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第8話 先輩からの電話
「誰?」
二人の会話が意図せずに途切れて、アイリが少し不服そうに言った。
「誰でもいいだろ」
仕事のことかもしれない。迷惑をかけているのだ、出ないわけにいかない。何を聞かれるのか、何を言おうか。考えながら耳にスマホをあてると、水無月が声を出す前に話しかけられた。
「水無月か?」
いつもよりも心なしか固い声に聞こえた。
「高槻さん。どうかされましたか」
電話は苦手だ。顔を見て話すよりも数倍嫌だ。緊張して言葉に詰まる。でも、今日は相手の方が緊張しているせいか、いつもよりは話しやすい。
「なんだよ、思ったより元気そうだな」
電話の向こう側で高槻がほっと溜息を吐いたのがわかった。
「昨日、色々あって疲れてただろ? 初めての奴と話したりとかさ。顔色悪かった」
「そう、だったかもしれません」
自分の顔色のことはわからない。でも高槻さんがそう言うならそうなんだろう。
高槻さんと二人で、というよりも、自分以外の誰かと何かをする、ということには抵抗があって、飲みに誘われてもランチに誘われても断ってきた。生の匂いは苦手で吐き気がするからだ。
それでも高槻さんは嫌な顔ひとつしなかったし、気軽な調子で声をかけ続けてくれた。もし一切声を掛けられなくなったら、高槻さんに嫌な思いをさせたのではないかと不安になり、それはそれでどうしたらいいかわからなくなっていたと思う。
我ながら面倒だ。それなのに、高槻さんは断っても全然態度を変えなかった。誘っては来るけどしつこくないし、話したくないことには深入りしてこない。
仕事は丁寧に教えてくれるし、失敗してもフォローしてくれる。いつも気にかけてくれて、苦手な仕事や体調の変化にも気付いてくれた。
特に働き始めたばかりの頃は自分から何かを言うのがあまりに苦手で、察してくれる高槻さんがいなかったらとっくに会社を辞め、飢えて野垂れ死んでいたかもしれない。
そういうことを繰り返して、水無月は高槻に対しては多少の本音を透けさせられるようになっていた。
「社長と俺は今回のこと知ってるけど、他の奴にはお前は風邪ってことにしてある。だから気にせず休んどけ。元々そんなに体力ないんだしさ、休んだって俺も他の奴も気にしない」
高槻さんにあっけらかんと言われると嫌味じゃないんだとわかる。その明るさも、少し苦手だ。
「ありがとうございます……本当に」
気安く話しかけられるのは得意ではなく、でも、それによって助けられているのも確かだ。高槻さんのことは苦手だが嫌いなわけじゃない。
「いいんだよ。それより、まさか本当に風邪ひいたりしてないだろうな? 昨日の夜、寒い中で取り調べとか片付けとか、いろいろあってふらふらだっただろ、お前」
「大丈夫です。それより仕事は……」
人材はいつでも足りていない。だから水無月が入る予定だった夜勤や司会のシフトが気になる。今回の事件のせいで葬儀がキャンセルになり、別の仕事が生まれている可能性もある。これに乗じて休んでしまえば良いはずなのに、片隅に罪悪感があるのがなんとなく悔しい。
「そんなのはいいから。たまにはきっちり休めよ。普段は休みでも電話とか急にかかってきたりして、お前は真面目だから、緊張してろくに休めてないだろ」
高槻さんだって真面目じゃないですか、と言おうとしてやめた。高槻さんは俺のシフトの穴を埋めざるを得ない。もしかしたら頭を下げて回っているかもしれないし、社長に対して色々気を回してくれたのも高槻さんだ。葬祭ディレクターの人数は多くない。
「すみません、甘えさせていただきます」
それ以上の言葉を見つけられなかった。
「電話すぐ出てくれたけど、俺からの電話待ってた?」
「そういう冗談はやめてください」
「悪い悪い。起こしたら悪いって思ってたからさ。でもきっと起きてたよな、いつもなら仕事してる時間だし」
そう言って高槻は快活に笑った。
「じゃあ、またな。今度こそ飲みに行こうぜ」
「……そうですね、いつか、お願いします」
いつもならば一言で断わっている誘いに、僅かに肯定を持たせていた。
「まじで? んじゃ、おやすみ」
いつもこうして気にかけてくれる高槻さんとなら、話せることもあるような気が、一瞬だけしたのだ。社交辞令と受け止めたのか、高槻さんはさらりと受け流して電話を切った。
暗くなるスマホの画面に視線を落とすと、水無月の膝の上に寝転がったままのアイリに見つめられていることに気付いた。
「仲良さそうだね」
さっきまで我が家にいるかのように過ごしていたアイリの声が少しよそよそしい。
「そういうわけじゃない。ただの上司」
事実なのに何故か言い訳みたいな言い方になってしまった。
「生きてる人とは話さないのかと思った」
「話したいわけじゃない。ただの仕事」
仕事には報連相が必要で、そのためには円滑な人間関係と最低限のコミュニケーションは必要だ。水無月が最低限に達していなくてもどうにかやれているのは高槻のおかげだ。高槻と話すことへの苦手意識は消えないが、感謝はある。
「……俺とは、話したいと思った?」
アイリの大きな手が俺の手の甲を撫でる。触れられるのが嫌じゃない。そもそもそれが特別なんだと伝えるべきだろうか。僅かでも死体以外の誰かと触れ合うだけで気持ち悪くなるのに、アイリだけが平気なんだと。
「だから引き留めてくれた?」
「……知らない」
こんな風にもどかしい空気は初めてで、それに合わせた言葉がわからない。
答えに詰まっていると、またスマホの電子音がした。今度は水無月のスマホの音ではない。数度鳴って、すぐに途切れた。
アイリは寝転がったままジャージのポケットを探り、スマホを取り出した。仰向けのまま見ているから水無月からは画面が見えない。
「変なの、吸血鬼なのにスマホ使うなんて」
「吸血鬼だってスマホを使うし、フレンチトースト作るし食べるって。生活だからね」
アイリは水無月の内腿に頬をすりすりと寄せてから立ち上がり、伸びをした。
「じゃ、用事が出来たから名残惜しいけど行くね」
嵐みたいな奴だ。おもむろにパーカーを脱ぎ始めるのをぼんやりと眺める。こいつが出て行ったら、また部屋に一人になる。それはいつも通りだけど。
「……用事って」
未練たらしい響きがしたかもしれない。
「俺も仕事。これでも社会生活は送ってるから一応ね」
ならなんで俺の部屋で寝たんだよ、と罵りそうになるのを飲み込んだ。
シャツの下から現れたアイリの肌は白いが、死体とは違う生きた色だ。棺の中に入っていた時とは全く違う。しっかりとしなやかな筋肉がついていて肩幅も水無月よりも広く、服を着ている時よりもがっしりとして見える。
「……やっぱり俺の身体好き? キスしてたし」
「んなわけないだろ」
「冗談だよ。俺みたいなのとは、あんまり長く一緒にいない方がいいからね」
うっかり見つめていたことに気付いて顔を伏せた。もう一回顔を上げると、ボトムを履き替え、タートルネックを着終えるところだった。襟のあたりで膨らんだたっぷりとした銀髪を服から外に出して整えている。
白と黒の千鳥柄のマフラーを巻き付けてコートを羽織った。この家から出て行ってしまう。
「どうして俺の名前知ってたんだよ」
玄関に向かう背中に、今となってはどうでもいいことを話しかけて引き止める。なんでそんなことをしているのか、自分でもわからない。
「吸血鬼だから」
アイリは手袋を付けながら頭だけで振り返って片目を瞑った。
「理由になってない」
「鞄の中にいる時に退屈でごろごろしてたら、財布に入ってるカードが見えた」
なるほど、吸血鬼だから。納得しかけた。
「……ほんとに人間じゃないのか? 全部手品とかじゃなくて?」
何の変哲もない日々を過ごしてきた。毎朝牛乳を飲んで食パンかバナナの二択で悩み、仕事に行って、最低限の家事をして、漫画や小説を読むかソシャゲをして、眠って、また会社に行く。
夕飯や昼は仕事の余り物を食べるか、仕事がない時はカップ麺とカット野菜とか半額の惣菜とか。一人暮らしの男なんてそんなものだろうっていう、ごく普通の毎日だった。
だからそんなファンタジックな妄想染みたことは信じがたいのに、色んな事実がアイリが普通の人間ではないと告げてくる。
「吸血鬼が出てくる話は読んだことあるよね? ゾンビとかでもいいし、アニメでもゲームでも小説でもなんでもいい。人間が想像し得る大抵のことは在り得るんだよ、きっとね。それと同じで、吸血鬼っていうのは人間の祈りの産物だから」
アイリはもう玄関に立っている。
「それじゃあね」
とりとめのない会話では引き止めきれず、振り返ったアイリはひらひらと手を振ってからドアを開けた。ドアを閉める時にアイリの笑顔が見えて、眩しすぎて、出て行くところを見たくなくて、俯いた。
「……あ、忘れ物」
ドアが閉まる音はせず、やや間があってからアイリの朗々とした声が響いた。思わず顔を上げる。顎に手を当てられくいっと持ち上げられた。流れるような一連の仕草から逃げる隙はなかった。
「昨日の仕返し」
ちゅ、と小さな音と共に、頬に冷たいようなあたたかいようなやわらかいものが触れて硬直した。アイリの唇。
「口にした方が良かったかな? なんてね」
呆然としている水無月を置いて、今度こそ出て行ってしまう。朝日とは呼べなくなった日光を背に、目を細めて微笑んだアイリの口元が寂し気に見えたのはきっと気のせいだ。
金属音がしてドアが閉まる。名残惜しいなら出て行かなければいいのに、と思っている自分に驚いた。
ていうか吸血鬼なのに陽の光を浴びて平気なんだろうか。吸血鬼みたいなもの、とか言ってたし、都合の良い生き物なのかもしれない。それともやっぱり普通の人間で、凄腕のマジシャンとか? 顔が良いし、売れそう。
それか、全部夢。夢と夢じゃないのと、どっちが幸せなんだろう。同じか。夢は覚めて醒めてしまうし、現実なら誰もが去っていく。
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