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第12話 事件現場
朝、毎日定時にかけっぱなしにしているアラームで浅い眠りから目が覚めた。
ソシャゲにログインしてだらだらとプレイし、黒くなりかけているバナナを食べ、またベッドに戻ってだらだらする。だが事件のことを思うと落ち着かず、身体は怠いのに眠れなかった。
スマホが振動した。高槻からの「ちゃんと食ってるか、仕事は気にせずゆっくり休めよ」というメッセージが入っていた。仕事柄、二日続けて休むことはあまりなく、なんとなく居心地が悪い。
台無しになってしまった葬儀のことは気に掛かる。遺体を失った遺族がどのような気持ちでいるのか想像もつかない。
警察も動いているのに素人の自分がなにかを見つけられるとも思えなかったが、何もせずに犯人に仕立て上げられるのも癪に障る。
遺体を盗まれた葬儀場の様子を見に行こうと思い立った。記者の棗が灰がどうのこうのと言っていたし、確認してみてもいいかもしれない。
休日も近場での買い物以外に行かないためろくな服も持っておらず、いつものスーツに濃灰のコートを着て家を出た。
タクシーに乗るような急ぎでもない。
斎場の最寄り駅まで電車に乗り、今にも雨が降りそうな重い雲の下を白い息を吐きながらだらだらと歩き、坂道を上り、三時間近くかけて斎場に辿り着いた。もう十四時半だ。冬の空気で身体は芯まですっかり冷えきっていた。
犯人は現場に戻る、なんていう陳腐なフレーズを思い出したりもする。ぽつりぽつりと雨が降り始め、足を早めた。
まさか俺が無意識に遺体を持ち出して隠した? 二重人格とか夢遊病とかそういう? だめだ、アイリの存在に毒されすぎてる。そんなことあるわけがない。
一通りの捜査が終わったのか警察車両は姿を消しており、門にも鍵はかかっていなかった。木々に挟まれた道を通って辿り着いた会館の扉も施錠されていない。嫌な予感が過ったが、今はそもそもここに遺体はないはずだ。
中には誰もおらず、あの棺がひとつ、ぽつんと寂しく置かれている。棺の蓋は開いていて、覗いてみると中は当然空だ。
花々はなくなっているし、あの男が言うような灰もない。棺の底を指で拭ってみても僅かな埃が付くだけだ。一昨日は遺体も灰もなかったが空ではなかった。
──アイリ。
冷たい体温と、気安い口調と、何故か拒めない雰囲気。死によく似た匂い。
どこに行ったんだろう。記者が二人分の気配を感じたんだから夢ではないと思いたい。あの匂いが懐かしくて、新しくて、落ち着いて、どこかに行ってしまったのに忘れられない。
突っぱねるべきだったあの腕の中でなら、テディベアと二人でいる時よりも眠れたんだ。
「あれ? 水無月?」
呼びかけられて振り返る。
「高槻さん、どうしてここに」
濃い色の、少しくたびれて皺の入ったスーツを着た高槻が奥の事務室から出てきた。紺色のネクタイをしている。
「それは俺の台詞。今日は休めって言っただろ? 社長だってそれで良いって言ってたし」
水無月の勤める雪灯葬儀社は全国展開していて、業界でも大手の会社だ。本社は東京の都心部にある。高槻は東京西部のエリアマネージャーでもあり、報告等で社長と会う機会も頻繁にある。
下っ端の社員でしかない水無月は社長と話したことはほぼないが、入社式で社長直々の訓示は聞いた。最終面接も社長だったがあまり記憶にない。高槻が報告するときに後ろで控えていたことも何度かあり、顔はわかる。
若くして起業し成功している社長など、水無月からすれば遠く離れた無関係の存在だ。立場が違うという以上に、そういうことをするのは別世界の人間で、別の生き物で、物語の登場人物みたいなものにしか思えない。
「一昨日のことで疲れてるだろうし、休まないとほんとに体調崩すぞ?」
「ありがとうございます。あ、電話も……ありがとうございました」
家から一歩外に出れば下手なりに外向けの表情を貼り付けるのは習性だ。多寡こそあれ、それを身に着けているのが社会人の「大人」なんだろう。高槻さんだってきっと同じだ。
父さんもそうで、だからああなってしまったんだし、母さんもそうだったんだろう。二人とも薄い表情の仮面の下で堪えて、耐えて、結局耐え切れなくて、膨れて破裂した。
俺の仮面が擦り切れたら、どうなるんだろう。遺体を盗むんだろうか。そうして、キスして、それから? 想像ができない。
キスはしない、気もする。きっとただ話しかけて、朽ちるまで、たとえ朽ちたとしても、一緒に過ごす。それだけだ、きっと。キスなんか今までもしなかったし……アイリ以外には。
「災難だったな」
高槻は人の表情を読むのが上手い。水無月の凍り付いた表情に気付いたのだろう、いつもの仕事のときとも少し違う、程よい距離感で話しかけてくれる。
疑われて落ち込んでいると思って慰めてくれているのかもしれない。
「そうだ、ちょっと待ってろ。あと少しで仕事終わるから」
ゆっくり近付いてきて、ぽん、と肩を叩かれた。
早番だったのか、夜勤からそのまま働き続けているのかわからない。事件の後片付けに加えて通常業務もあったはずだ。一昨日から今日までの間に社長にも報告してくれている。寝る間もない程忙しかったはずだ。
「手伝います」
控室の使われなかった茶や食器、菓子を片付け、椅子やテーブルも元の通りの配置に戻す。一切使われなかった、ということを除けば、馴染みの作業だ。だが、比較的大規模な葬儀の予定だったため量が多かった。
「休みなのにやらせて、悪いな」
「いえ。僕こそ何も出来なくて……すみません」
高槻さんがいつも以上に忙しいのは俺のせいだろうし、特に他にやることもない。それに、変な記者に言われた灰のことも気になる。
片付けながら隅々まで見たが、見慣れた香炉と灰があるべき場所にあっただけだった。アイリの身体の下に灰があったりしたのだろうか。
仮にあったとして、灰がなんだっていうんだ。松島隆が吸血鬼だった? いや、確かに死んでいたはずだ。死の匂いはよく知っている……一度間違えたけど。
「さ、行くか」
片づけを終えた時には十五時になっていた。眼鏡を外した高槻が水無月の肩に手を回し、抱くようにしながら背を押した。服越しでも生の感覚があって吐き気が込み上げてくる。
「行く?」
「息抜き。電話で、珍しく誘いに乗ってくれただろ? だから気が変わらないうちにと思ってさ」
水無月が状況を掴めずにいると高槻が付け足した。そういえば飲みの誘いをやや肯定した。
自分のせいで疲れている先輩かつ上司の気遣いを無下にすることも出来ない。「いつか」がこんなに早く来るとは思っていなかったが、ああ答えてしまった以上、断りにくい。
「十五時なら夕方って言っても良いし、夕方なら夜のうちだろ? ならもう飲みに行ってもいいって話」
いつもならば質問してくる高槻が断定的に誘ってくるのは珍しい。違和感を覚えつつ、やむを得ずついて行くことにした。
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