117 / 121

116 二人の約束

 半年後――。  頃は十月半ば、鐘崎(かねさき)組の隣に一之宮(いちのみや)道場が完成し、いよいよ紫月(しづき)もギムナジウムを去ることとなった。  (ジォウ)らが出て行ってから鐘崎(かねさき)紫月(しづき)の二人はカップリングモデルとして一年間を過ごした部屋を後輩たちに明け渡し、以前に紫月(しづき)が暮らしていたペントハウス端の部屋へと移動した。モデルとしての活動は引退したので、この半年間は新たにカップリングモデルとなった源真夏(みなもと まなつ)北条秋夜(ほうじょう しゅうや)たちのマネージメントを担当しながら、階下の大部屋で暮らす後輩たちのレッスンなどにも付き合ってきたわけだ。  そんな紫月(しづき)も道場の完成を機に父・飛燕(ひえん)を手伝うべくここを去る日がやって来た。カップリングモデルに選ばれ、出会ってから早一年半以上、相方として共に暮らした日々が走馬灯のように脳裏を巡る。 「——なんか不思議な感覚だな。明日にはここを出て行くってのが信じらんねえくらいだ」  二人並んでベッドの縁に腰掛けながら紫月(しづき)は感慨深げに室内を見渡した。 「な、(りょう)——」 「うん?」 「休みの日には——実家に帰って来るべ?」 「ああ、もちろんだ。帰ったら即行でお前さんに会いに行くさ」 「ん、待ってっから」 「おめえの好きなケーキでも手土産に選んで帰るから」 「ん、楽しみにしてる」  所在なさげに紫月(しづき)は弱々しい笑みを浮かべながら隣に座る鐘崎(かねさき)を見つめた。 「この一年半、ずっと一緒に暮らしてきたからさ。毎日おめえの顔を見られなくなると思うと——寂しい気がすんなぁ」  わざとおどけたように笑顔を繕いながらそんなことを言う。 「——紫月(しづき)」 「ま、いいやな。なんと言っても道場は(りょう)ン家の実家の真隣なんだし、その気になりゃいつでも会えるべ」  それ以前に、遅かれ早かれ鐘崎(かねさき)とてここを離れて組に帰る日がやって来るのは分かっていることだ。 「それまで俺も親父を手伝いながら精進する」  まるで『元気でな!』と言うように笑顔を見せる。 「ああ……。おめえも——あんまり張り切り過ぎて風邪なんか引かねえように気をつけるんだぜ?」 「はは! ダイジョブだって。こう見えて俺、意外に丈夫にできてっから。それよか(りょう)の方こそちゃんと身体大事にしてくれよ。おめえ一人だとメシとか栄養あるモン食ってんかって心配になるしよぉ」 「そういやそうだな。一緒に暮らすようになってからおめえにはよく美味いメシ作ってもらってたからな」 「ん。だよな。(ジォウ)さんと(ひょう)君がいた頃は俺たちもよくご馳走になってたよなぁ。今はもう(ひょう)君もいねえんだし、俺もここを出て行ったら……おめえのメシが心配でさ。カップラとか出来合い弁当とかばっかしじゃなく、ちゃんと米炊いて食えよ? おかずは——うん、出来合いのでもいいけどよ。ご飯くれえは炊いて食って欲しいなって」  炊飯器や電子レンジはこのまま置いて行くからちゃんと使ってくれよと言う。 「心配すんな。それに——実家に帰る時は連絡すっから。そしたらおめえが」 「もち! たっくさん栄養のあるメシ作って待ってるわ」 「——ああ、楽しみにしている」  なんだかんだと取り止めのないような会話を続けながら、どちらからも本当に告げたいことはなかなか言い出せずにいる——そんな微妙な空気感が漂う。  しばしの後、たわいのない会話も途切れて少しの沈黙が二人を包み込んだ。 「な、(りょう)——」 「——紫月(しづき)、その……」  まったく同時に言葉が重なった。 「……なに?」 「——いや、お前が先に」  鐘崎(かねさき)はそう言い掛け、だが意を決したようにして紫月(しづき)の手に自らの手を重ねた。 「——待っててくれねえか」  俺がここを出て組に帰るその日まで——。 「おめえに——待っていて欲しい」  また再び、毎日顔を合わせられる日が来るその時まで——待っていて欲しい。鐘崎(かねさき)の真剣な眼差しがそう訴えていた。 「ん。うん、待ってる。おめえが帰って来んのを——ずっと待ってっから」  重ねられた手を握り返して紫月(しづき)はそう言った。  出会えて良かった。  これからも変わらずに、ずっと互いの側で生きていきたい。  同僚や友人というだけの間柄じゃなく、お前のことが——  おめえのことを——  大好きだから。  どちらからも言葉にはしなかった。  だが、並んで側にいるだけでその想いは充分過ぎるほど伝わっていた。離れ難く、胸が張り裂けそうなほどに切なくもあり淋しくもあり、会おうと思えばいつでもすぐに会える距離だというのが分かっていても胸が締め付けられるようだ。 「——紫月(しづき)。約束の印だ。——いいか?」  重ね合わされた手にギュッと力が込められ、見つめ合う瞳がゆらりと揺れる。その瞬間に、不意を突かれるように唇と唇が触れ合った。本当に——ほんの一瞬触れるだけの淡いキスだった。 「(りょう)——。ん、約束する。おめえンこと、ずっと待ってっから」 「ああ——。必ず帰る」  その時は——また共に手を取り合って歩んでいこう。  これからの長い人生を、ずっとずっとお前と共に——。  紅葉が色付き始めた秋半ば、紫月(しづき)もまた、こうしてギムナジウムを後にしたのだった。

ともだちにシェアしよう!