大丈夫だ」  枯れた喉から懸命に声を振り絞りながらそう言って、周(ジォウ)は冰(ひょう)を抱き締めた。 「イ……焔(イェン)さん……焔(イェン)さんッ……!」  冰(ひょう)は抱き包まれたまま、周(ジォウ)の腕の中で気がふれたようにして号泣。一歩間違えば周(ジォウ)が業火に焼かれていただろう状況に、悲痛な嗚咽はしばらく止むことがなかった。  その後、鐘崎(かねさき)ら駆け付けた皆によって周(ジォウ)と冰(ひょう)の二人は奈落から無事に助け出された。そしてもはやテロともいうべきこの大惨事を引き起こした白蘭(バイラン)は、消防隊と警察によってお縄となり、連行されていった。 ◇    ◇    ◇

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